S・Sex・Three
最近なんだか、貧乏籤ばかり引いてる。
夜明けの空を眺めながら最後のタバコに火を点けて思った。
大総統府の地下牢にブチ込まれて、約半日。水も食事も与えられなくて、ひでぇ待遇だ。腹が減って、ろくに眠れやしねぇ。救いは煙草を持ってたことだけで、それもこれが、最後。
俺は最近、貧乏籤ばかり引いてる。
毛布もない石畳の、固い床に上に仰向けで、頭上の鉄格子の嵌まった窓を眺める。窓は監獄の床になっていて、看守が時々、通路を歩いてく足元だけが見える。並列じゃなく垂直に掘られた独房は隔離性が高く、天井の鉄格子にはどう足掻いても、手は届かない。出るには地上から縄梯子をおろしてもらうしかなくて。
うまく考えられた牢だ。さすが、大総統府の最奥で、政治犯らが閉じ込められてただけある。見下ろされ監視される精神的な圧迫に加えて、見上げる視界に看守の足しか映らないのは、囚人に絶望を感じさせるだろう。
まぁ、そんなことはいいんだが。
腹が、減った。
俺を飢え死にさせるつもりなのか、単にそれどころじゃねーのか。たぶん後のだ。……腹減った。
まさかこのまま、ずーっと忘れてんじゃねぇんだろうな、と。
最後の煙草を揉み消しながら思う。夜があけてきて、なんだかかえって、眠くなってきた。
眠っちまおう。そう決意して、身体を壁に向ける。夜があけてようやく気温が、少しは上がってくる。寝ても凍えないくらいには。
体温を守るために腕を組んで固い石畳に転がってると、戦場を思い出して、ナンか笑えてきた。本当に人生は明日が分からない、なんて、らしくもないことを思う。
昨日まで、俺は接収したセントラルの、富豪のお館で眠ってた。有名な財閥の総帥の本邸。一番奥の豪奢な寝室は違う人に譲ったけど、でもまぁ、その配偶者が使っていたらしい、ラナイつきの部屋で、天蓋つきのふかふかの寝台で。
傭兵隊長じみた立場の俺は今のこの街では七番目くらいに偉い。占領軍の将校というのは、我ながら嘘だろう、というような強い立場だった。進駐軍司令官の側近でもあって、昔の『鋼の』大将の横で、主だった捕虜の面通しと仮処分の裁定まで任された。俺はアメストリス軍では下っ端の少尉に過ぎなかったが、もと『大佐』の側近だったおかげで軍の幹部たちの顔は見覚えてた。
大総統府の、奥からは。
降服した将軍らのほかに、『用途』のよく分からない女たちが何十人も出てきて。
それはまぁ、権力の膝元では、ありがちのことだ。
高官の接待やパーティー用に飼われてた女たちに危害は加えられていない。でも彼女らは機密を知っている可能性があって、まだ一箇所に集められ監視を受けてる。そのうちの一人を俺が気に入って、大将に、持って帰っていいかと尋ねたら。
『俺がいいって言えるわけねーだろ』
多忙の上に別のことにも心奪われてた大将は上の空だった。捜してる一人以外に興味はないらしくて、振り向きもせずに言い捨てた。
『自分で口説いて納得させてからなら好きにしろ。恋愛は自由だ』
全くその通りで、俺は口説いた。とりあえず俺ンとこ来ませんか、って。とりあえず隔離して匿った。他にどうすればいいか分からなかった。
凶器や通信機を持ってないことを確認するために、女たちは全員が下着姿で、床に座らされて両手を頭の後で組まされて、それは女子供には比較的人道的なシン国の軍隊でも、必要な調査だったけど。
とてもじゃないけど、そんな姿を、見ていられなくて。
上着を脱いで羽織らせた。戦闘用のジャケットは裾が短かかったから、シャツも脱いで腰に巻かせて、俺はタンクトップ一枚で、俺ンとこ来ませんか、って。
言ったら頷いてくれたから連れて帰っただけだ。
俺は、悪い事はしてない。なのに大将は火が点いたように怒って側近から一転、この捕虜にも劣る境遇への、落差。
戦地では何夜もこうやって眠った。まだ衣服が乾いてるぶんマシだ。戦闘の最中は着替えなんか出来なくて、雨に濡れれば濡れたまま渇くのを待つしかない。悪天候が続くと何日も乾かなくて、あぁでも、今は喉に詰る乾いたカンパンでいいから食いたい。
そんなことを考えながら転がっていたら聞きなれた足音がして。
「……起きろ」
進駐軍の総指揮官が、手ずから天井の格子のバネを上げて。
「話がある。出て来い」
看守じゃなくて突き落とした本人が縄梯子をカランと下ろすのが、スジが通ってたから指示通りにした。ハシゴに足をかけて牢から出る。俺も話がある。でも何よりも。
「腹減った」
「朝飯は用意してる」
言ってさっさと、先に立って歩き出す、金髪の三つ編み。
髪を切らないのは、髪型を変えないのは、何処で会っても自分だって分かってもらうためだっていつか、言ってた。
なのに、なんで。
「なんで言わなかった」
人間、本当に先はわからない。
十分前まで地下牢で震えてた俺が、今は総統府奥のメインダイニングで、料理人が作ったグリンピースのポタージュスープ飲んでる。
ベーコンとクリームがよくあって、豆の緑色がきれいだ。固い皮のパゲットで底まで掬い取って食った。
「どーすんのが大佐に一番幸せか、分かんなかったから」
とりあえずあの場所からは拾って、それからどうすればいいのか分からないまま、連れて帰った俺の住まいで食わせて寝かせて休ませた。大佐は病気って訳じゃなかったけど疲れ果てた感じでよく眠って、俺は忙しくてろくに帰れなくて、落ち着いて話をしたり、大佐の事情や、希望を聞いたり、できないでいるうちに。
「大将が、結婚したからだよ」
相手は昔から仲がよかった幼なじみってことで、しかも既に、妊娠までしてた。戦争の途中で大将の故郷のリゼンブールは早々にシン国の領地になってシン国の軍隊の橋頭堡だったから、そこで再会した幼なじみと『仲良く』したのは不思議なことじゃない。ないけど、なら、大佐は要らないんだろう?
別のオンナと結婚したんなら。
そう思った。だから大将には言わなかった。大佐を俺が先に見つけて保護してる事実を。恋愛は自由だから、俺は俺でゆっくり口説いて、あの人を俺の『妻』にするつもりでいた。
ずっともう、黙ってるつもりだったけど。
「見せたのは、賭けだった」
大将はおかしかった。簡素だったけど結婚式も挙げて、花嫁と暮し出したのにあの人のことを探すのは止めなかった。むしろ戦争の事後処理が終わった分、余計に熱心に。
裏庭の慰霊塔の下から、キング・ブラッドレイの犠牲者たちの骨が何百単位で出て。
ヤバげな実験場から、人間を『材料』に使ったとおぼしきキメラの、薬殺処理された死体も、大量に発見されて。
「言っとくけどな、ジャン。お前がいま無事なのは、ロイを抱いてなかったからなんだぜ」
「正直、後悔してますよ」
一日の殆どを眠って過ごす人の、無防備な寝顔は何度も見た。抱こうと思えば毎晩だって犯せた。出来なかったのは。
「俺、フライングしましたからね」
この多忙な大将は、昼間は捕虜収容所を廻って、夜は。
居間の絨毯に、その日に掘り出された遺体の頭蓋骨を並べさせて。
毎晩、何十個ものしゃれこうべを胸に抱きしめて。
『これは違う。埋葬していい』
『これも違う。埋めていい』
頭蓋骨には特徴がある。頭の形は本当に人それぞれで、抱けば、分かる。
一つ一つを抱くたびに死にそうな顔で、違うとほっとして手離す、そんな鬼気迫る姿を見た後では、黙ったままも、卑怯すぎる気がして。
あの日あの時、俺は気付いた。大将は気付かなかった。でもそれは愛情の濃淡じゃなく情報の差。あの男から『生きている』『ここに居る』って、聞いていた俺は大将より有利だった。
「大佐は?」
「寝てる」
「なんか話したか」
「別に」
「あの人、愛人嫌いだぜ。あんなにダイスキだったヒューズ中佐とだって、中佐が結婚したら別れたンだから」
「知ってる」
「乱暴、すんなよな」
釘を刺した。もう手遅れだろうけど今後のこともある。
「恋愛は自由だけど乱暴はするなって、大将が俺に言ったんだからな」
「他人に言うように自分がしてる男なんざ居ねぇよ」
確かに。
「大佐も」
「その呼び方、やめろ。ロイはとっくにアメストリスの軍人じゃないんだ」
「……じゃ、『俺の大佐』も」
言った瞬間、ハムエッグをがつがつ口に運んでた金目の大将が俺を睨む。五年前と変わらず生々しい、斬り付けるような視線。
異国の軍隊で五年。ずるも誤魔化しも、曖昧に目を瞑ることも覚えた。でも核は少しも、欠片も傷ついてない。
「『俺の大佐』も夕べからメシ食ってねーんじゃ?」
俺は昨日の夕食を抜いてた。大将にもう一度だけ会わせて、それで気付かなかったら俺の女にするつもりで招いた夕食会。ナニ食わせるんだよと軽口を叩きながらやってきた指揮官は、居間に座らせてた人を見るなり目の色を変えた。
ダイヤモンドみたいにぎらぎらに光って。
俺の大佐を引っつかんで、俺を地下牢にぶち込んだ。
「『俺の大佐』、どこ」
俺はパンと自分のハムエッグを持って立ち上がる。半分は示威だ。がしゃんと音を立てて大将はフォークを置き、
「新しいスープもってこい」
給仕に言い捨てて食堂を出て行く。
肝心なことを俺は聞きそびれた。
『俺の大佐』、シアワセそうだったか?
俺は今度は、間違わなかっただろうか。