本日もかわいそうな近藤さんのお手紙を。

資料を漁ればあさるほど、近藤さんの手紙には苦難のあとが見えます。その点、土方さんのにはどこか余裕というか甘えというか、部屋住みの気楽さがあります。

ひーちゃんが京都で鬼のように頑張ってる噂が届くたび、『あんな優しい男が』と、郷里の人は不思議がっていたそうです。
さてこの手紙、あて先はひーちゃんの義兄・佐藤彦五郎氏。文久三年の10/20の日付です。

芹沢鴨を排除して新撰組の実権を握って一ヶ月の頃です。下記のひーちゃんの気楽な手紙とまぁ、比べてみてください。

『(前略)老父病気如何御座候哉彼是御配慮之事奉存候随而拙宅留守中者御厚情相成。

「病気の俺の養父のことを気遣ってもらってありがとうございます。女房と子供も世話になってます」

其上稽古場家根之是亦難有奉存候門葉御取立之義 別而難有仕合奉存候

「留守の間の門弟たちの稽古や道場まで世話してもらって、なんてお礼を言ったら言いか分かりません」

京師ニおゐて茂文武館相建申候いつれ東下之義来陽ニ茂可相成与奉存 候間其内者可然様御世話奉希候

「京都でも文武館っていう道場を建てました(←そのような事実は確認されていません。壬生寺の道場にそういう名前をつけていたのかもしれません)いずれ江戸へ戻ったら、本当に重々、お礼を申し上げようと思います」

土方氏も無事罷在候「ひーちゃんは元気でがんばってます」(佐藤彦五郎への手紙には欠かせない一言)(中略)

扨亦金弐給両差送り申候間去ル二月借用分家根替分御請取置被下度。

「お金20両、お送りします。今年の二月に借りていた分です。あの時は本当にありがとうございました」(後略)』

 


ひーちゃんが「もてて困ってますー」などと書き送っているとき、近藤さんは一生懸命、借金の返済をしていました。

2月といえば清川八郎に率いられて京へ出てきたばかりの頃。清川に逆らって京残留は決めたものの、お金がなくて苦労していたのでしょう。

後日、近藤さんは仲間たちから、

「天狗になって威張ってるよなー」と不平を持たれるのですが、こんな苦労もしていたんだよと、庇ってやりたい気がする昨今です。