きらり、と光った王子様の手首に。
「おま……、ソレ、って……」
カラスか獄寺か、というくらいヒカリモノが好きな嵐の守護者は吸い寄せられてしまった。
「ちょ、おい、見せろよソレ!スパイダーじゃねーかっ?!」
ボスたちを会議室へ送り込んだ後の数時間、入室を許されないおつきたちはそれぞれに用意された控え室で時間を潰す。ヴァリアーのザンザスに本日、ついてきたお供はティアラの王子様。いつものふざけた足取りでいつもの控え室に向かうところだった。
「そだけど、オマエにナンか関係あるー?」
「カンケーねぇけど見せろよ。減るモンじゃねぇだろ」
「どーしよっかなー、言い方が気に入らないなー」
「見せてくれ」
獄寺隼人はらしくなくあっさり、その言い方を変えた。
「いいよー」
立ち止まった王子様は手首から腕時計を外して獄寺に差し出す。おぉー、っと嘆声を上げながら獄寺隼人はハンカチで手を覆い、その時計を受け取った。
「ロレックスのサブマリーナじゃねーか。スパイダーの5513、ってことは1980年ぐらいかよ。この頃のって時計も車も、ゴツくっていいよなぁー」
いまどきの何もかも丸っこくなってしまったデザインに不平を持っている獄寺はそう言ってまじまじと眺める。黒の文字盤にオールステンレスのケースとバンドという仕様はロレックスにしてはあっさり洗練されているが、そのごつい形状とシンプルな文字盤には奇妙な存在感があって、愛好者は多い。
「趣味いいなー、これオマエのかぁ?」
礼を言って獄寺はティアラの王子様に時計を返す。
「王子のだよ。もらい物だけど」
「あーやっぱ。オタクのボスんだろ?あいつ時々、ロレックスのいーのしてるよなぁー」
腕時計を普段はしないけれど、スーツを着なければいけないパーティーの時は装飾品の一つとして身につけている。きらきらしていないステンレス製のロレックスばかりを。
じゃあな、と、立ち去ろうとする獄寺隼人を。
「ちょいまち」
王子様が、こちらも珍しく呼び止めた。
「トリックオアトリートって言ってみ?」
「?」
「いいから言えヨ」
「とりっくおあとりーと」
「はい」
王子様は手にしていたままの腕時計を獄寺の胸元へ投げる。
「うぉっ!」
小さいが重量のある塊を獄寺は受け止めた。そうしてそのまま、控え室へ入ろうとするティアラの王子様に慌てて後を追ってくる。
「ちょ、おい、ナンだよこれっ」
「お子様にあげる。王子いま、お菓子持ってないから」
「なに言ってんだ、受け取れねーよ、こんなのっ!」
「なぁに普通人(コモン)みたいなこと言ってんのさ、ソッチこそ」
ナイフ使いの王子様は実に落ち着いたものだった。
「お菓子の代わりだよ。王子も子供の頃、それで貰ったから」
だからあげると、あっさりと話す。
「そーなの、かぁー?」
実は欲しくてたまらなかったらしい獄寺の表情が変わった。いいかな、いいのかな、と、葛藤と戦う表情に。
「いいだろ、別に。オレらにゃフツーのプレゼントじゃん」
生産終了モデルだがアンティークというほど時代はついていない。品薄で手に入りにくいけれど、買えるとしたら日本円にして50万あたりが相場。高価には違いないけれど、マフィアの世界では騒ぐほどではない。
「ハロウィンなのにお菓子用意してなかった、王子も悪いしぃー」
乞われて渡すものがない、というのが屈辱的な階級というのがヨーロッパには存在する。ポケットに小銭を入れ忘れていたためにコートを脱がせてくれた執事に、デスクの上に置いてあった葡萄園の権利証を渡してしまったどこかの王様のように。
「マジくれるンなら貰っとくぜ。ありがとよ」
「どーいたしましてぇー」
ひらひら、背中ごしに手を振って王子様は控え室へ消えた。
「キョーフタイケンも忘れられるしさー」
と、聞こえなくなってから、呟く。
それは王子様がまだ、十歳くらいの子供だった頃の話。
「とりくおあとりーと!」
お菓子かイタズラか、お決まりの文句を叫んでスクアーロの部屋へ乱入した。昔から世話好きでお節介なところのあった銀色の鮫はヴァリアーに引き取られた王族の子供に優しかった。だから王子様はその私室に普段から気軽に出入りしていた。
「スクアーロ、起きろぉ!はろうぃんだぜぇ!」
イタリアに本来、復活祭を祝う習慣はなかった。あれはケルト人の子孫であるアングロサクソン、そしてプロテスタント系の『お祭り』だ。公立小学校でハロウィン・パーティーをしたらバチカンから教育的指導が入ったという話もある。けれど王子様ならず子供と言うものは仮想やイタズラが大好き。ハロウィンという行事を柔軟に、あっさりと受け入れてしまった。
「起きろってばぁ、とりっくおあとりーと!」
お菓子かイタズラか、という脅し文句はイタリア語ではdolcetto o scherzetto?(ドルチェット、スケルツェット?)になる。けれどそんな文句を母国語で言ったらバカのようなので、ここはやっぱり、Trick or treat、でなければならない。
「すっくあーろーっ!」
王子様はまだ子供だった。大人になる前はずっと素直だった。遊んで欲しくて銀色の鮫のベッドへよじのぼり、その膨らみに跨ってぎゅーっと抱きついた。
「……」
ふくらみが、ゆっ、くりと身動きをして。
「……あ、れ……?」
現れたのは、部屋の主ではなく。
「え、ボス……?」
まだ子供だった。だからベッドの中に素っ裸の、別の男が居るという意味を明確に悟る事はできなかった。
「えっと、あの……。おはよーございますー」
いつもの無表情でむくりと起き上がったまだ火傷のない若いボスに、ギロリと睨まれて王子様はシオシオとなった。ゆっくりと周囲を見回すボスの腹からおりて、しょんぼりと俯く。冷静になった王子様の耳にバスルームからの水音が聞こえたる部屋に主はそっちでシャワーを浴びているらしい。
ごめんなさい、と、その頃の王子はうまく言えなかった。そうして若いボスは何も見つけることが出来なかった。本当に裸で身一つで、他人の部屋で眠っていた。
仕方なく、サイドテーブルの置いた腕時計を手に取り、子供の前へ差し出す。
「あ……、ありがとぉっ!」
くれた時計の価値よりも、勢い良く腹に飛び上がっても怒られなかったことにほっとして喜んで、子供だった王子様は礼を言うなりその部屋から飛び出した。
と、いうことが昔、あったのを。
「ボス覚えてるー?」
尋ねる。ボンゴレ本邸の長い廊下を玄関の車止めに向かって歩きながら。
「あれさ、王子まだ時々使ってたんだけど、今日、スモーキンボムにお菓子がなかったからあげちゃったー」
けっこう大事にしきてきたけれど、この王子様の趣味にはゴツ過ぎた。いいなー、すげぇなーと、素直な感嘆を口にした獄寺に譲られた方が時計もシアワセだろう。
「すきにしろ」
黒髪の男は短く答える。大昔にやったものをどうされようが知ったことではない。
「うん。ボスのそーゆー、心がひろいトコ、王子だーいすき」
王子様はご機嫌で言った。迎えの車に乗り込む男の機嫌も悪くはなかった。ヴァリアーりボスとお供は彼らの『家』に戻る。お帰り、と出迎えたサブに、男は脱いだ手袋を渡す。マフラーも渡す。コートも渡してしまう。シャツにカマーバンドという姿で、セットしていた髪を手櫛でおろすとひどく若く見える。
「……、で……、だろ……」
「なら……、って……」
二人は何かを話しながら歩いている。歩みがだんだんゆっくりになるのに王子様は構わずさっさと先に行った。背後で抱き合っていようがキスをしていようが知ったことではない。オールヌードでベッドの中に居るボスを目撃してしまったのは大昔の話。
夫婦のように彼らは暮らしていて、今更だれも、それを不審には思わない。狼の群れのトップがつがいを形成して群れを率いていくという、あの形に倣ってヴァリアーは成立している。
「ずーっと仲良く、してればいーじゃん」
あの頃から今までそうだったのだ。困難の時を越えて隣に居るのだから、このまま、ずっと。
「結婚しちゃえよー。そしたら外から色々、言われなくてもいーじゃん」
雑音が大きくなっている事は、この王子様さえ気づいているけれど。