烏瓜・2

 

 

 

 呼び出された先は、憲兵隊の隊長室で、俺を呼び出したのもそいつの筈だった。情報部将校として長く務め、内部告発を誘導する手腕はピカイチ。大総統からの信頼も厚い准将。

 士官学校を卒業して一年、中尉に期限前昇進したばかりの俺に、そんな偉いのがナンの用だよと、俺は最初から警戒心を抱いてた。同僚の中には栄転か昇進の知らせじゃないかと俺をつつくのも居たが、そうじゃないことを俺は知っていた。

 栄転や昇進、そういう知らせは、マエフリが長い。

 来るぞくるぞとあっちこっちから、予告や前触れがあって、こっちがうんざりした頃にやっとぺらっと、辞令が舞い込んでくる。そういうものだと、俺は知っていた。

 だからナニゴトなのかって、どきどきよりうんざり、最初からしながら指示された時刻に隊長室を訪れ、秘書官に導かれて置くの執務室に踏み込んだ、途端。

 俺の警戒心の、針はレッドゾーンを振り切った。

 隊長はそこに居た。自分の執務室なのに、ソファの置かれた応接用の一角に背すじを伸ばして立っていた。そうしてふかふかのソファには、隻眼の国軍総統が、優雅に紅茶のカップを持ち上げて。

 アールグレイの馥郁とした香りが部屋に満ちて、俺の鼻腔まで満たした瞬間を、俺は昨日のことみたいに覚えている。

 咄嗟に敬礼をした。そして氏名と、階級と、所属を名乗って踵をあわせた。ご苦労と頷いて、大総統閣下は俺を手招いた。自分の向いのソファへと。

 ……それが、入り口から遠い、奥の。

 上座の場所だったから、俺はもう、どうしていいか分からないくらい混乱した。

 二十一だった。自分の将来に対しては自信満々だったが、今はまだ駆け出しだっていう自覚も持っていた。それが階級が六つも上の隊長を立たせて、大総統閣下より上座に手招き、されてみろ。

 戦地で敵軍に背後から機銃掃射されるより、ビビる。

「突然で驚かせ、たいへん申し訳ない」

 その上、軍で一番偉い男にそんな風に詫びられて、やがて俺にも、紅茶が運ばれて来たが。

 それを取次いだのは隊長だった。給仕も秘書も室内に踏み込ませずに、トレーを受け取った准尉は自分でそれを運び、俺の前に置いた。

 そこまでされると、逆に腹が据わる。

 そこまでされる、心当たりが一つだけ、あった。

「来て貰ったのは他でもない。君の恋人のことなのだが」

 ほら。

 おいでなさったぜ。

 俺は薄々、聞いていた。ロイ本人からもその周囲からも。学生時代に国家資格を取得した友人は、士官学校を卒業するなり少佐に任官され、今はその職務を見習うべくグラン将軍の側近として職務についている。そこに時々、用もないのに大総統閣下が顔を出すことを、俺はロイの口から直接に聞いた。夜更けに、裸で、抱き合う事後の倦怠の中で。

 資格試験の時から、閣下はあいつに、特別に親しげだったらしい。合格のあとで引き止められて食事、そしてその後もことあるごとに、自分から足を運んで顔を見に通う。ロイが閣下の『お気に入り』だってことは周囲にも囁かれて、理由も多分、噂は的外れじゃない。

 ロイ・マスタングという若い国家錬金術師は女みたいな整った顔と、女にも滅多に居ないような肌と、俺という男の恋人を持ってて、まぁ軍隊の中でそういう嗜好は珍しくもないが。

 目の前に座るこの偉い男が、そんな風に露骨に、『お気に入り』を表明することは初めてで。

 誘われたらどうするよ、って、俺が冗談のふりで、手が切れそうな嫉妬を感じながら尋ねると。

 断るさ、と、さらっとあいつは、簡単に答えた。

 求愛され慣れた、いい『オンナ』の傲慢さと馴れに、俺は笑っちまった。相手がどんなに偉い男でも、『オンナ』にとっていい寄って来る男はみんな同じらしい。一途な愛情はちょっと可愛いけど邪魔になったら押し遣る、その冷淡さを、俺は何度も、隣で見てた。あいつに言い寄る男の事で俺が不機嫌になるとすぐ、あいつは男を、俺の前で切り棄てた。

 もうそばに寄るな、って。

 そいつに言って俺に寄り添ってくる肩を、抱き寄せるのはいい気分だった。いい『オンナ』に惚れ込まれてる自負心を擽られて、かなり愉快だった。大総統閣下より俺を好きだと、当たり前に言う、俺の女が可愛くて愛しかった。

「実は昨夜、食事に誘ったら断られてね」

 あぁ、そーですか。

 そりゃ知らなかった。昨夜から俺は夜勤で、通し勤務の挙句にここに呼び出されてる。ロイが俺に、閣下のこともちゃんと断ったぜって、報告するのは、週末になるだろう。

「どうやら、私は振られてしまったらしい」

 俺が居ますからね、あいつには。

「一晩、これでも考えたのだが、どうしても諦められなくてね」

 ……それで?

「君たちを無理に引き離すことも出来ないことではない。しかし、そんな公私混同は、したくないのだよ」

 白々しい。もう完全に、しているくせに、それを。

「大切に可愛がるから、私にくれないか」

 あいつは俺の持ち物じゃない。それを選ぶのはあいつ自身の意志です、なんて、決まり文句は、口にしないでおいた。それを分かっていない筈はないから。分かってるからこそ最初にロイに好意を示して、そうしてそっと、食事に誘ったんだろう。最終的にベッドに繋がる夕食に。

「君をこのまま、身柄を拘束して、引き換えに彼に愛を乞うことも考えたが、それもなんだか、マヌケな話だ。率直に言って体だけなら、いますぐにでも、易々と手に入る」

 へぇ。

 つまり閣下は、あいつに『愛されたい』わけですか。

 大笑いだ。

「こんな年寄りが、おかしいと思うかね?」

 うっすら笑って俺を見る、目も表情も身体も精悍そのもので、若さが取り得のひよっこなんざ足元にも寄せないくらい、見事なオスの気配を漂わせて。

「円満に、納得できる形で手に入れたいと思っているのだよ、私は」

つまり、俺に、ロイと。

「別れろ、と仰るんですか」

「あの子は頑固で依怙地そうだ。君が居る限り、私には靡かないだろう」

「居なくなったから靡くとも限りませんが」

「そこから先は、君の心配することではない」

 ぴしりと言われて、テーブルの下の見えない位置で、俺は掌を握り締める。

 冗談じゃない、じょうだんじゃ。俺はあいつを、あいつと、ずっと。

「あの子に傷をつけないで、私のものにしたいのだよ。私が無理に引き剥がしたり犯したりしたら、あの子は傷ついて、もう男というものを信じなくなるかもしれない」

 そこまで言われて、ようやく気がついた。俺自身も今、脅迫されているんだって事に。

 俺がうんと言わなければ、そうすると、この偉い男は、そう言っているのだ。

「……返答は?」

 俺は。

 ずっと、あいつと愛し合ってきた、んです。

 だから。