S・Sex・Ten
報告書にサイン。左手で。
治安の回復、戦犯の処理、政治犯の釈放、戦犯たちの拘束。
一応ちゃんと、仕事もしてる。心は寝室に飛んでいても。
知ったような名前がリストに並ぶ。俺が一番、気にしてるのは、なかなか上がってこない。
「……マース・ヒューズってさぁ……」
複雑な名前だった。俺が好きになった人の最初の恋人。その人がふられた形で終わってんのが、俺にはちょっと気になった。だから半分は仇をとってやるような気持ちで挑発した、相手。
結果は酷いことになった。
「諦めろよ。網にかかねよーなタマじゃねーさ」
「自分で逃がしといて、態度でかいぜ、お前」
金髪のもと少尉を睨む。俺が掃討戦の指揮をとってるうちに、勝手に『処刑』しやがった奴を。肩を竦めて、そいつは笑い棄てる。こいつはあのことをどう思ってるんだろう。ロイ曰く『はめられた』んなら、恨んでたり憎んでたりは、しないんだろうか。
「中佐のせーじゃねぇからなぁ……」
俺はこいつも、昔は意識してた。俺の恋人に惚れてんのミエミエで、けっこういい男でずっとそばに居た。それが気に入らなくて挑発したのが逆効果になって、俺のに手を、つけさせた。
証拠写真を見た時はぶち殺してやろうと思った。でも今は、こいつのことはそんなに怒ってない。五年間、一緒に苦労してきたし、それに、こいつのせいじゃない。
「俺がやったことは俺の責任だ。誰の『せい』でもない」
俺がガキで、男同士のシビアさを知らなかった『せい』だ。挑発されれば牙を剥くオスの習性は普段、女子供に向かっては隠してある。いい女抱いた俺は、女かかえて潜行するべきだった。わざわざそのオンナとワケアリの野郎たちを、つついちゃ噛まれるのは当たり前。そんなことも、俺は知らなかった。
「これ持ってってくれよ、大将」
膨らんだ紙袋。かさのわりに、軽い。
「着替え。大佐、綿パジャマ好きだから」
そんなのは、俺は知らなかった。俺とロイの時間はいつも細切れで、駆け落ちの最中さえ、夕方に会って朝には別れる、そんなことばっかりで。
「お前さぁ、なに考えて、ロイを俺に差し出した?」
「大佐がどうしたいか分からなかったからだ」
「昨日、ロイとなに話した?」
「話らしい話しはしなかったなぁ。メシ食っただけだ」
「お前が呼び出したんだな?」
俺がウィンリィと中庭に出てることを承知で、そこがよく見える屋上に。
男がにやっと、声を出さずに笑う。
「知る権利あるだろう?ホントのこと全部知って、それでも大佐が大将をいいってんなら、俺が口出すことじゃないけどな」
「二度と、するなよ」
「するに決まってるだろ」
……コノヤロウ。
「なぁ大将。女房と愛人抱えてる男ってのは世間に珍しくないけど、両方納得させて幸せにしてるのは殆ど居ないんだぜ」
「ほっとけ。お前の知ったこっちゃねぇ」
「大佐それでもいいって言ったのか?」
「いった」
嘘じゃなかった。でも途端、男は酷く痛々しい表情になって。
「……かわいそーに……」
呟かれた声に、俺は反論の言葉を持っていなかった。
シン国の本体は補給線上の橋頭堡である東部から動かず、そこを拠点にアメストリス国内の掃討戦をやってる。首都占拠の俺にはココをどしんと押さえとく役割が課されて、まぁ、最近は、ちょっとは暇ができて。
「ただいま」
まだ空が明るいうちに仕事を切り上げて、部屋に帰れるようにもなってきた。
「お帰りって、言ってよ」
部屋の中には俺の恋人が居て、シャツを腕まくりしてるから何かと思って奥を見たら、ベッドのシーツを剥いでる途中だったらしい。
新しいリネンが籠の中に畳んで置かれてる。
「呼べばメイドがシーツ替えに来るよ?」
「奥方に挨拶してきたかい?」
「だから、俺の奥さんじゃないってば」
なんど言っても信じてくれないことに絶望を感じながら、それでも繰り返す言葉。
「俺うまれてこのかた、セックスしたのあんたとだけだよ?」
それは本当のことなのに、俺が好きな人は俺の言葉を聞き流す。「行っておいで」
正妻をたてようとする愛人みたいに、そんな風に言われてしまって溜息。長い睫毛の瞳に見詰められると逆らう気力もなくして。
「分かったよ……」
溜息をついて、一度は開いたドアをまた閉じる。門前払い、っていうのもおかしいけど、まあそういう扱いを受けた俺に、廊下の衛兵がビッと敬礼した。
ウィンリィと俺の寝室は階が違う。でもまぁ、歩いて二分とかからない南向きの部屋に、あいつのことは置いてる。こっちも確かに、大事な女だ。ご機嫌伺いくらいは義務かもしれない。俺の女じゃないにしても。
ドアをノックするとメイドが返事をして、俺は部屋に招きいれられた。ウィンリィは寝室の手前、リビングいっぱいに、布を広げてた。転がってるのは型紙や物差し、まちばりに裁ちばさみ。
妊娠がわかってから、こいつは医者に激しい運動を禁止されて、以来、重い機械やスパナを弄れなくて元気なかった。けどなんとか別の楽しみをみつけたしい。出産経験のあるメイドを雇い入れて以来、そのメイドに教わりながらベビー服造りに情熱を傾けてる。そんなことしてる様子が女らしくって、俺は見てて、なんとなく和んだ。こいつはきっと優しい母親になるだろう。
「よぉ。昨日、世話かけたな」
「まったくよ。びっくりさせないで」
こっちの女が元気になって、俺はやっぱりほっとした。アルから預かってる以上、痩せやつれさせちゃ俺の立場がない。
「メシちゃんと食ったか?」
「うん。まぁだいたいね」
「そっか」
よかった。そう思った後で、ふと思いついて。
「なぁウィンリィ。頼みがあるんだ」
「昨日、ホントにびっくりしたわ」
「今度会ったら、ってーか、会わねーか……。どーすっかな……」
「女の人だったけど、あの人だったね」
「お前のガキ、俺んじゃないって、言って欲しーんだ」
「あれあんたがしたの?」
違う。
でもなんとなく、俺のせいみたいな気がして。
「……あぁ。そうだ」
「あんたって、ホントに馬鹿よ、エド」
全くそのとおりだ。
「アルが今度『帰って』きたら、俺が潔白の証明をして欲しがってたって伝えてくれ」
「そんなに好きなの、あの人のこと。なんで?」
「じゃあな。また来る。なんか欲しいものがあったら言えよ」
「ばっちゃんがね」
出て行きかけた俺の足は、懐かしい名前に止まった。
「生きててくれたら、心強かったんだけど」
俺の親代わりだったピナコばっちゃんは、俺がシン国で足掻いてる間にこの世から居なくなってた。ちょっとした風邪をこじらせて、三日くらいの患いで逝っちまったらしい。
頼りにしてたばっちゃんに死なれた寂しさは俺にもあって。
「俺が居るだろ。なんでもしてやるよ」
故郷を離れて親類の一人も居ないこんなところで、ガキを産まなきゃならない幼なじみの心細さはよく分かったから。
「お前それこそ、俺の『妹』だし」
振り向いて笑いかけると笑い返したけど、心細そうな表情は解けなかった。気配り足りなかったかなと後悔しながら廊下を歩いて自分の寝室に向かう。基本的に俺は気が利かない男だ。特に女はどう扱えばいいのか分からない。十二の時から国家錬金術師やって、十五からは異国で傭兵やって、マトモな暮らしを知らないから。
「ただいま」
今度は入れてくれるんだろうな、って思いながら、俺がもう一度ドアを開けると、
「おかえり」
リクエストどおりの言葉を返してくれる人は、よく見ると服のサイズがあってない。そりゃそうだ、俺の服を着てる。
「差し入れ。ジャンから」
手に持ったままの紙袋を差し出すと首をかしげながら受け取って、中を見て笑い出す。厚手の生地の、緑色の、パジャマっていうより部屋着だ。動きやすそうな。
「嬉しい?」
笑っていたロイは、俺がじっとその表情を見てるのに気付いて微笑をおさめる。
「俺にも笑って。どうしたら嬉しいか教えて」
俺は本当に知らないんだ。どうしたらあんたが喜んでくれるのか。
「着たい?」
俺じゃない男があんたに買って来た服を。
「いや。君が不愉快なら、着ないよ」
「着せてあげる」
サイズがあってない俺のシャツを脱がせようと手を伸ばす。襟のボタンに手をかけると、びくっとしたけど、逃げはしなかった。
「ベッドのシーツ、替えてくれたんだ。ありがとう」
「……、エド、ワード。その……」
「はい、袖抜いて」
生成りのシャツを脱がせるとその下は真っ白な、もったいないくらいの素肌。膨らんだ胸まで裸で、痛々しくて、目を伏せる。
「……エドワード……」
どうしたらいいのか分からない。
「退屈だよな。することないもんな。……ごめんな……」
でもまだ、外には出せないんだ。いつも見えるところに置いておきたい。できればずうっと触って撫でて、そばに居て欲しい。
「ごめん。俺、ホントにあんたに、ナンにも出来ないね……」
「そんなことはないよ」
あんたはいつも、俺に優しいのに。
「君が抱きしめてくれるから寂しくない」
俺はあんたに、なんにも出来ないままだ。