ひーちゃんと男色

 

 

 史実のひーちゃんに、男色だった性向は一切見受けられません。もっとも、最初の奉公先から飛び出してきたのは番頭に衆道関係を強要されたからだ、という説もございます。当時の大店の奥向きは、男ばかりが1235くらいまで独身でゴロゴロしていた訳ですから、そっち方面の問題はそりゃあ深刻でございましたので、ナニとかカニとかはありえる話ですが、ひーちゃんが部下に手を出した事実は一切確認されていません。

 

 と、握りこぶしで主張するのは数年前、あんまりな論文というか随筆を読んだからです。世の中には素人より不勉強なプロが往々にしております。その方が「ひーちゃんはホモだった!」と主張していた根拠は、これです。

 

 

「当時田村銀之助は歳15岩城平藩のものにして新選組に入り土方歳三に従いて大に愛を受く、実に美貌にして衆に秀づ」
(彰義隊・寺沢氏の手記より)

 

 

 歴史好きの方ならこんなの、ホモの証拠になりゃしないのは重々ご承知でしょう。当時『愛』といったら現代の『恋愛』という定義をこえて広い言葉です。本当に子供だったので新撰組隊士というより使い走りというか、土方歳三の従者という扱いで函館に来ています。近侍して可愛がられたのは事実でしょうが、こんな短い文章でホモにされてはひーちゃんも銀ちゃんもあんまりです。そんなこと言うなら近藤さんはひーちゃんを『吾子(あし)』と人前で呼んでおりました。佐倉藩の公用方、依田学海に近藤さんがひーちゃんを紹介した時のことですが、要するにわが子のことです。広義では自分より幼年のごくごくごく親しい相手。ホモの義兄弟だってぬけぬけと相手をこうは呼ばないだろう、というくらいの呼び名です。依田学海も驚いたから書き残したんだと思われます。「おまえ」を通り越して「うちの」というか、「おれの」というか。それでさえもホモではなかったのに〜♪

 

もっともこの証言者・寺沢正明さんはどーもホラを吹く癖があって、いや単に観察眼の足りないおっちょこちょいなのかもしれませんが、イバハチの『右手を切り落とされたときの手術を見た』と言ってみたり(いうまでもありませんが切り落とされたのは左手首)『土方歳三は函館山を登って人馬ともに狙撃された。一人でのぼるのも大変な山に馬を駆った、立派に最後だった』と言ってみたり(ひーちゃん戦死時、函館山及び市内は政府軍が押さえていた。孤立した台場(当然ですが岸壁)を救援しようとして一本木関で戦死したというのが定説。一本木はほぼ函館駅前、函館山までは車で15分でした)(いくらひーちゃんがおちゃめさんだって山と海は間違えないよ)(バチ当たりにも少年時代、故郷の高幡不動尊の山門によじ登ったことならあったらしいですが……)。

 

 小姓にも側小姓と色小姓がある!小姓とくればみんな寝床にひっぱりこんでいたのは誤解だ!

 いくら保元の乱をはじめとして、日本の歴史はホモたちが動かしてきたんだとしても。

 

 せめて武田信玄の「俺は源三郎とは寝ていない無実だ!」という手紙があるとか、保元の乱の『台記』みたいに「慮外の振る舞いあり。(やるつもりがやられちゃったらしい)……でも気持ちよかった。(ポッ)」(他にも「本意を遂ぐ」「濫吹を行ふ」「臥内に引入る」「懐抱す」「共に精を漏らす」「かの人、はじめて余を犯す」)という記述があるとか、織田信長みたいに正月の宴会で酔っ払って下座におりてきて前田利家のヒゲをひっぱりながら、「なんだよ、ヒゲなんか生やしやがって。こいつ昔は美少年でなぁ、俺は若い頃、何回寝床に引っ張り込んだか知れないぜ」とかのぶっちゃけがないと証拠として弱いです。ちなみに居並ぶ家臣たちは利家を羨ましがったそーです。実際、信長のえこ贔屓で利家は次男だったのに前田家を継いでます。放り出された長男が『花の慶次』のおとーさんです。

 

 田村銀之助氏ご自身はひーちゃんの死後も榎本・大鳥に庇われて五稜郭でともに降伏、政府軍に身柄を拘束されるものの若年(15歳)だったため数日で外出自由の半開放状態になります。長生きされまして、後年、史談会で当時のことを語ったりしています。一貫して戦闘には参加せず、函館戦争時は彰義隊出身の養父・春日左衛門が重傷を受けて五稜郭内で、伊庭八郎と同じ部屋で伏し前後して息をひきとる、その看病もしていました。だから彼の、「イバハチの遺体は土方さんと並べて兵糧庫の裏に埋めました」という証言には信憑性があります。

 

 ……なんの話でしたっけ。

 

 そう。

 ライターは選んでくれ小島資料館さま、という訴えでした。

 せめて専門家の検閲を通してください、小島資料館さま。

 

 その点、少年じゃんぷはしっかりしているなぁと思います。スナックすまいるで十四郎さんと九ちゃんがガチっと白刃を交わしたとき、抜刀途中の十四郎さんは左手で鞘引きしていました。あれはさすがでした。

 

 ちなみに私の夢は『台記』をいつか超約・小説化することです。ボーイズラブどころの話どころじゃありません。さらに余談ですが、ホモホモ大合戦についていけず、院政期の研究をやめた学者を二人知っています。男ってヤワーイ。