S・Sex・Thirteen
我ながらなにかの病気じゃないかと思うくらい、よく眠った。その部屋に連れて来られたのは二度目。日当たりのいい部屋は自然光を室内に導きいれるために南面が全面、ガラス張りになっていて、更にその外側、テラスも二重のガラスに囲まれて、天気がいい日は部屋の中は、火の気がなくても、春のようだった。
病人でもないのに昼間からベッドのなかに居るのは抵抗があって、楽な部屋着姿でリビングのクッションにもたれる。屋敷の飼い犬だったらしいシェパードは再会を喜んでくれて、護衛のように、俺から離れない。その犬と並んで絨毯に横たわり、上体が埋もれる大きなのクッションの上で昼の半日を、ベッドの中で夜の半日を過ごした。
俺をここに連れてきた男は日に何度か様子を身に来たが、俺がうとうとしていると黙って出て行った。前もそうだった。なにも尋ねられない気楽さが心地よくて、意識を眠りの中に沈めて時を過ごす。病気でもないのによく眠った。他には、何も出来なかった。
何日か後の夜、男の帰宅時、珍しく起きていた俺を男は夕食に誘った。時刻からすると夜食が似合いだったが、夕暮れからずっと眠っていた俺も食事をしていなくて、二人で、暖かなスープと、白身魚のソテーと、黒パンとサワーチーズの夕食をとった。スープにはかぼちゃが裏ごしされていて、甘くて、美味しかった。
「大将が、大佐に会いたがってますよ」
男の言葉に、俺はスープの皿から温かな橙色を、掬うスプーンの動きを止めた。咎めるように男を見ると、男は軽く肩を竦めて。
「元気が出たら、一度、話をしないと」
そんなことを言い出す。俺は即座に、食欲を失って匙を置く。
「ちょっとだけでいいから、会って、ちゃんとした方がいいと思いますよ?」
「何を今更、どうちゃんとするんだ」
「ちゃんとさよなら、しないと大将も気の毒だし」
「裏切られたのはわたしの方なのに?」
「あっちは、そう思ってませんよ」
「お前はどうしてエドワードの味方をする」
「ずるしたからです。前も、今度も。俺知ってましたからね。好きな相手の不倫なんか赦せる訳ないって。だから、危機感があったんですよ、最初から」
あの弟が俺を排除しようとするって、お前は分かっていた訳だ。
「俺もね、昔、どーしたって許せなかったから。あんたと大将のこと。あんたのことレイプしてでも、別れさせるのが正しいことだって信じてました」
「……最初から」
「まぁでも、アルフォンスにあんたのこと触らせられない。あれはあんたを愛してませんからね」
「わたしは、負けているんだ、最初から」
そう最初から、俺とあの子の間にはあの弟が居た。……いや。
逆かもしれない。おの子の横にはずっと弟が居て、消えた隙間で俺たちは向き合った。あれは最初から俺じゃなく、弟のものだった。
『なに考えてるんですか?』
わたしが愛した相手の弟は、嫌悪と非難の混じった表情でわたしを見た。気持ちが悪いと罵った。変質者という指摘に抗弁の術を持たなかった。わたしは確かに、以前、歳若い相手に、猥褻な真似をしかけて、それは相手の『家族』に許してもらえることではなかったから。
『あなたには兄さんのそばに、居てほしくないんです。僕の気持ちは正当なものでしょう?兄さんにはもう妻と、じきに子供も生まれるんだから、あなたが邪魔なのは分かっているでしょう?』
分かっていなかった。偽装結婚だというコトバを薄々、疑っては居たけれど、こんなにはっきりだまされていたとは思わなかった。
『あなたのせいでウィンリィが苦しんでる。僕は、兄さんとウィンリィの幸福のためならなんだってしますよ』
昔から、彼らは仲のいい兄弟だった。禁忌の扉をともに開いた絆は固く太く、そこにはわたしの入り込む隙など、最初からなかったのだ。
『あなたは僕たちの恩人でした。それに、いくら偽者でも女の人の姿なのに、乱暴はしたくない。だから今すぐ、ここから出て行ってください』
でなければ乱暴をすると言っているんだ、ということは、ちゃんと理解できた。でも出て行けっていう言葉には従えなかった。そこはわたしの恋人の部屋で、ベッドは半分、わたしのものだと信じていた。
『兄さんに、二度と顔向けできなく、するにはどうしたらいいんでしょう。あなたの顔の皮でも剥けば、兄さんも目を覚ましてくれるのかな。無理ですかね』
さぁね、分からない。そういえばわたしは君の兄さんが、わたしの何処をどう好きか知らないんだ。セックスを最初に教えた、それだけの関係かもしれない。
『とりあえず、乱暴しておきますか』
金髪の青年が近づく。自分より高い位置から腕が伸びてくる。
『止めなさい』
怖いというより悲しくて、それでも声は普通に出た。
『君の言うとおりにする。だから』
『信じられませんよ』
『エドワードと、奥方が傷つく』
『あなたに騙されているよりもマシです』
騙したのかな、わたしは。
わたしを慕ってくる少年が可愛かった。太陽も月も欺くほど魅力的な男に成長して、それでもわたしを好きだというあの子に、何もかも差し出していいと思っていた。人生はとおに差し出していて、残っているのは、変わった体と、もう少しの時間。
わたしの人生はもう終わったから、いまさら何も欲しくはなくて、あの子を喜ばせてやりたいのだけが願い。わたしに触れて嬉しそうな顔を見ると、それだけで幸福になれた。
『あなたと居ると兄さんはぐちゃぐちゃになっていく』
糾弾の言葉が耳に痛い。そういえばせっかく手に入れた地位も権勢にも興味を示さないで、田舎で一緒にくらそうよって、わたしに優しい言葉を囁いた。
『僕は兄さんに、もとに戻って欲しいんです』
それだけです、と告げる弟から、それでも逃れようと身体を捩った、瞬間。
陶器の弾ける音。
ついで水音。ばしゃんと派手に、納まってからはぽたぽた。
電話の横に置かれた大きな花瓶が砕けていた。
『……ッ』
ぼんやりしたわたしとは対照的に、弟は機敏に動いて行く。部屋の電気を消して床に伏せる。
『大佐ッ』
同じように伏せろと、そういう感じで呼ばれたけれど、床に転がってまで狙撃手から逃れようという気持ちは起きなかった。
りんりんと、鳴り響く電話の音。
なんとなく予感がして、わたしがそれに出ると。
『俺です、大佐。無事ですか?』
落ち着いた男の声。機械音の混じった音声は、電話回線に無線電波で介入している時の独特の響き。
『アルフォンス・エルリックに言ってください。灯を点けて、両手を上げろって。あんたがそこから出るまで』
やっぱり、出て行かなきゃならないのか。
ならないんだろう。こいつまでそう言うのだから。
『俺は奥方の部屋を狙ってます。窓にカーテンが引いてあるから中が見えない。妊婦を撃ちたかないけど、あんたの無事には替えられない』
言葉を取次ぐまでもなかった。受話器から機械音まじりの声が漏れていて、床に伏せていた男がゆっくり立ち上がる。そうして壁のスイッチに触れて明かりを点け、要求されるまま、頭の後で両腕を組む。似合わない降参のポーズだった。
あの女の子のために、そうしているのか。
『大佐、部屋を出て。正面玄関から出て、南門のわきに車が止まってます』
それに乗れ、という指示に従うために扉へ向かい、出て行く前に、一瞬だけ振り向いた。再会から二週間の時を過ごした部屋。
……うそつきめ。
恨む気持ちの反対側で、よかったのかもと少し思った。
結婚した妻と、ちゃんと愛し合って、仲良く暮せばいい。
それは神聖な契約。裏切る事は、許されない罪だ。
「……、ます?」
痛い記憶を巻き戻していた俺は男の言葉を聞いていなくて、顔を上げると、食後の一服をふかしながら。
「これからどーします?」
にこにこ俺に尋ねる。なにがそんなに嬉しい。
「そりゃ嬉しいっスよ、。目の前に大佐が居るし」
セックス、するか?
俺はもう自暴自棄で、股の間の粘膜を、お前、使いたいなら、使ってかまわないぞ。子供が出来る訳でもない、無意味な器官だ。
「大佐が大将とちゃんと別れた後で、俺のこと好きになってくれたらね」
半ばまで吸い終えた煙草を揉み消して。
「何処でもついていきますよ、ボス。そこのそいつんトコにでも」
男の視線の先には。
コーヒーを飲みながら新聞を捲る男。
「大将倒して、今度はあんたが大総統、ってのどーですか?」
「興味がない」
「昔は目指してたのに」
「前世の話だ。今更そんなものに興味はない」
「助けてくれたら命を助けてやる、ってのはどーだ?ロイ」
新聞を畳みながら眼鏡の男は家主に向かって、空のカップを振ってみせる。悲しい習性で家主は立ち上がりながら、
「潜伏中の手配犯のくせに態度でかいっすよ」
サーバーから新しいコーヒーをついで手渡す。
「進駐軍総帥側近のくせに、潜伏中の手配犯匿うなよ」
「なかそういうの、馬鹿馬鹿しいですよねぇ」
肩を竦めて、男たちは笑う。
俺はまだ笑えず、それを誤魔化すためにカップを顔の前に持ち上げた。