なんだか景気の悪い話が続いたので、本日はグッと艶っぽく、ひーちゃんが女に送ったお手紙を、ひとつ。

あて先は小島キクさん。万延元年(1860年)ひーちゃんピチピチの(うそです。当時とすればけっこういい歳です)25歳。

お相手のキクさんは当年とって58歳の、後日、ひーちゃんが「もて自慢の手紙」を送る小島鹿之助さんのおかーさん、です。

 

猶々御用ひよふの義ハ、壱かひを三日くらひに而よろしく候間、左様御承引下可被下候。余り沢山は不宜と申事ニ候間、此段申上候。乍末皆様江よろしく願上候。猶伯父君様ニハ別段よろしく申上候。以上。猶々御出ニ而恐入候得共、御風之義ハよろしく御座候哉、御伺申上度拙家兄も御案し申上候。以上。

「(薬を)飲む時は一度にたくさん飲まないでください。あんまりたくさんはいけないっていいます。おじさんお元気ですか。最近お会いしませんがみなさんお元気ですか。うちのアニキ(こちらは生家の実兄と思われます)も心配してました」

一寸奉申上候。

然者先日御噺申上候御薬之義、品見ニ御座候間、少々さし上候。御用ひ被遊候而御様子柄よろしき御座候ハゝ、早々御申こし被遊候。御紙面参次第、早々取よせ御届ケ可申上候。先者早朝取込不文御用捨可被下候。早々不具。極月二日

 

石田歳蔵拝

 

小野路

  小島御老母様

 

「そうそう、この前、お話していた薬(風邪薬なので、石田散薬ではないと思われる)があったから、ちょっと差し上げます。

もし効いて具合がいいようであれば取り寄せてもっと送りますからそう言ってください。じゃ、早朝でとりこんでいますんで、これで。トシちゃんより」

 

この時代、名前の字には、あまりこだわっていないようです。自筆で署名を歳『蔵』と書いています。

近藤さんが山南さんのことを参南、と書いたのも見たことがあります。

ちなみに、最近よく見かける、「土方と沖田と実はナカヨシじゃなかった!」説に、私は反対です。何故なら、一緒によく遊里に行っているからです。

男は女遊びには仲良しとしか同行しません。加えて日野に、『土方の名前だけどあきらかに沖田の筆跡』の年賀状が残っています。

「芳三郎さんちに年賀状か、俺のもついでに書いといてくれや」

「オッス。ちょ、名前(花押)だけは書いてくだせぇよ」

「ああ。そうだ、俺の実家にも頼む。お前書くだろ?」

「書きますけど……(実家にそれでいいのかよ、モロバレじゃね?)」

という、年末の会話が聞こえてきそうです。