本日のお題は『同時代人の証言』です。土方さんに直に会った方々の口から、ひーちゃんの美貌を語っていただきましょう。人格は無視して容姿のコメントだけひろっていきます。
まずは「僕京都でももててまーす」とひーちゃんがふざけた手紙を送った小島鹿之助さんによると、『身丈五尺五寸、眉目秀麗ニシテ、カナリ美男子タリ』簡潔にして要を得ています。ありがとう!
次は昭和13年で生きた最後の新撰組隊士・稗田利八さんイワク、『黒い紋付・仙台平の袴姿の土方先生は、いい男ですから、一万石や二万石の小大名には見えました』
京都で居候していた八木さんち(壬生寺のお隣の豪商)の息子さん、当時は子供だった人がいうには。、『土方は俳優みたいないい男だったと父がよく言ってました。黒髪がツヤツヤでふさふさで、目がパッチリして引き締まった顔つきでした。無口でした。一つ違いの近藤より若く見えました』
仙台で一度だけチラッと会った、二本松藩の安部井磐根さんは、『色は青い方でした(色白ということか)、躯体もまた大ならず(身長はなかなかあったので身幅のことでしょう。撫で肩の細身だったという別人の証言あり)、漆のような髪を長ごう振り乱してある、ざっと言えば、一個の美男子と申すべき相貌に覚えました」ざっとなのに詳細な観察をありがとう!この仙台でひーちゃんは奥羽連合の総指揮官にはなれませんてしたが、美男子の英名を百三十年ののちにまで残しました。
「漫談明治初年」で京都文武道の学頭となった内藤七太郎の供で上洛した水峰秀樹は『新撰組の近藤勇や土方歳三達が、無暗に人を斬ったりはったりする人間とも見えず、ことに土方の如きは役者とでもいいたいくらいの色男然たる風貌であった』と言ってます。
義兄佐藤彦五郎さんの息子、ひーちゃんには甥っ子にあたる佐藤俊宜さんイワク、『土方は親類です。なかなかいい男でしたがちょっと威張ってて、近藤の方がカンジよかったです』甲州出陣の時に日野に寄った時の証言です。子供の頃あついお風呂に無理やり一緒に入れられたことを恨んでいたのかもしれません。
中には『短小蒼白、眼光人を射る』というのもありますが、当時の男性の平均身長は158センチ前後ですので、170近いひーちゃんはきっぱり長身です。ただ猫背気味だったという説もあります。
ひーちゃんを罵っている側の証言にも、『ブオトコー!』というのはありませんでした。が、『伊東甲子太郎の方がいい男だった!』と、油小路で決闘した方々の一人が言っています。こちらも天下に知られたハンサムでしたから、甲乙つけがたかったのかもしれません。うーむ、まさか油小路で、どっちが色男なのか争った訳ではないと思いますが。