『同棲』を開始した翌々日、顔色を変えて事実を確認しに来た沢田家光は動揺を隠し切れないで居た。息子の部屋にザンザスが本当に居るのを見て絶句し、そのままへたりと、招き入れられたリビングの椅子に座り込んだ。

ザンザスは家光にカフェを淹れた。立場上よんどころなく仕方なく。そうしながら、何年ぶりかなとふと思った。

ボンゴレ九代目に養子として引き取られた直後には養父の『友人』であるこの男が本邸へ来るたびに挨拶をしてカフェをその前に据えた。女子供に優しいこの男はいつも礼を言ってくれて、頭をくしゃっと、撫でてくれたものだった。

実の父親とは縁がなく養父は老いすぎていて父性というものに馴染みの少なかったザンザスには、こういうのが『お父さん』なのかと考えていた時期があった。大きくて暖かな感じがした。

もっとも自分が父親になるべき年齢に達してみると『お父さん』は苦労ばかりで大変な立場だとよく分かる。

「おまえ……。おまえたちは……」

湯気に睫毛をくすぐられながら沢田家光は呻く。ザンザスは最初、こいつマジにデキたと思ってんのかよバカか、と考えた。実はそれ以前の話だった。

沢田家光は衝撃を受けていた。

ごくりと唾を飲み込んで落ち着こうとしている。目の前に据えられたカフェを手に取りカップに唇を当てて、ここイギリスでは滅多に飲むことの出来ない本式のエスプレッソで喉を潤わせ、そして。

「すまな、かった」

 真顔で真剣に侘びを入れられてしまう。

「本当にすまなかった。オマエがこんなに、思いつめているとは思わなかった」

「……」

 思いつめている、と形容されるのはザンザスにとって違和感があった。追い詰められていたことは確かだが腹を括って開き直ったつもり。けれど覚悟を決めた事は確かなので、言葉で細かく否定はしないで置いた。

「オレはオマエが条件闘争をしているんだと思っていた」

 沢田綱吉の代理として政略結婚を受ける代わりにボンゴレ本部から有利な条件を引き出そうとして返事を渋っているのだと家光は思っていた。それは無理もない発想。ヴァリアーのザンザスという男は本来そういう男だったから。

「お前の苦悩にツナは気がついたのにオレは少しも思い至らなかったことを謝る。すまなかった」

「……」

 苦悩。

そう呼べる葛藤もしなかった訳ではない。政略結婚を受け入れなければならないと一旦は考えて長い仲の情人と別れた『真似』をしてみた。

練習の為の他人ごっこは三日ともたなかった。世界が色あせて何もかもつまらなくなった。弛んで緩んでぼんやりと虚ろな虚無を覗き見た。あんな時間を人生のメインとして送りたくはなかった。

 ザンザスの葛藤と苦悩を知っているのは手放せないことに気づいてもう一度引き寄せてしまった恋人だけ。沢田綱吉に気づかれたのは苦悩ではなくて覚悟。

「なんだかオレはいま、とても悲しい気持ちだ。お前とツナが協力しあうほど酷いことを、自分がしようとしていたなんてな。苦しんでいることに気づいてやれなくてすまなかった」

「……別に」

 男は短く答える。気づいて欲しいとも助けて欲しいとも思っていなかったので全く構わない。家光だけでなく、最終的に助力を受けた沢田綱吉にさえ、申し出られる直前までそんなことは考えてもみなかった。

「そうだな。お前は誰かが自分を助けてくれるとか分かってくれるとかは考えないヤツだ。けどな、信じてくれと言うのも白々しいが、オレはお前の敵という訳じゃない」

 そんなことは、ない。指折りの強敵。

 部下を欺き自分の息子にさえ嘘をついていた、これは怖くて酷い男。誰にとっても危険な存在になり得る。こいつを信じるくらいなら息子の方と手を組むべきだと、聡明なザンサスはわかっている。

 十数年ぶりにザンザスが淹れたカフェを飲み終えて、家光は席を立つ。預かって椅子の背もたれに掛けていたコートを礼儀上、ザンザスは客人に着せ掛けた。

「ありがとう。……お前が勝手な真似をするから九代目は寝込んでしまったぞ」

 チップの代わりに、責める素振りの口先でそんな情報を漏らしていく。

「お前は親不孝な息子だ。せっかく文句のつけようのない花嫁を選んでもらったのに、ご破算になってしまった」

 それはつまり、政略結婚は破談になったということ。ザンザスは口元だけで薄く笑う。皮肉を篭めたニヒルなものであっても、ザンザスが沢田家光に十数年ぶりに見せた笑み。

「色々思いがけなかったが、お前がツナのことを見ていてくれるのは正直なところ少し嬉しい。あいつはいい所もあるがお前から見ればまだまだヒヨッコだろう。少し鍛えてやってくれ」

 よろしく頼むと言って沢田家光は出て行った。頼まれる気などなかったがカップを片付けながら、ザンザスはぼんやりと昔を思い出していた。まだガキの頃、ほんのヒヨコの時期、あの男に父性のようなものを感じて、少しだけ慕っていた時期があったことを。

 

 

 

 

 

 

 

 ボンゴレ九代目が信頼する門外顧問の、二度目の来訪は二ヶ月後だった。

「……」

 ザンザスはかろうじて全裸ではなかった。が、しつこく鳴らされるブザーにバスルームから仕方なく出てきた感がありありの、タオル一枚を腰に巻いた姿。

「あ……?」

 時刻は真っ昼間。時計の針は午後の二時をまわったところ。そんな時間にそんな艶姿で出てこられると思っていなかった沢田家光は驚き、そして戸惑う。

「ツナヨシは留守だ」

 シャンプーの香りのする湯気をまとった濡れ髪のままザンザスはそう告げる。ただでさえ目尻に雰囲気のあるハンサムなのに、気だるそうないかにもの情事の雰囲気を纏っていると、存在感は周囲に磁場を発生させそうなほど。

「そ、そうか」

 じゃあな、とも、またな、とも言わせずにザンザスは家光の鼻先でドアを閉める。厳重にチェーンを掛けて振り向くと、そこにはバスローブ姿の銀色の鮫。

「びっくり、したぜぇー」

 バスローブの肩がずるりと落ちている。寸法があっていないのはザンザスのものだから。逆に言えばこの銀色に着せるために、男はタオル一枚で出てきたのだ。

「驚くほどの珍客でもねぇだろ」

 口うるさい門外顧問はヴァリアーや日本支部に足しげく出入りしてお目付け役を自認している。会いたい相手ではないが会うのが珍しいというほどではない。

「ちがわぁー。オマエがイエミツとまともに喋ってんのにびっくりしたんだぁー」

 銀色の鮫の長い髪は塗れていない。バスルームでざっと汗を流しただけ。ベッドの中で何時間も一緒に過ごし愛を貪りあった後で、ロマンチックより空腹が勝って起き出して来たところだった。バスの中でさえ抱き合ってキスを繰り返していた。

「オマエ、大人になったなぁー。別人みてぇだったぞぉー」

 銀色の表情は率直で視線は真っ直ぐ。嫌味や皮肉の気配は少しもない。

「すげぇなぁー。可愛い子には旅をさせろって日本のコトワザは間違ってねぇなぁー」

 男は恋人の感想に反論がたくさんあった。まともな話などした覚えがないし、そもそも誰が可愛い子だというのだ。今の状態は旅というより避難と呼ぶほうが似つかわしい。けれど言われていることを全否定するにはヴァリアーから離れて見えるものが多い。

何より久しぶりの情事が妙に新鮮でひどく楽しかった。

「なぁ、ちゃんとサワダツナヨシとも喧嘩してねーし、オマエって男は、やりゃあナンでも出来るオトコだよなぁー」

 情人に感心されうっとり見つめられるのはいい気分だった。オトコはつい、笑ってしまいそうになって銀色の背中を向けてキッチンへと向かう。

「おぉーい、服きろぉ、風邪ひくぞぉー」

 銀色が追ってくる。鍋に水を入れ火にかけたところで、銀色のオンナの顔をたてて男は服を着た。スラックスにシャツというこの男にしては非常にラフで寛いだ服装。

「なぁ、なぁザンザス」

 キッチンについてきた銀色は男に纏わりつきながら笑っている。

「オマエもしかしてよぉ、オレにパスタ茹でてくれよーとしてんのかぁー?」

「……」

 それ以外のナンに見えるんだと、男は心の中で考える。パスタが横に収まる大きさの鍋にたっぷりの湯を沸かして、イタリア製の乾麺・ディチェコの袋を手にしながら。

「あはは……。まぁさかぁ、オマエにメシ、作ってもらえる日が来るなんてなぁー」

「喰いにいける場所がねぇからだ」

 男は淡々と事実を答える。料理の不味さでは定評のあるイギリスだが食べられないものが全くない訳ではない。テーブルクロスのかかったレストランでの食事に期待できるものはないが気軽なバーやカフェならばそこそこ美味いものを出す。このフラットから徒歩で10分もかからない通りにはライ麦パンのオーダーサンドイッチが名物の店があり、そこのロースとビーフサンドは男のお気に入りだが、残念ながら営業時間は終わってしまっている。二時間から三時間にも及ぶ昼休みのをとるイタリアと違ってイギリスのランチタイムは短く、そういう店では13時には売り物がなくなって閉店がお約束だ。

「夜にはちゃんとしたメシを食わせてやる」

「文句言ってんじゃねーよ……」

 この銀色にしては珍しく小さな声で囁きながら、男の背後に立ってぎゅうっと、その胸と腹に腕を廻した。1.6ミリのパスタがアルデンテに茹で上がるまでの8分、男は銀色を背中に張り付かせたままで冷蔵庫をあけ、イタリアから手荷物で運ばれたセミドライトマトのオリーブオイル漬けとサラミとレモンを用意する。

「皿を出せ」

 そう指示すると銀色は素直に腕を放し、戸棚から大き目の深皿を取り出す。ぐらぐら沸いた湯を少し掬って皿を暖めて、直接皿に上げたパスタにレモンの果汁を廻しかける。瓶からセミドライトマトを取り出し、柔らかいサラミは厚めにスライスしてたっぷりと、その皿に添える。

 男はたいそう機嫌が良かった。惚れ直されるというのは何度目でも、じつにいい気分だった。

 好いたオンナからならば、尚更。