S・Sex・Seven
電話が鳴る。途切れてはまた、繰り返し。
急用なのだろう。そう思って起き上がった。部屋の主の姿を捜すけど居なくて、カーテンの隙間から差し込む陽は既に高い。
朝ではないことを認識して、受話器に自分で手を伸ばす。てっきりこの部屋の主人からの、そろそろ起きろ、という連絡だと思った。昨夜は夕焼けが見事で、二人して裸で、それに見とれたから。
きっと明日はいい天気になるね。そしたら昼メシは庭で食おうか。そんなことを言われた。だからてっきり、ランチの用意が出来たから起きろと、言われるのだと思った。
「……もしもし」
寝起きの声に、返って来た声は。
『グッドモーニング、レイディ。お目覚めかね?』
ぶ、っと、思わず、息を噴出してしまう。
なんて似合わない台詞だ。
『出勤するなりそう電話かけて、夜勤あけの俺らを絶句させてくれたことありましたね、あんた』
そんなことがあったかな。もうよく憶えていないんだ。昔のことは、なんだか夢だった気がする。
今の俺のリアルな人生はあの子と駆け落ちをして以後で、その前のことは本当に朧に霞んでいて、よく思い出せない。
『グッドモーニング、大佐。起きれるようなら外に出てきませんか。いい天気ですよ?』
エドワードはどうした?急な仕事か何かが入って、お前が代理でランチの相手なのか?
『カーテン開けて、外見てくださいよ。見えるから』
何がかも問わずに、言われたとおりにする。受話器を肩に挟んだまま、俺の眠りを守るための遮光カーテンと細かいレースのそれを広げると、眼下には真冬というのに緑豊かな中庭と、そこで。
『……フェアにいこうと思って』
そこで昼食中の、仲睦まじい若夫婦。
『昔、ずるして後悔しましたから、今度はちゃんと、あんたに自分で向きあおうと、俺は思ってる訳ですよ。あんたに本当のこと知ってもらって』
再会以来、殆ど離れていた記憶がないほど、ぎゅっと抱きしめられていたけれど。
『俺もあんたも独身なんだから、恋愛は自由ですからね』
偽装結婚だと、妻も本当は弟ので、腹の子供もそうだと、俺には言ったけど。
『ご感想は?』
芝生にシートを広げてランチボックスを広げる様子は本当にお似合いで、仲よしに見える。
「……やるものだな……」
なぁエドワード。君は今日、わたしと一緒に庭でランチを、そう言わなかったかね?
『それだけですか?』
「大きな声で」
『はい?』
「罵れる立場ではない」
愛人は俺の方で、だまされるのは、信じる方が悪い。
『外、いい天気で気持ちいいですよ。出てきませんか?』
ゆれる気持ちに、別の男の声が響く。
『屋上で待ってます。メシ用意してます。ちなみに、部屋の前には見張りがいますから、うまく抜け出して来て下さい』
できるでしょ、と言われて頷く。勿論、できるとも。
『待ってます』
電話が途切れる。
俺は、別に傷ついたとか、そんなんじゃなかった。ただ、外に出たかった。再会以来、ずっと部屋の中、ベッドの中に居たから、久しぶりに晴天の空の下で。
太陽を浴びたかった。それだけだった。
続き部屋の壁に、錬金術で扉を作ってぶち抜く。館の角にドアを作って、壁に手を当てて階段も作った。人目につかない裏側を登って、屋上にたどり着く。
電話で言ったとおりに男が待っていた。どう見ても室内用のクッションと、茶色の紙袋。袋に印刷された文字は俺が昔、好きでよく食べていたホットドック・チェーンのもの。それに赤ワインの小さな瓶。
俺を見て笑った男は昔より髪が伸びて歳をとった。若い頃は生々しかったオトコ臭さがいい味になって、笑い皺の目尻には、昔はなかった優しい落ち着きが漂って見える。
「寒くないっスか?」
裸足の俺の足元を見て、言った口元にはタバコが咥えられ、愛煙家っぷりは相変わらずらしい。
俺は肩を竦めるだけで答える。石畳の屋上に素足は確かに冷たかったけれど、靴はここへ連れてこられる途中で脱げてそれっきりだ。着ているジーンズとシャツもあの子の衣装棚から適当に借りた。錬金術でサイズは変えたけど、面倒だったから生地はそのままで、確かに小春日和とはいえ冬には、不似合いな格好だった。
「羽織ってて。さむいでしょ」
男がコートを脱いで俺に着せようとする。皮の、くるぶしまでのコートは内面がタータン柄の布張りで、見るからに暖かそうだった。
「お前が寒いだろう」
「あんたほどじゃないですけど、んじゃ、来ます?」
脱ぎかけのコートの胸を開かれる。相変わらずの胸板。肩幅も腕も、昔、知っていたのより逞しい気がする。俺が小さくなっているせいだろうか。
「膝の上、腰掛けていいっすよ。あんた軽いし」
床に座り込んだ男の膝に乗って、俺は胸の中に抱かれた。暖かい。
「イタリアンソーセージ・エッグ・マフィンに、フライドポテト・オニオンのミックス、で間違いないですよね」
よく憶えていたな。
「何回、お使いに出されたか分かりませんからねぇ」
俺はもう、忘れかけていたよ。
「俺は覚えてますよ。マスタード・マヨネーズとグレービー・ソース間違えて大目玉くったことも、よく覚えてます」
わがままな上司だったな、俺は。
「でしたね。でも、あんたにこき使われるの楽しかった」
俺をコートの胸の中に納めて、男が紙袋に手を伸ばした。はい、と口元に差し出されるスコーンに齧りつく。
懐かしい味がした。
「ワインも、どーぞ?」
コルクじゃない、栓を捻って簡単に開くタイプの、これは軍事用の赤ワイン。少し強めの酸味がフライドポテトの塩気とよくあって、美味い。
「俺はよく覚えてます。あんたのことばっかり、思い出して生きてましたから」
言いながら、男の腕がコートの下で俺のカラダを抱く。下着をつけていない胸と、太腿に触れて撫でていくのを、好きなようにさせた。
「……ホントに女の人なんだ……」
今更ながらに、驚いた声。
「あんたが好きそーなナイスバディですねぇ」
そうだ。人間、そんなものなのだよ。自分のためでなくとも、自分が好きなものしか思いつかない。これは俺があの子に、気に入って欲しくてなりたいと望んだ、潜在意識の賜物。
「ねぇ、大佐。俺と恋愛、しましょーよ」
背後からうなじに頬を寄せられる。
「あんたあんなに、不倫いやがってたじゃない。大将やめて俺にしましょう。……一緒に逃げようよ」
なにを言ってる。お前はせっかく、勝者の側に居るのに。
「ンなの狙って、このセントラルに弾打ち込んだわけじゃありません。あんたのこと、捜したかったからだ」
「エドワードに怒られるぞ」
「まぁ命の恩人ですけど、命より恋が大事ですねぇ」
人事みたいに軽く言いながら俺の後ろ髪にキスを繰り返す、口説きは昔より、巧者になっていたが。
「……俺は……」
断り文句を探す俺の語尾に重なって。
「っと……、大将、気ぃ短けー……」
緊急サイレンが、館中、中庭にまで響き渡る。
「あんたが居なくなったのバレたんでしょ。どうします?」
どう、って。帰るさ、部屋に。ごちそうさま。
懐かしくて、とても美味しかった。
「部屋に飼われて愛人になるンすか?あんたそういうの我慢できないでしょ」
分からない。でも今は帰る。じゃあな、元気で。
「大佐のこと、俺はよく覚えてます。身体の性別作りかえられた程度で人格は変わらないでしょ。あんた昔どおりだ」
それはどうだろう。『昔』を俺は、もうろくに憶えていないんだ。あの子と駆け落ちした時に全部捨てたから。
「いつでも、俺は、ここで待ってますよ。俺は今も、あんただけに忠実な部下です」
そんな大昔のことは忘れたんだ。
「一生あんただけ、俺のボスですよ。『大佐』」
……忘れた。