Shark's Tooth No.1

 

 

 

 アッシュグレイの髪の相棒と違って、山本武は洒落た男ではない。

 知っている『美味しい店』は実家と大学近くの焼肉屋と定食屋しかない。髪はいつも帰省した時に近所の床屋で切って貰う。日常生活の中でイベントといったら、下宿の狭い風呂が嫌になった時に行く近隣温泉旅館の立ち寄り湯ぐらい。回数券を買ってタオルを持参すれば一回550円の贅沢。もっとも本日、獄寺は。

「なぁ、あの風呂って何時からやってんだ?」

 旅館のフロントの横を通って入る温泉をたいそう気に入った。池のような露天風呂にゆっくりと漬かって弛緩している様子は可愛かった。

「朝は、えっと、十時からだぜ」

 水炊きに白菜を投げ入れていた山本はその手を止め、回数券の表紙を取り出してみてやる。その旅館の風呂は深夜の清掃時を除いて入り放題だが、宿泊客で混雑する時間は立ち寄り湯をやっていない。もっとも平日は、すいているからいいよとフロントのおばちゃんが入れてくれることも多い。熟れた女には相変わらずウケのいい山本だった。

「おっしゃ、帰る前にも一回、寄って漬かってけるぜ」

「んなに楽しかったか?並盛湯はそんなに好きじゃなかったくせに」

「並盛湯はあんなに広くねぇし、色んな風呂もねぇし、でかい木が生えてねぇし、外の池に湯気がたってて人間が泳いでもいねぇ」

「はは。まぁ、確かになぁ」

 ヨーロッパにも温泉はある。特にイタリアは火山帯に属して国土に温泉が多い。しかしテルメと称されるそれらは病気治療を主な目的としていて、日本のように気楽なレジャーではない。清潔好きでは日本人とタメを張るイタリア男の一人として、獄寺隼人はいつも風呂が長い。その日常の『入浴』の延長として温泉を使える文化をよほど気に入ったらしい。

「てめぇいっつも、あの風呂に入ってんのか?」

「いつもじゃねーけど、時々な。広くてきもちいいしよ」

「いいなぁ。贅沢してやがる」

「はは。獄寺が気に入ったなら今度、湯めぐり帳とかいうの買って、近所の旅館の風呂まわってみようぜ」

「ンだそりゃあ?」

 つみれがいい具合に煮えて、水炊きの鍋のへりへぽこんと浮き上がる。つくねに生姜と醤油を混ぜて捏ね、つなぎに竜田揚げのモトを使って弾力を出したつくねを、豆腐と一緒に獄寺は口に入れる。山本の実家・竹寿司で作っているポン酢の風味とあわさって実に美味い。

「や、俺もよく知んねーけど、なんかクーポンみたいなのがあって、それ使ったら町中の旅館の温泉に入れるらしーんだ」

 地元の観光協会が発行しているチケットで、旅館によって時間の制限はあるものの、一般には立ち寄り湯をしていない施設にまでそのクーポンがあれば入浴が出来る、らしい。

「今度、くわしく聞いとく」

 バイト先の女子大生たちが話していたのを小耳に挟んだだけの知識で喋っていた山本は、大きな目をキラキラさせながら自分を見上げる獄寺に笑いかける。笑顔で事態を誤魔化したのだが、湯めぐりという言葉に目が眩んだ獄寺隼人は、おう、と答えて、また来るつもり満々のようだ。よかった。

 並盛高校を卒業して半年。頭の良かった獄寺は東京の一流大学へ進学、山本は地方の野球の強豪へ特待生として入学。夏の帰省では会えたけれどあわただしく、ホテルでカラダは重ねたもののゆっくり話しは出来なかった。

 今日はイタリア滞在中の沢田綱吉から獄寺にイタリア名物の詰め合わせが送られてきて、その中に山本の分があったから届けに来てくれた。分、の中にはDVDも含まれる。ヴァリアーのナンバーツーが派手にやっている百番勝負の。

「それ、見ねぇのか?」

 イタリアの瓶ビール、沢田綱吉が送ってくれたモレッカを上機嫌で煽りながら獄寺が、荷物の中から真っ先に取り出され机の上に置かれたDVDを目線で指し示す。山本の住まいは大学近くのロフト付ワンルームマンション。設備の整った野球部の寮もあるが入居希望者が多く、一年生は入れない。山本のようにレギュラーであっても。

「んー。獄寺が居るからさぁ」

「なんだそりゃ。俺には見せられねぇってことか?」

「まさか。ただ、見はじめると俺、喋んなくなるかも?」

「好都合じゃねぇか。見せろ」

 女王様が微笑む。仰せのままに山本はDVDをパソコンにセットした。ややあって画像が流れ出す。背景はどうやら乾燥地帯のようで、赤茶けた草原の真ん中でよく知っている銀髪が楽しそうに踊っている。活き活きとして、長い手足が躍動する様子には舞踏の美しさがあった。

「足なげぇよなぁ、コイツ」

 煙草に火を点けた獄寺がぼそりと呟く。その長い足の踵でガツンとやられた屈辱を思い出して顔を顰めた。戦いが終わって、固定カメラに派手な髪型のルッスーリアが映って、振り向いた銀色の鮫が笑う。今回のメッセージはなくそこで終わった。

「……すげぇツラ」

 真剣勝負直後の笑みは優しくも柔らかくもない。いっそ凶悪、獲物に喰らいつく瞬間の肉食獣のよう。黙って無表情で立てばお人形のような顔立ちが生々しい表情を浮かべて崩れているのは、なんというか、そう。

 オトコゴコロを刺激する。ベッドの中ではどうなのかなコイツと、想像せずにはいられない。イキ顔を連想させる目尻だった。

声もなく息も潜めてじっと画面を凝視する山本は、獄寺にすぐには返事もしない。意識が、気持ちというか魂ごとどっぷり、画面の中に引き込まれている。

「てめぇ、師匠筋にゃ恵まれていやがるなぁ」

 風呂に入りに行く前に冷蔵庫で冷やしておいたビールをもう一本、取り出しながら獄寺が少し本気の口調で言った。本気で少し羨ましそうに。

「俺なんかよぉ、けっ。クソ面白くもねぇ」

「……うん」

 ようやく魂が画面から戻ってきたらしい。山本はDVDを取り出してケースに収め、パソコンの電源を落とした。

「おい、アレ作れ、あれあれ」

 ビールをいい加減のみすぎて、もっと強い酒が欲しくなってきた獄寺が山本を蹴る。狭いワンルームに無理やりコタツを置いているから位置が近くて、実に蹴りやすい。

「この前のナントカカントカ」

「ああ、気に入ったのか?」

「美味かった。てめぇにしちゃ上出来だ」

「ライムねーからカボスでカンベンな」

「我慢してやるぜ」

 玄関から入ってすぐにあるミニキッチンに山本は向かい、冷凍庫を開ける。中にはグラスがちゃんと冷やしてある。この恋人が来る時だけそうしている。グラスの中に氷を三・四個入れてカボスの果汁を一個分絞り、目分量でゴールド・ラムを大体40ml、そしてメイプルシロップをたらり。メイプルシロップは恋人の、明日の朝食のパンケーキ用に買ってきたものだ。

 氷ごとガシャガシャと、ひっくり返した箸でシェイクして、それからソーダを注ぐ。それだけのカクテルだが獄寺は気に入っている。そのカクテルの、名前は。

「てめぇ、アレには純情だなぁ」

 カボスの皮を飾った、背の高いグラスを受け取りながら獄寺が笑う。

 Shark's Tooth No.1。鮫の牙イチバン。新歓コンパでホテルのバーに連れて行かれ、見たことも聞いたこともない洋酒の瓶とお洒落な果物と、一杯が1800円からという価格のメニュー表にクラクラしながらも見つけたもの。

「……うん」

 同じものを作って壁に背中を預けながらコタツの中に、入った山本は否定せず俯いた。甘みの少ない爽やかな味の、カクテルにしては珍しく舌ではなく喉で味わうタイプの酒。それは少し、あの銀色の鮫に似ている。

「怖いダンナが居るんだぜ?本人もこえぇけど」

 二人の関係において、山本が抱いている慕情は裏切りになる。けれど獄寺はそれを咎めたことは一度もない。咎めるどころか面白そうに、眺める目線はオンナではなくオトコのものだった。身の程知らずに高嶺の花に憧れるダチを、面白がりながらちょっと同情していないでもない、そんな感じの。

「ヤリてぇワケかぁ?」

「……多分」

 裏切りの告白、というほどの深刻さもなく山本は呟く。

「欲しい、んだ」

 セックスを含めた全部に憧れる。強さも鮮やかさも、あの才能も覚悟も。眺めていると喉が渇いてくる。ギラギラ焦がれる欲望は、目の前のアッシュグレーの髪をした相棒に抱く優しい愛情とは異質な気持ち。掴んで握り締めて悲鳴をあげさせたい、と、こういう恋もあるのかと、若い男をわれながら驚かせた衝動。

「苛めて、みたいのな」

「ヘンタイ」

 けらけらと獄寺は笑う。自分に顎の先でこき使われて諾々と、嬉しそうに従う甘いオトコがあの銀色にはキツイ目をしてみせるのが新鮮で面白い。

「ま、DVのダンナ持ってるよーなのは大抵、そういうのソソル性質のオンナだけどなぁ」

「獄寺」

 山本がカラのグラスをコタツの上に置いて。

「上がろうぜ。布団、干しといた」

 恋人の手をとる。ロフトは膝立ちするには十分な高さがあり、ダブルの布団を敷いても余る幅もとられている。

 そこへ上がってセックスしよう、という誘い。

「片付けなくていいのかよ」

「そんなの後で俺がしとくから」

「ふん」

 掴まれた手を引かれ、獄寺隼人は素直に立ち上がった。すぐに拗ねるこのへそ曲がりにしては珍しい素直さで。

「大丈夫か?足元気をつけろよ?」

「ンなに酔ってねぇ」

 言いながら梯子を登ってロフトへ。天井裏のそこは秘密めいた空間で、獄寺は少しときめく。ときめく、といえば。

「……ん」

 脱ぎながら、それさえ待てないという風に唇を重ねてくる、オトコの。

「ちょ、おい、がっつくな、って」

 さっきちらりと見せた凶暴な横顔に。

「ん、……、ふ……」

 ときめいた。ふるっと、した。

女王様気質の獄寺にはごろんとハラを見せたがるオトコばかりが寄って来る。撫でてと急所を見せられて踏んでやると悶えて零すような。

「獄寺……」

 名前を呼ばれる。でも目は開けなかった。開けたら見えるだろう優しい笑顔より、さっき眺めた横顔の方がイイから。

「獄寺、好きだ。……、ダイスキ」

 甘い告白。柔らかなキス。

 重なるハダカのカラダは重い。硬くて重量感が在る。ぞくぞく、する。筋肉の形に隆起した腕の感触がセクシーだ。でも、おずおずとした優しい触り方で魅力半減、セックスアピールは台無し。

(こんな、ごっこじゃなくってさ)

 俺にもいっぺんあの凄いツラを向けてみろ。力いっぱい、その固い指先で掴んでぐしゃって、俺を破いてみろ。俺はお前を多分好きだ。

(でなきゃエロいことするわけねぇ)

 いっぺん俺も、苛めて泣かせてみろよなぁ。リボーンさんに天性って言われた殺気の本性を真正面から向けてみろ。笑って睨みながら啜れ。

(出来たら本気で、惚れるかもしれねーぜ?)