S・Sex・eight
真っ暗で、寒い。
なんにもない。掌の中にも、腕にも。
俺は一人で、ただ寒い。
寂しさに手を伸ばすと指先に触れたものがあった。掌を這わせるまでもなく、俺はそれがナンなのか分かった。頭蓋骨。
……大佐。
みつけた。
何度も撫でたあんたの頭の形を、俺の左手は忘れないよ。
ずっと捜してた。あんたのこと、ずっと。
ごめんね。こんな姿にして。
初めて会ったときからの、いろんな場面が閉じた目蓋の裏に浮かんでく。あんたは『外』から来た大人だった。俺の知らない広い世界からきて、俺を招いてくれた。そこは天国じゃなく軍隊で、地獄に近かったかもしれないけど、でもそれが、現実ってモンだ。
そこであんたは偉い大人だった。反感も持ったし反抗もした。生意気盛りの俺を持て余しながら、あんたはでも、よく面倒みてくれたって、今は心から感謝してる。
あんたは優しかった。自分が見付けた風変わりなガキに、拾った責任をとっただけかもしれないけど、本当に優しかった。
その優しさに気付いたのはセックスしてからで、気付いてからは、俺はあんたに夢中だった。恋人気取りで、あんたのモノのつもりで、いい気になってた時期もあったっけ。あんたが喜んでくれるのが嬉しくて、あんたのためなら、なんでもしたかった。
でも俺はあんたの仲間たちに受け入れてもらえなくて、結局、狭間で、あんたをぐちゃぐちゃにした。そんなつもりはなかったんだ。あんたを俺のものにしたかった。けど不幸に、するなんて思わなかった。
あんたをちょっとだけ恨んでる。俺は何もかも手に入れるつもりだった。アルを探し出して、あんたと遠くに逃げて。それを『不可能』と思った、あんたの判断は正しい。でも、あんたは俺を裏切って俺に背中を向けた事実は消えないさ。全部、俺のためだったとしても。
ちょっとだけ恨んでる。でも心から愛してる。もう生きてはいないだろうって皆が言った。俺もそうかもしれないと、気弱になった時は思った。けど、形見でも骨の欠片でもいいから見付けて、抱いていたかった。
みつかった、よかった。
ずっと抱いてるよ。
もうこれだけでいい。他にはナンにも要らない。
俺ほんとうに、何も欲しくないんだ。
好きな人と居れるだけでいいよ。
目を開ける。
見慣れた天井が見える。
俺の寝室にしてる、大総統府の部屋。
夢を、みてた。
「……エドワード……?」
いや多分、現実も少し混じってる。俺の左手は心配そうに覗き込んでくれる人の黒髪の後頭部を、繰り返し撫でてた。
夢の中と同じ形。カラダの骨格はずいぶん違ってるけど、これは以前と変わらない。頭頂部からの丸み、膨らんで窄んで首に繋がっていく曲線。
「大丈夫か。具合は?」
あぁ、これは夢じゃない。
大佐ここに居る。
そう思ったら、目蓋が熱くなって、涙が溢れてきて。
「エドワード。苦しいのか?」
心配そうな声で尋ねてくれながら、大佐がタオルで俺の目元を押さえてくれる。タオルは少し湿ってた。夢の中で俺はずっと泣いてたから、その間中、そうしててくれたらしい。
「何処が痛む。頭は?」
むねのなか。
ずきずき、いたい。
たすけて。
声は出なかった。代わりに左手に力を篭め引き寄せる。姿勢が崩れて、ベッドで仰向けになった俺の上に大佐が崩れてくる。肩を引き寄せ唇を合わせた。大佐はちょっと竦んだけど抵抗はしなかった。
「……、出るぞ」
声がして気付く。部屋には俺たち以外の人間が居た。俺の側近ってことになってるジャン・ハボックと白衣の医師。そうして俺の、『妻』ってことに、なってる女。
連中が出て行くまで、俺はキスだけで我慢した。姿が消えて扉が閉じるなり、
「ま……、ッ、なに……」
抱き締めた人をシーツの上に、仰向けに転がす。突然視界が反転して咄嗟に暴れかけた人の服をはだける。肩を裸にして、素肌に額を押し付けて、ぎゅうっと抱きしめて。
そのままじっと、していた。
「……、エドワード」
彼が、彼を抱こうともせずに縋りついてる俺に、困惑した声を出すまで。
「気分が悪いのかい?」
ううん。
今は平気。あんたが居るからね。
夢を見てた。何度も繰り返し、辛くて痛い夢。
あんたに死なれる夢をみたんだよ。
棄てられて、一人ぼっちな夢。
俺をまた、棄てるつもりだった?
「違うよ」
そばに居て。
「ここを出て行こうとしたんじゃない。ただちょっと、外で、風に当たりたかった。それだけだよ」
油断、してた。あんたが女の人になって、細くて力が弱くなってたから。俺はバカだ。その気になれば、あんたはここから、易々と逃げるだろう。
「違う。ちゃんと戻ってきただろう?」
前もそう言って俺を誤魔化して、肝心の場面で背中から裏切った。
「そう……、だね。恨んでいるのかい?」
「うん」
言うと、申し訳なさそうに俯く、あんたのその殊勝さが曲者だってことも、もう分かってるよ。
まぁ、でも。
抱きしめて、匂いを嗅ぐみたいに肩口に頭突っ込んで、しばらく息してると落ち着いてきた。気持ちの動揺も胸が痛いのも。体の位置を変えて、横に並んで、楽な姿勢で腕を廻すと、彼の方からもそっと抱きしめてくれた。
「俺どーなったの?」
昼飯を中庭で食って、午後の仕事はじめる前にあんたの顔見に部屋に戻ったら、あんた居なくて、俺は警報を鳴らして捜索を指示した。非常線を市内に広げるつもりで治安部隊の責任者を呼び出すと、そいつと一緒に、あんたまで出てきて。
顔見た途端、気が遠くなって、記憶はそれきり途切れてる。
俺、貧血かなんかで失神でもしてた?
「喘息の既往歴は?」
……あるよ。
大昔。覚えてないくらいガキの頃。
アルが生まれて、お袋が俺にあんまり構わなくなって、それで。
ガキにはよくある話だ。病気になって母親の、女の関心をひこうとしてたのさ。
「喉が笛のように鳴って、突然倒れたんだ。こっちの息が止まるかと思ったよ」
「心配させてね。ごめん」
「それは奥方に言いたまえ。医師が駆けつけてくるまで応急処置をしたのは彼女だ。てきぱきとね」
「あいつおれの『奥方』じゃないよ」
言い方に棘があったから釘を刺す。何度も繰り返した言葉。それは事実だ。だけど。
「……」
なんでそんな顔して、苦しそうなのに微笑む?
「なぁ、エドワード。女性の顔を潰してはいけないよ。さっきみたいなのはよすんだ」
さっきって、なに。
「奥方が居る時は、俺に目をくれちゃいけない。いいね?」
なにがいいのさ。言い訳ないだろ。
あんたに今度棄てられたら、俺ほんとに息を止めて死んじゃうよ。