恒星の白

 

 

 藤堂塾第二戦、Dの真価を賭けたプロとの戦いは終わった。藤原拓海の勝利で、終わった。

「……藤原ァ」

 今回、出番の無かった啓介が殊勲者に近づく。相変わらず亡羊とした顔つきのまま、拓海はぺこっと頭を下げる。

「おめでとーよ」

 棒読みだったけれども言って、

「はぁ、どーも」

 棒読みの言葉を返される。それがチームメイトとしての、一応の義理。そんなこともで彼らはDの内部で学んでいく。いずれプロになった暁には、先輩を差し置くことも後輩に指し押されることも、日常茶飯事になるだろう。

「ところで、よ」

 咥えていたタバコの灰を落として啓介が、拓海を物陰に引き摺っていく。ドライバー同士の何か込み入った情報交換でもあるのかと、メカニックやスタッフたちは気をきかせ遠ざかる。ざわめきからやや距離を置いた人気のないコーナーで、

「気づいたか」

 主語を抜かして啓介は問いかけ、

「はぁ」

 抜かしたままで藤原拓海は頷く。

「よくまぁ、のこのこ、出て来やがって……」

 忌々しげに啓介が舌を鳴らす。

「なんで、あんなトコに居たんでしょーね」

 不思議出だと、拓海は首をかしげた。

「藤堂塾のOBなんでしょう、あの人」

「らしーな」

 詳しくは知らない。

「いくら藤堂塾でも、まさかあの腕で、誰かのケツについてたってことはありません、よね」

「……」

 あの男の腕を直接は、知らない啓介は黙り込む。

「あっちに顔出せば車ごと、いい場所、あけてもらえたでしょうに」

「……」

「なんで、そーしなかったんスかねー」

「……」

「ねー」

「……分かってんだろ」

「まー、ナントナク」

「……」

「向こうに立つのが」

 藤原拓海は視線を藤堂塾たちへ向ける。衝撃を隠しきれない一団に。

「ヤだったんっスよね、やっぱ」

 古巣なのに。おそらくは最近あがった、有数のOBだろうに。

「りょーすけさんの」

「言うな」

「はー」

 それから、暫くの沈黙。

「つまり、俺たちの応援ってコトだな」

「はー、まー」

「是非とも礼をしなけりゃな」

「どーすんですか」

「考えがある」

「……」

「お前今、ナニ考えやがった」

「べつに」

「嘘つきやがれ。バカの考え、とか思ったろ」

「なんすか、それ」

 とぼけているのか天然か、藤原拓海の本心が測れないまま、それでも啓介は拓海の脛を蹴りつける。上手に避けた拓海は避けた勢いのまま報復に出るが、啓介もうまくステップを取って避ける。

 傍目には対プロ戦の勝利に浮かれるまま、じゃれあっているようにしか見えなかったが、本人たちはけっこう本気だった。

「それじゃ、撤収するとするか。ワゴンは先発してくれ。涼介、お前はどうする?」

実務家の史浩の問いかけに、

「今日はFCで直帰する。反省会は来週だ」

 答える涼介の声を聞くまでは。

 

「アニキぃ」

「涼介さん」

「提案があんだけどよ」

「お願いが、あるんですが」

 ダブルエースにそう、声を掛けられた涼介は。

「なんだ?」

 振り向き微笑む。天女も裸足で逃げ出しそうな艶やかさで。

「せっかく遠出して、ギャラリーも多いじゃん」

「俺、一度も見たことないんですよね」

「やろうぜ、久々。ファンサービスに」

「パラレルドリフトって、是非」

「……お前たちが?」

 隠しきれない喜びに満ちていた涼介の表情がふっと翳る。技量が不安なのではない。ただ、どちらかが先行しどちらかが後を追う、その位置がまずい。かつて弟の啓介とそれをするとき、涼介は常に後ろについていた。後追いがより力量の要ることを、目の肥えたギャラリーたちは知っている。

 二人のエースドライバーに、序列がつくのは、マズイ。

「アニキもいれて、三人で」

「涼介さん、真ん中でお願いします」

「俺たちゃアニキに合わせてくよ」

「あぁ、」

 それならいいと涼介は頷く。勝ち戦の、上機嫌のまま久々につれてきた白い美しい車体に乗り込む、姿を眺めながら。

「今日勝ったのは俺ですよね」

「……俺たちだ」

「そうでした。啓介さんも、囮、ご苦労様です」

「イチイチ腹たつ奴だなお前はッ」

「なのにまんまと、持っていかれるのは、ヤです」

「俺もだ」

 FDとハチロクにそれぞれ乗り込み、エンジンを掛けた。恋愛感情、ではない。かといってそれが全くない訳でもない。要するに、誰かに独占されてしまうのが嫌なのだ。黒い車に乗って涼介の名前を呼び棄てるあの男に、渡すのが、とても辛いのだ。

 頭が良くて強くて優しい、この人を。

 とられるのは……、寂しい。

 

 トリプル・パラレル・ドリフトで峠を駆け下りる。

 殊勲の藤原拓海が先頭、真ん中に涼介、その後ろに啓介。伝説の白い流星・高橋涼介まで混ざってのギャラリーサービスは峠全体をどよめかした。しかし。

(……きっ、ちぃ……)

 サンバーン・イエローの車体のの中で啓介はギャラリーたちの反応を愉しむどころではない。目線は前方の白いFCの、動きを一瞬も見逃すまいとして、両手両足はその動きに添おうと必死の切り替えを繰り返す。

 正直、パラレルドリフトの、後ろがこんなにキツイとは思わなかった。しかも、前の車は、時々、遊ぶ。

 タイムアタックではなく、ショーなのだと言わんばかりに、派手にタイヤを滑らせて。

 ギリギリまで孕んでキュッと、鋭角にたちあがる。

 姿勢を変えて、駆け出す。

 それを必死に追いかける。緊張感が高まる。ソレは同時に、幸福でもあった。

 ……愉しい。

 タイムアタックやバトルとはまた違う楽しさ。車を手足のように操って、思い通りの軌跡を描いていく快感。それに、骨の髄まで満たされて。

 目的を、忘れた。

 麓近くの、最後のS字コーナー。ド真ん中で失速したFCの、見えない糸に導かれるように白い車体を追い越し前方で、ターンに入ったハチロクに合わせて滑る。交差する曲線を縫うように、見事な加速でFCがすりぬけていく。

 見惚れるしかない、見事さだった。

「……」

 待避線に車を寄せて。

 藤原拓海と、車内から、並んで見送る、FCの後姿。

 ……まぁ、いいや。

 どうせかえって、戻ってくるんだから。

 二台の横を夜色のエボが通り過ぎていく。

 ひっかける、つもりが引っ掛けられて、それでも。

 見事さに、文句を言う気力さえ奪われる。

 誰より、何より、美しく流れてゆく白に。

 

 部屋に戻ると、先客が居た。

 勝手にビールを取り出して飲み干し、勝手にベッドの上にあがり、勝手に上着を脱ぎ捨てて、京一のワーキングパンツの前に指を掛ける。

「……ご機嫌だな」

「当たり前だ」

 間髪いれずに帰って来る返答。若い才能を磨き上げ砥ぎ澄まし、勝ちを手にしたばかりの夜。しなやかな肢体は最初から興奮しきっていた。前を開いて取り出した京一の、凶器に舌を這わせる。怖いような質量の楔に。

「つめてぇ」

 唇が、舌の感触が。冷えすぎのビールを飲んだばかりだから?

「いっぺん、離せ。ん?」

 言われて涼介は未練ありげに先端を唇で扱き、軽く歯を当てながらずるりと蛇を吐いた。顎に手を掛けて引き寄せ京一は唇を重ねる。舌で口内を、はの裏側も舌も頬の内側も、柔らかな粘膜を貪る。代償に熱を与えながら。

「……、ン、ん」

 自由になるなり涼介は再び伏せて、京一の欲望に奉仕。ハヤクシロ、という意思表示だ。濡らさせ育てさせて京一は涼介を引き起こした。

 期待に震えて、欲情に潤む身体に、踏み込む。

「あ……、ァア、ッ、ン、」

 ベッドのスプリングの軋む重い音がまるで、身体の内側から聞こえてくる気がして。

「ん、きょー、チ、きょ……」

「……うん?」

「うぅ、……ん」

 揺らされる、衝撃の底から快楽を汲み取る。

 貪り、啜り、溺れていく。勝利の熱が冷めない身体のまま。

「……おめぇって、奴ぁ……」

「ダ、めだ、……トメル、な……ッ」

「大した男だぜ。分かってたこと、だけどな」

「……、あ、アーッ」

 淫蕩に乱れてゆく肢体。

 下肢の狭間は、痛いほど震えている。

 

 恒星は、白いほど、高い温度をその身の内に、篭めて……。