「結婚しちゃえよー。そしたら外から色々、言われなくてもいーじゃん」

 王子様は呟きながら奥へ向かう。ヴァリアー幹部の会合場所のようになっている広い食堂ではルッスーリアが皿を片付けているところだった。

「お帰りなさい、ベルちゃん。ボスは?」

「センパイとイチャイチャしてるー」

 王子様はオカマを手伝いつつ本当のことを喋る。顔を寄せ合って声をひそめて、仕事のことを話していたのかも知れないけれど、傍目にはラブっているようにしか見えなかった。

「ああ、そう」

 カフェを淹れるべく戸棚から豆を取り出しかけていたオカマは袋を戻し、代わりに紅茶の缶を手に取った。この王子様はカフェより紅茶が好きだから。自分の分も二つ、カップを用意して暖める。

「ボスとセンパイさぁ、すっげー最近、イジョーに仲良くね?」

 昔からつがいではあったけれど、ここ数ヶ月、それにしても近い。夜もどちらかの部屋で過ごしている様子だし昼間も暇さえあれば同じ部屋に居る。まるで名残を惜しんでいるかのような行動は異常で、王子様以上にそのテのことに詳しいオカマはヒヤヒヤしている。

「なんか、どーかするツモリなのかなー、あのヒトたち」

 ヴァリアーはボンゴレに属しているものの独立性の高い特殊部隊である。勝手気ままが許されているのはそのボスが九代目の養子だからという特別な事情があった。リング戦に敗れ十代目の地位は日本人の沢田綱吉に奪われたものの養子縁組は解消された訳ではなく、ボスが中央と繋がっているからこそ許されている独立という反側的な事情があったのだ。

「どうかしようかするまいか、考えていたっぽいわねぇー」

 年月が流れて彼らのボスも歳をとった。間に八年の止まった時があるから見た目は若いけれど戸籍上は三十歳を越えてしまった。二十代のうちに結婚をしろ言っていたボンゴレ本邸からの重圧は厳しくなっていくばかり。マフィアのボスにとってその結婚は私事ではなくファミリー全体の利害や意向にそったものでならない。

なのに十代目を継ぐ沢田綱吉は日本人が大学を卒業するなり恋人『たち』に子供を産ませて認知してしまい、ボンゴレ九代目と実父を寝込ませた。そんな真似をした男にマフィアの華麗な系統に列する『令嬢』を娶せることは出来なくなったから。

マフィアの間で争奪戦の対象になっている『令嬢』を娶るべく、ボンゴレに残された駒は九代目の養子だけ。本人がボンゴレの血を継いでいないとか長年の愛人がそばに侍っているとか、そんなことは『大人』たちにとって関係がないのだ。欲しいのは令嬢が引き継ぐ財産と権益であって、本人たちの幸福など考えたこともないだろう。

 無理な政略結婚は昔であっても続かずに、結局は禍根を残すことが多々あったのに。

「ボンゴレが焦ってる気持ちも分からないじゃないけれど」

 優しいが冷静なオカマはボンゴレ首脳陣の焦りも理解できた。時は流れて世界は動いていく。大きくなりすぎて変革についていけなかったボンゴレの周辺では新興の組織がじわじわ、勢力を伸ばしている。

 政略結婚で相手の勢力を削ぐような真似をするより、楯突いてきやがったら真正面からガチでやればいいというのが、沢田綱吉の意見だった。それで負かせば丸っと食べれるじゃない、と、真顔で言われたとき、金の跳ね馬もヴァリアーのボスも、こいつやるなと、見直すような顔をした。

 けれど若い十代目の意見は通らず首脳部は焦りを増している。逆らえばヴァリアーの解体も辞さずという圧力を掛けられて、ボスであるザンザスは何かを確かに、何かをどうにかしようとしている。

「別れる気なのかなー?」

「最初はそんなふうだったけれど」

 ごくごく初期はそんな雰囲気もあった。少しずつ距離をとろうとしているように見えた。だけどほんの何日かで二人はそれを放棄して今まで以上にべったりになった。別れようとしてできない事に気づいたように見える。とすると、次の手段は、実力行使しかない。

「いいたい事があるンならはっきり言えよ、ルッス」

「ある朝目覚めて二人が居なかったらどうしましょう」

 よよよ、とオカマはテーブルにつっ伏して泣き出す。お茶菓子のクッキーを齧りながら、ティアラの王子様はの頭頂部をつついた。

「ナニすんのよ」

「ココが見えんの珍しいから」

 王子様は決して小柄ではない。が、180cmをオーバーする連中に囲まれているので、他人のつむじを見るということがない。オカマのそれはスキンヘッドで、とさか部分の生え際をツンツンするのが面白い。

「その時は、オレらも一緒に、行くしかないんじゃね?」

 オカマの危惧を王子様も思わないではなかった。

「オレらだけ残って万一、ボンゴレに捕まっちまったら人質になっちゃうから」

 無事に釈放して欲しければ帰って来い、などと言われてしまったら、あの二人は帰って来てしまうかもしれない。優しいというより責任感で。

「逃げ出す二人はソコまで考えないだろーから、オレらは自主的に、即、二人を追いかけるしかないんじゃね?」

「……」

 トサカをツンツンされつつテーブルに顔を伏せていたオカマがゆっくり、起き上がり。

「アンタって実はけっこう、しっかり色々、考えてるトコが時々憎いのよね」

 自分のカップを手にとって温かな紅茶に口をつける。砂糖もミルクも入れないストレートだけれど上等の茶葉は甘い。

「それで、どうするつもりなの?」

「んー?」

「何処か、ボスを追いかけて行きたい場所はあるの?」

 それはつまり、ボスたちが逃げたのとは別の場所へ『追って』行くわよという意思表示。

「あったかいとこー。ごはんが美味しくてー、でも暑いのはヤダぜー」

 追っ手を誤誘導するおとりになる為に。

「南半球は却下ってことね。食事を考えればアメリカ領も避けて、香港あたりかしら。ショッピングは楽しめるしインフラは整備されているし、医療レベルも高いし」

「あー、いーんじゃね?チャイニーズマフィア狩って遊べるしぃ。いざとなったに日本支部に飛び込んで実はグルですとかって言い張って時間稼ぎも出来るしぃー」

「そうね。飲茶と広東料理を習いたいからそうしましょう。アタシとアンタと、フランとレヴィね。お部屋を用意しておくわ」

「ホテルは半島側がいいー」

「分かったわよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 オカマと王子がそんな話をしているとも知らずに。

「ナンか、飲むかぁー?」

 ヴァリアーのボスは幹部たちの集会所にも自室にも行かずにそのずっと手前、残色の鮫の私室でカマーバンドを外して動きにくいシルクのシャツを脱いでいた。

「水でいい」

 最近はこの部屋で寝起きすることが多いのでちゃんと着替えを置いてある。ばさぱさと脱ぐのを鮫が受け取りハンガーに掛ける。水のボトルを渡してから、クーロクに預けていたコートに異常がないかどうかを点検する。金属探知機だけでなく襟の縫い返しまで指先で辿って確認する仕草は真剣そのもの。

「……」

 ボトルの水を飲みながら男は銀色の点検が終わるのを待つ。異常なし、と顔を上げたところで、屈んだ男に抱き寄せられて、立たされ抱きしめられる。

「なぁんか、あった、かぁー?」

 抱き返しながら銀色は落ち着いて尋ねた。

「いつもどおりだ」

 男は短く答える。短いが、ちゃんと返事をする。以前は気に入らない質問をされれば機嫌が良くて黙殺、悪ければ殴り飛ばすこともあったけれど。

「諦めちゃ、くれねーだろーなぁー」

「盛り上がるばかりだ」

「連帯自体はよぉ、ぜんぜん悪ぃことじゃねーし、賛成なんだけどよォ」

「それはオレもだ」

 跡取り娘との結婚というオプションさえなければ同盟は歓迎すべき事。同盟ではなく吸収合併しようという欲が年寄りたちにはあって、そのために後継者から外れた九代目の養子を有効利用しようとしている。

「オマエの結婚相手も来てたんだろ。どーだった?」

「嫌味を言うな」

「会ったか?美人だったか?踊ったか?」

「会ったが踊ってねぇ。ブスじゃなかったようだ」

「オマエがそう言うってことは、相当の美人なんだなぁー」

 銀色の鮫が軽口を叩く。冗談めかしてはいるが本心は気になってならないらしい。

「紹介されたが口もきいてねぇ。挨拶もしねぇでいたら向こうも気がついて、イヤな男と思ったようだった」

 ヴァリアーのボスは強面のハンサムだが女に優しくも親切でもない。ちやほやされることに慣れた『令嬢』は飲み物も取ってきてくれなければダンスにも誘ってくれない冷淡な扱いを受けて、驚いてもいたし不愉快そうでもあった。

「どーだかなぁ。オマエっていー男だしよぉ、世間知らずのお姫様にはそのクールさがウケるかもしんねーぞぉ?」

「それ以上言うなら口を塞ぐぞ」

 男は我慢強かった。けれど嘘つきだった。銀色はキュッと口を噤んだのに顔を傾げて覗き込むようにして唇を重ねた。

 重ねただけだったけれど。

「……ごめん」

 離した時、金色はマワ方にかかったように、或いは解けたように素直で正直になった。

「ごめん。なんか、勝手に妄想してやきもち妬いちまった」

 ごめん、と繰り返しながら男の胸元に顔を押し付ける。主人に叱られた犬が掌を舐めて機嫌を直してくれと懇願するように。

「ごめん」

「……」

 分かったなら謝らなくてもいい怒っていないと男は口にしなかった。そういう言葉を使い慣れないのでどう言えばいいか分からなかったから。代わりに頭をゆっくりと撫でてやる。愛情の仕草はきちんと伝わって、銀色の動揺と言うか、不安定な気持ちはゆっくり、和らいで落ち着いてきた。

「約束、やぶって、ごめんなぁー」

 その謝罪は静かで笑い混じりだった。

「バカなこと言わねぇって約束してたのに、ごめん」

「約束のバカなことはソレじゃねぇ」

 銀色の髪のついでに耳や頬や、顔中を撫で回しながら男は言った。撫でるだけでは足りずに顔を寄せる。鼻の頭を舐められて銀色はくすくす笑い出す。笑った事に男は心の中で安心した。

 結婚しろと背中をどつかれている相手の女のことなどは些事。美人だったかと尋ねられ絡まれるくらいはどうでもいい。恐れているのはそんなことではない。

「別れるとか止めるとかは、言うなよ」

 念を押した男に。

「……言わねぇよ」

 愛撫を受けて全身を委ねながら銀色が答える。この男によしよしと撫でられると体中から力が抜けて、関節がゆるんでふにゃんとなってしまう。

「出来ねぇ、ことは、言わねぇよ、もう……」

 腕の中に収まりながら銀色は呟く。

「そうか」

 満足そうに男は返事をして、もう一度、そっと唇を重ねた。

「ん……」

 今度はそれだけで許してやらずに、押し開く。少しだけ胸を喘がせて抱きしめられた銀色もそれに応じた。触れた唇から舌から抱き合った腕から心がこぼれて染みて伝わっていく。不安で不安で不安でたまらない。

 オマエもか。オレもだ。愛を奏でろ。神に賭けて誓え。言葉以上の証を見せてみろ。それだけが心を安らがせる。

「ふ……、ぅ、……、ッ」

 情熱的なくちづけに銀色が震えだす。男のシャツをぎゅっと掴んで何かを訴える。離してくれと言っているのかもしれないが、男は敢えて、逆の解釈をした。

 唇は離してやる。ほっとして息を吸い込んだ銀色は次の瞬間、吸った息を吐くことも忘れるほど驚いた。屈んだ男に肩に担がれる。易々とそうされて、背中にさかさまになった視界に床が近い。

「ちょ、な、ん……ッ」

 びっくりして暴れかけたらバシンと尻を叩かれて。

「おわっ!」

 服の上から平手だったから痛いという訳ではなかったがびっくりが上書きされ、動きを止めてしまったところで寝室のベッドへどさりと置かれる。男がすぐに覆いかぶさって来る。柔らかなスプリングに背中をあずけて男の重さを堪能する。じん、っと、輿のあたりが痺れるほど存在感が心地よかった。

 満足するまで体温を感じあって、それから服を脱ぐ。その頃には二人ともくすくす笑っていた。男のベルトを銀色が引き抜きベッドから部屋の端までわざと放り投げる。こいつめと男が報復に肩に噛み付く。うひゃっと銀色は声を出して笑う。男もつられて喉の奥でくくっと笑い声を漏らす。

 今よりずっと若かった頃に気持ちを戻して優しくじゃれあった。否、若い頃でさえ、こんなに無邪気に愛し合ったことはなかった気がする。好きだと言いたくて分からせたくて腕を伸ばし合う。自然とカラダは近づき潤みを求め合い、繋がった。

「……、ァ」

 甘く喘ぐ。奮いつく。気持ちがいい。快楽に浸りながらそれだけでない達成感に胸を躍らせる。ころしたいほど、いとおしい。

 離れる事など出来はしない、のだ。