イングリッシュ・マフィンやスコーンは、刃物でスライスするより手で千切った方が美味い。
「どーも、すんません」
その千切ったスコーンをオーブンで軽くトーストして渡してくれるオカマに、アッシュグレイの髪の美形は丁寧な礼を言った。到着するなり空腹を訴え、話より先にメシを食わせてくれとキッチンへ直行した獄寺は、そこに置かれた十キロ近い生ハムの原木に気づいて切れ長の眼の光彩を揺らした。
「どういたしまして」
救出に来た人質が自分で、それも犯人を引き連れて帰宅したことに戸惑いつつオカマは白くて大きな皿を食器棚から出す。途中のパン屋でスコーンとミルクを買ってくるという余裕の態度が腑に落ちない。
ビミョウな気持ちでいるのはヴァリアーの全員だった。王子様はリビングの奥でクッションを抱えてテレビを見ているしザンザスは睥睨の視線を瞬間だけ向けて黙殺に入った。銀色も黙ってしまったが、そんな一同を獄寺は全く気にしない。ボンゴレ十代目のフラットに獄寺は何年も通っていた。勝手知ったる、という態度も当然といえば当然。
「スクちゃん」
優しいオカマに促された銀色の剣士がテーブルに近づきハムを削ぐ為のナイフを手に取った。生ハムの原木にスーッとナイフを滑らせ、見事な切り口のハムを皿の上に並べていく。
「うぉー、うまそー」
マフィンにセミドライトマトのオリーブオイル漬けを載せながら、更に並べられていく生ハムを見た獄寺はたまらない、といった風情で感嘆の声を漏らす。
イギリスのパンはたんぱく質と灰分が少ない。それは小麦の品質を表す成分なので、要するに質が悪い。日本の二等粉よりやや低いレベルのものが生産の主体だ。その小麦で焼き上げるパンはふんわりというよりしっかりになる。
バターロールやクロワッサンはどう頑張っても上手には焼けない。けれどその特性を生かしたマフィンやスコーンは、どっしりとした質感を活かした密度の高さが長所になっていて、上手に焼いてあれば美味しい食べ物である。
そこに酸味の効いたトマトのオイル漬けと塩気と脂っ気に満ち満ちた生ハムを挟み、がぶりと齧れば粉っぽさが生々しさといい具合に組んで、口の中にじゅくっと滋味が広がる。
「んー」
幸福の絶頂、という風情で目を閉じ、それを味わう獄寺はいつもより幼く見える。
「まぁ、あれね、その……。無事で良かったわね。ええと、あなたたちもお代わりはいかが?」
振舞われるスコーンとカフェを、たいそう大人しく飲食していたのは誘拐の主犯と従犯。
「いえ、もう結構です。ありがとうございます」
六道骸は尋常に返事をする。態度にイマイチ、キレがない。いつもの人を食った図太さがないのだ。
「……」
柿本千種はソーサーに手を添え軽く会釈をした。美味しいカフェのお代わりをオカマは注いでやる。口数は極端に少ないがマナーは悪くない。緊張している犯人たちは獄寺ほど健啖な食欲は見せないけれど、戸惑いつつ口に運んだマフィンは相当に美味しかったらしく手は止まらなかった。
「あー美味かった。ご馳走様。あんたら今度、オレのこと誘拐してくれよ。アネゴのメシ、朝昼晩って堪能してーもんだぜ」
「事情しだいじゃ、今からしてやるぞぉー」
湯に浸したナプキンでナイフの刃を拭いながら銀色の鮫が言った。ニッ、と、凶相で笑いながら。
「いったいどいつが、どぉふざけたんだぁ、ガキどもぉ?」
口調は静かだが、だからこそ重いほど凄みがある。
「ごっこの狂言でしたとか言いやがったら、連れて帰って全員、ウチの塔から逆さまに吊るすぞぉー?」
ウァリアーのボス代行としての詰問。
「じゃねーよ、まさか」
さすがにふざけず疑惑を否定する獄寺に続いて、
「敵対の覚悟は真剣でした。けれど誤解がありました」
釈明の機会を今か今かと待っていた六道骸が早口でそう告げる。
「あぁーん?」
「我々は関係のない人間を巻き込むつもりはなかった」
「ナンに関係だぁー?」
「その石に関してです」
六道骸はダイニングの奥に視線を投げる。リビング、というほどの広さもないがソファの置かれた一角では顔に傷のある男が、我関せずといった風情で新聞を広げている。
「行方不明だったその石が十年以上ぶりに世に出て、しかもそれが雲雀恭弥の並盛財団にあると分かった時、我々はこう考えました。やはりボンゴレに奪われていたか、と」
「なぁんだぁー?てめぇのモノだったみてーな言い草じゃねーかぁー?」
「個人的な所有物ではありませんでした。けれど所有する権利はないでもない」
「あー、つまり、アレかぁー」
豪快だが勘のいい銀色は六道骸が言わんとすることに気づく。
「宝物ですよ」
静かな口調で、微笑みながら、告げる六道骸の目元に青い影がさした。
「エストラーネオファミリーの、呪われた」
自分自身が滅ぼした、子供たちに人体実験を繰り返してきた外道の組織の名を口にするとき妙に穏やかな表情になるのは深い怨念の裏返し。復讐は既に果たしたけれど奪われたものを取り戻せぬままに、マフィア全体に対する嫌悪を唇の端に漂わせながら。
「そりゃ、さぞろくでもねぇだろーなぁー」
「ええ。ボンゴレがいかにも欲しがりそうなろくでもなさです」
「盗まれたのかぁー?てめぇらしくねぇなぁー」
「隠したつもりだったのですが、いつの間にか偽者にすりかえられていた。あの頃はボクもまだ未熟でした」
「ちなみにてめぇ、そん時いくつだった?」
「十歳になる少し前です」
「末恐ろしいって言葉を体現するよーなガキだなぁー」
「あなたに言われるほどでもありません」
「それにしたって並盛財団に殴り込みたぁ、派手な真似じゃねーか。雲雀の奴やらサワダツナヨシやらがすりかえたと思ったんじゃねーだろ?」
沢田綱吉はその頃、自身がボンゴレの血を引いていることさえ知らずにごくごく普通の子供だった。雲雀はおそらくただの子供ではなかっただろうが、それにしても、イタリアのマフィアとは無関係な時間を過ごしていた筈。
「本人でなく、父親だろうとは思いました」
六道骸は、そこでさすがの聡明さを見せる。
「沢田綱吉は来歴を知らずにそれを譲られて、更に恋人に乞われてそれをプレゼントしたのだろう、と」
「そんじゃ続きは、そいつらが来てからにするかぁー?」
銀色が振り向き黒髪の男に尋ねる。男は答えず、その手首に巻いていた腕時計を外して銀色に向かって投げた。
「おー」
受け取った銀色は左腕をしならせて義手の甲から刃を出す。裏ブタにそれを当てて、獄寺隼人があぁっと言った時には蓋が無造作に外され、石が取り出された後。
「ほらよ」
取り出した石は六道骸へ。
「コレはこいつんでいーんだな?」
蓋を嵌めた腕時計を獄寺に差し出しながら銀色は一応、六道骸に尋ねる。
「もちろんです。誤解をして申し訳ありませんでした」
取り戻そうとしていた石が雲雀恭弥ではなく獄寺のもとにあって、しかも指輪ではなく、腕時計の内部に隠されていることを気づいた時点で違和感を覚えた。さらに獄寺隼人の口から問題の時計がもらい物だと告げられて、しまった、と、誘拐直後から後悔していた。
「ボクはなるべく派手に雲雀恭弥とやりあって、そうして騒ぎを大きくするつもりでした」
どちらもボンゴレ十代目の守護者として当代の指折り、拮抗する実力を有している。襲撃されれば殲滅の勢いで迎撃する気性の雲雀と骸がやり合えば、さぞや見事な火花が散っただろう。
「沢田綱吉はバカではない。原因を考えれば父親の罪に気がつくでしょう。それが狙いだった。派手に外れましたが。……無粋なことをしました」
恋人たちの情事に踏み込んだことを、六道骸は悔いている。襲撃は成功した。その成功はたいそう不本意だった。弱っていた、というのとは少し違うが抵抗力のなかった雲雀恭弥に恥をかかせてしまった。一緒に居た沢田綱吉の怒りは一通りではあるまい。困惑の中、ともかく石だけは奪い返そうと、狙った時計を渡そうとしない獄寺隼人を本体ごとさらってみれば時計をぎゅっと握りこんでいたのは演技で、それはまんまと沢田綱吉の手元に残った。
「とお廻りしすぎなんだよ、てめーは」
落ち込んだ様子の六道骸に同情の片鱗も見せず、銀色の鮫は霧の幻術士の姑息さを非難する。
「自分のだから返せって、まっすぐ言やぁ良かったじゃねーか。なぁ、言われたら返してやったよなぁ?」
今度の疑問形は、ルッスーリアからカフェのお代わりを注いでもらったカップを両手で抱えるようにして、実に美味そうに飲んでいる獄寺隼人に向かっていた。
「んなの分かんねーよ。ファミリー同士のことなら十代目のご意向もあるし、その前にソレ、あんたんトコから貰ったモンなんだしよ」
「いったいどうしてこんなコトになったのか。山本武まで怒り狂ってイタリアに向かっていると思うと泣きたくなってきます」
はぁ、っとため息をつき六道骸は本気で苦悩している。
「つついちゃいけねーのを、つっついたからだろー?」
銀色は端的に事実を指摘する。
「ボクも頭に血が昇っていました。沢田綱吉は、沢田家光という食えない男の唯一の弱点です」
と、六道骸が言った、その時。
リビングの奥でかさりと音がした。男が新聞紙を置いたのだ。それと同時に、呼び鈴なしで、鍵を掛けていなかった玄関のドアが開く。
「獄寺君が帰ってきたって?!」
喜びが余って泣きそうな顔をした若い権力者の登場。