ボスからお電話よ、と、取り次がれるたびに。

「死んだって言っとけぇー」

 ヴァリアーのボス代行は回線を繋がれる事を拒否する。

「ボンゴレ本部を通して、十代目からの直通回線よ。受信拒否は出来ないわ」

 優しいオカマに諭されて嫌々、という風情で受話器を取るのがお決まりのやり取り。

「もぉしもぉーし、なぁんの、ようだぁー」

 吠えるような大声。ビリビリとガラス窓が震えた。殆ど超音波だが、電話の向こうの男は同様の気配も見せない。

『まだ拗ねてんのか』

 防諜の関係上、デジタル通話ではない有線回線を投じての会話。といっても勿論、ボンゴレの本邸を経由する以上、本邸には聴かれているだろう。それはもう、とっくに覚悟の上。

『しつけぇぞ。い加減で忘れろ』

 二人の会話に興味津々、という様子で聞き耳をたてているのはヴァリアーの幹部たちもだった。電話を取り次いだオカマはその場から離れようとしないし、テーブルの向こうで紅茶を飲んでいたティアラの王子様はカップとソーサーを持ったまま、わざわざ近づいてきてじっと銀色の鮫を見つめる。

「オレぁしつけぇぞぉー、知らなかったのかよぉー」

『ああ、そうだったな』

 男はあっさりと銀色の主張を認める。素直にされると馬鹿にされた気がして銀色はますます雰囲気を尖らせる。

「スクちゃん、あんまり意地を張るもんじゃないわよ」

「センパイ、ボスにいつ帰ってくるのか聞いてよ」

「ボスはお元気か?」

 外野が口々に勝手なことを言う。

『忘れなくていいからツラを見せに来い』

「イヤだぁー、ジョーダンじゃねぇ。ナンでオレが、オレをホテルに置き去りにしたヤツにわざわざ、会いに行ってやんなきゃならねぇんだぁー?」

『てめぇのタメだった。それぐらい分かっているだろうが』

 置き去りにすることでテメェを庇ったのだと男は銀色に告げる。そんなことを正直に口にするようになったボスの変化にオカマたちは驚く。

「ダメでもなぁー、オレォすっげー、アッタマきてんだぜぇー。置いてかれんのは、もーうんざりなんだよッ!」

 怒りに震えながら真っ直ぐ、男に不満をぶつける銀色を、オカマと王子の仲間たちは同情的に見つめる。けれどそう心配はしていない。はきはき、不平を言えるのなら喧嘩も大したストレスにはならない。

『そのことを、聞いた奴らは、オレに呆れたぞ』

 むしろ驚嘆するべきは、鼓膜が破れそうな大音量にも怒らず、愛人を宥めようとする男の我慢強さだ。

『日本人のガキも、キャバッローネの跳ね馬も、沢田家光までだ。なんて言ったと思う』

「知るかぁー」

『オレの熱愛に呆れたとさ』

「……しる、かぁー」

『あの連中に口を揃えられると、抗弁するのも無駄な気がして、馬鹿馬鹿しくなる』

 あの連中がそう言うのならそうなのだろう、と、聡明な男は自身の心理を認識した。沢田綱吉にはそんなに愛していたなんて知らなかったよごめんなさいと謝罪され、キャバッローネの跳ね馬には言葉では何も言われなかったが態度で協力を示された。

「気まぐれ、だろぉ、がぁー」

『そうだ。決めたのは咄嗟だ』

 男は銀色の鮫に逆らわず、気まぐれであったことを否定しない。

『眠ってるてめぇを眺めてるうちに、連れて行くのは止めておこうと思った』

 不幸するだろうから、苦労をさせるだろうから。後半の説明は省略されたけれど銀色の鮫を含む聞いていた全員に分かった。

「なぁんで、だぁー?」

『連れて行ったら痩せると思ったからだ。てめぇが怒るだろうも思ったがな』

「……怒ってんじゃぁ、ねぇ」

『悲しませたなら、余計に悪かった』

「……」

 銀色は絶句する。まさかこんなにあっさりと謝られるとは思わなかった。惚れているのだ、負けは決まっている。

「ボスってさぁ、ふだん喋るの面倒くさがるくせに、実はすんごく、口が上手いよねー」

「マフィアの男よねぇ、ボスって。素敵だわぁー」

「ボス、オレはどこまでもお供します」

「あらレヴィ、あんた居たの」

 外野の茶々も銀色には聞こえていないだろう。男の言葉を聴いて意味を租借するだけで精一杯。

『ツラを見てぇ。文句を言いに来い』

 本当は嬉しいそんな要求を受けて、銀色の鮫は唇を震わせる。今にもとんで行きたいのが本心。けれど、声が無様に揺れないように、ごくりと唾を、一度のんでから。

「サワダァ、ツナヨシに、怒られるぜぇー?」

 可愛げのない憎まれ口を叩いた。

『関係ねぇ』

「ねぇわけ、ねぇだろぉー」

『うるせぇことは、言わねぇ約束だ』

 お互いになと男は笑う。ボンゴレが聞いている以上、ヤツとの同棲はフェイクだと口にはしないけれど、関係者には偽装である事は分かっている。

 関係者でない人間たちは多くが真に受けた。九代目の養子という身分にも斟酌せずに手をつけた沢田綱吉の強権に衝撃を受けたのは、ボンゴレの若い十代目の悪食と強欲は知れ渡っていたから。悪名も使いようと言うか、コイツはオレよりジジィどもをよっぽど梃子摺らせたらしいなと、男が妙に感心してしまうほどのあっさりさだった。

 男は奇妙に感嘆さえしたのだ。なるほどここまでするべきか、ここまでやらかせばジジイたちもビビるのか、と。

羹に懲りて膾を吹くというか、アレが今度はナニをする気かと恐れた年寄りたちの手の引きっぷりは見事だった。

『謝ってやる。会いに来い』

 男は感心し、そうして見習うべきだと考えた。自分はやり方が半端だったと反省した。政略結婚が嫌ならばオレには恋人が居るのだと思い知らせれば良かった。恥も見栄も捨てて、相手の女やその親族から断ってもらうべく振舞うべきだった。ボンゴレ本邸のパーティーに一妻二妾を同伴し、臆面もなくキスを繰り返しては下手なダンスを踊り、食べ物を取ってきてやり食べさせてもらいという『いちゃいちゃ』を繰り返して見せた沢田綱吉のように。

 思いつめた挙句に手に手を取っての駆け落ちなどとは手ぬるい、負け犬のすることだ、と。

 今更ながら考えなおした男は態度を改めた。ボンゴレ本邸の盗聴を承知で銀色の鮫に臆面なく逢瀬に来いと告げる。会いたいという語句は愛の告白に他ならず、馴れていない銀色は戸惑いのあまり泣き出してしまいそう。

『オレは何時でもかまわねぇ。てめぇの仕事にカタがついたら連絡しろ』

 言葉に詰まった相手に追い討ちをかけるのではなく猶予を与えてやる甘さという名の優しささえも、銀色の鮫は馴れていない。

「……おぅ」

 分かった、と銀色は素直に答える。そうして静かに受話器を本体に置いた。ボンゴレ本邸からの専用回線は有線で、電話機はコードを長く伸ばしてある。壁際の電話台に、銀色は自分でそれを持って行き、コードを邪魔にならないよう台の側面に掛けた。

「お土産は食べ物がいいと思うわ。サラミに、ソーセージに。アタシのセミドライトマトもタッパーに詰め込んであげる」

 ボスの大罪二ヶ月ほどを経て、イギリスには小包が届かない、というのはヴァリアーにとっても常識となっている。必要な着替えや日用品は下っ端の隊員が手荷物で運んだ。ウイスキーはイギリスが本場なのでそれは心配なく、イタリアのワインも水も郊外の食料品店へ行けば割高であるもののそれなりに手に入る。

 問題は調理加工された食べ物だ。検疫が厳しくて個人では持ち込みも持ち出しも難しい。イギリスはEU加盟国ではなく、ユーロではなくポンドが通貨であるためことさらに『EU諸国』からの物品に目を光らせている。

特に肉類は、エキスを含む全てが小包で送ることさえ禁止されている。それに関しては家畜伝染病の可能性も考慮されているので、大英帝国の高慢とばかり非難することも出来ないのだが。

「……おぅ」

 この銀色が移動するのならヴァリアーの自家用機を使う。迎えの車も駐機場のすぐ横につけられるから手荷物制限もなく、いくらでも積み込むことができる。

「ボスお元気そうでよかったわ。本当に良かった」

 オカマは上機嫌、たいそう嬉しそう。

「あははー、だよねー。すっげー元気そー。でもさ、ボスがどんな顔してサワダツナヨシと暮らしてるか、王子も興味あるー。センパイ、早く行って見て来てよー」

 素直ではない表現で王子様も銀色の鮫を祝福した。ボスとサブの駆け落ち後、篭城または闘争そして抗戦を覚悟していたのになぁなぁで丸く収まってしまい、楽しみが減った気もするけれどよかったなと思ってもいる。

 何よりもあのボスがこの銀色を、思いがけなく大切に愛してくれていて良かった。駆け落ちする筈の国境近くのホテルから、置いていかれて一人でとぼとぼ帰って来た時は可哀想だったけれど、確かにそうしておく方が傷は少なくて済む。

「生のソーセージに、アタシのジャムも持っていって頂戴」

「んじゃ、王子からの差し入れはグラッパー」

「いいわねぇ。パルジャミーノはホールで持って行ってね」

 パルマ名物のハードチーズで、おろし金ですりおろして粉チーズにする食卓の定番。ヴ不利アーでは使用する都度、オカマの格闘家が見事な手際でおろしたてのものを供してくれる。

「チーズはイギリスにもあんだーろー?」

 銀色がようやく言葉を挟む。チェダーやブルーの三大銘柄であるスティルトンはイギリスが産地だ。

「パルマのハムにはパルジャミーノじゃなきゃ邪道よ。ノベッロが何本かあるから、あれも持っていって」

 その年の初物のオリーブを絞っただけ、フィルタリングもデキャンティングもしない、実を絞って遠心分離機に掛けただけ、本物のフレッシュ。色はやや濁った濃い緑で味は濃厚かつ爽やか。

「んで、センパイ、いつ行くの?」

「……そのうち、だなぁー」