さて本日も、『同時代人の証言』を、ただし昨日の分とは違って、今日の証言にはまた聞き・発言者不明の分を含みます。

最初は、これははっきり日時も場所も分かっていますので昨日の分なみに一級一次資料ですが、発言者は松前藩士・渋谷十郎さん。「戊辰十月賊将ト応接ノ始末」より。慶応四年の10/27、函館の亀田屋旅宿で幕府脱走軍(松前藩側の証言)の陸軍を仕切っていたひーちゃんとご対面。「それで、俺とやるのか、どーなんだ?」と聞かれた渋谷さんはナンとか誤魔化そうとします。その時、ひーちゃん、『歳三、艶然として曰く。』(原文ママ)(脚色ナシ)(艶然ですってよエンゼン!34の男に向って敵対勢力側の同じ男が、艶然!)「やるしかねぇみたいだな」戦争になるな、と、笑いながら言ったひーちゃんに胸を蹴られた渋谷十郎さんでした。(艶然……)(こっちは呆然だよ)。
 えー、気を取り直して、次は箱館戦争まで一緒だった、桑名藩士の関川代二郎さん(1838年生まれ・蝦夷についていく為に新撰組隊士になった。ひーちゃんより23歳年下です)は後年、酔っ払うと『土方歳三は本当にいい男やった』と話していたそうです。ただこれは、容姿のことか気風のことかは分かりません。ちなみに桑名藩主と会津藩主はご兄弟です。

三番目は、五兵衛新田村の村人たち。ここらあたりからは二次資料、記者や研究者の聞き書きになってきます。『役者にでもしたいような男前だったよ。勇よりずっといい男だった。あまっちょ(女の子)達が大騒ぎをしたもんだよ』流山に行く前に、ひーちゃんは潜伏の退屈に紛れてこの村で釣りをしていたそうです。近在の女たちが、『いやーん、いいオトコォ』『ちょっと寝てみたいね』なんて騒いでいたそうです。モテ男め。

関係ないですがそれと前後する時期、同じく潜伏中の近藤さんは退屈の余り潜伏先の台所仕事を手伝い、きんぴらにする牛蒡を刻んだとか刻まないとか。こっちはその家の口伝なので未確認です。でもこのギャップがいかにもなカンジがします。あの手で刻んだきんぴら、美味しかっただろうな。

次は会津の白虎隊に出入りしていた(おにいちゃんでも居たのかな?)女の子の手記です。ほんの1113歳の女の子ですが、白虎隊に遊びに来た土方さんのことを、『すごくカッコよかった……』書き残してくれてありがとう!

次は長州藩に残る言い伝えで、京都で身柄を拘束されたけど解放された(長州が京から追われる以前、新撰組発足当時のことと思われます)某藩士が語ったその時のこと。『大男で、抜き身の刀を肩に担いで、おっきぃ目をぎらぎらさせながら歩いてました。夜でも(新撰組副長の土方だと)すぐ分かるくらい色が白くて、整った顔だからむしろ怖かったデス』

以上、あらゆる妄想や創作を越えて、史実が一番劇的な男・トシちゃんでした。さて、明日は福地桜痴の一挿話を。歴史好きの方ならピン、とこられたでしょうが、アレです。ただし明日の目の付け所はひーちゃんの美貌ではなく、伊庭八郎との仲、です。