外食を一緒にしていたのはイギリスという国の店の構造というか、設定がそうなっているから。

昼時のビジネス街でもない限りレストランのテーブルはお二人様からがお決まり。ランチタイムと同じく営業時間が短いので効率を良くする必要があり一人客は歓迎されないのだ。まともな夕食を口にしたいが故に、かつてボンゴレリングを巡って死闘を繰り広げた二人の男は週末の夕飯時、同じテーブルについた。

そうやって同じ店に出入りしていたのだから、客をその店へ同時に案内してしまうのも仕方のないこと。日本人もイタリア人も大好きな中華料理店の厨房からは質のいい油の熱される匂いやナッツの焦げたかおりが漂ってくる。セントラルキッチンという名の工場で生産された規格品を暖めているだけの店にはない、竃と火の気配がする。

「……」

馴染みの給仕は英語が話せないけれど品がいい。上客が案内される奥へ招かれた別の店に行こうかと男は一瞬、考えた。テーブルの手前に沢田綱吉の姿があったから。

近所にもう一軒、ご贔屓の店がある。イタリア移民二世の老夫婦がやっている小さな食堂で、アーティーチョークのチーズ焼きや鶏肉のカチャトーラ、ニシセマスのソテーにパスタ、ピザというクラシックな定番料理ばかりだがなかなか美味く食べさせる。パスタの湯で加減はキチンとアルデンテで、煮込みすぎたあまりうどんより柔らかな『パスタ』を食べさせる他の店とは一線を画している。しかし、そこは今日、定休日である。

一説によるとパスタのアルデンテを性格に理解できる民族は世界中でイタリア人と日本人だけらしい。ここがイギリスという国である以上、パスタがぶよぶよでも文句を言う側の不見識が問われるだろう。しかし中華料理の麺のムチムチ加減も男は嫌いではない。嫌いどころか好物だ。表面が肉なり魚なりの美味い脂で炒められカリッとしていれば尚更。

「ボス」

 銀色は男の背後で薄く笑った。どうでもいいぜと告げているのは本心。厨房から漂う豆板醤の香りは魅力的だが、また男が茹でてくれるパスタを食べたくもある。

「こっちにおいでよ」

 男の心の決着は意外と簡単についた。奥のテーブルに座っていたのが沢田綱吉だけではなかったから。ボンゴレ十代目の正妻は、姿が完全に隠れる革張りのメニューから顔も見せずに、二人にさらりと同席をすすめる。

「中華って人数が居たほうが色々食べられるから好きだ」

 食欲が優先された誘い文句だったけれど未来のボンゴレの『女主人』の意に従って顔に傷のある男と連れの銀色は日本人たちと同じテーブルに着く。と、店舗の奥の隅っこ、観葉植物の陰になった、従業員たちの食事スペースらしい小さなテーブルに獄寺隼人がすわり、チェリーコークを飲んでいるのが目に入った。

「なんだぁ、ありゃ連れじゃねーのかぁー?」

 男がおや、と思った時には銀色が男の内心と同じ疑問を口にする。久しぶりのそのタイミングに男は心の中で笑う。長い時間を過ごしたせいで同じものを見て同じ事を思うようになっている。一心同体というか以心伝心というか。

 もしかしたら『夫婦』というのはこういうことかもしれないと、給仕に値段の書かれていないメニューを差し出されながら考えた。この店だけではないが、外食するといつも支払いは沢田綱吉なので店側もなれたものだ。

「連れだけど、獄寺クンはいつも冷たいんだ。外では同じテーブルに座ってくれないんだよ」

「へーぇ」

 銀色の声音はかなりはっきりと感嘆。なんだてめぇらの仲間にもマトモなヤツはいるんじゅないかとい賞賛の視線で、店内を見回しやすい死角に陣取った獄寺をもう一度、見る。

「ああ、やっぱりそうなんだ」

 メニューの向こう側で、まだ顔を見せないまま、声だけで察した雲雀恭弥は納得する。

「ボクが狙われているんだね。沢田綱吉の結婚の障害になるから?」

「え、なに、それ?」

「てめぇだけって決まってるワケじゃねーぇが、用心すんのに越した事はねーかもなぁー」

「それ、って……?」

 沢田綱吉が話を理解したらしく、顔色を変える。そういえばと、男は伝えなければならないことがあったことを思い出した。

「イエミツが来た」

「え、父さんが?」

 実父の名前を聞いて嫌な顔をする沢田綱吉を目の端に捕らえながら、男はメニューを隣の銀色へ渡す。父と息子の確執はボンゴレの根治しがたい宿痾。

「父さんがヒバリさんを狙ってるっていうの?」

「言ってねぇ」

「なんだか考えすぎてワケがわからなくなってきた。シェフのお任せでいい?」

「おぅよ。てめぇの好きなよーにしろぉー」

 この場で最も尊重させるべきドン・ナに銀色はメニューの選択権を譲った。本人は『女子供には優しくするべし』というマフィアの美徳を守ったつもり。けれど隣でそれを聞いた男は、ふっと不憫になった。自分のせいだ、という自責もあった。目の前の日本人に自分が負けなければ、この銀色が日本人の『妻』に遠慮する必要もなかったのに。

「たのめ」

「ん?ナンかオマエ、食いたいのあんのかぁ?」

「オレじゃねぇ。てめぇも好きなモノを喰え」

「あー、んじゃ肉なぁー。牛肉のナンか」

「てめぇが好きなものを頼め」

 物分りの悪い銀色に男は同じ言葉を繰り返す。くく、っと、メニューに顔を隠した雲雀恭弥が笑う。笑われて男は口を閉じる。ついムキになってしまったのに気づいて。

「ヒバリさんが、俺の、せいで……」

 沢田綱吉はその事にショックを受けていて男の内心に気づくどころではない。

「フカヒレ、頼もうか?」

 憮然とした男に助け舟を出す口調で雲雀が言う。向かいで顔色を悪くしている自分の『旦那』には構わずに。

「シャレのつもりかぁー?好きなよーにしろぉー」

「お酒は?あなた、ワインが好きなんだっけ」

「いらねぇよ。水でいい。炭酸はいってねぇやつ」

「飲め」

 と、男が言ったのと。

「飲もうよ。付き合って」

 ヒバリが口にしたのは同時。

「僕たちは国境を越えて来たゲストだ。地元の人たちに警護してもらおうよ」

「んーじゃあ、一杯だけなぁ」

 ボンゴレ十代目の『正妻』からのおすすめを、銀色の鮫は断らなかった。そのことになぜか男はほっとした。

「イタリア産の濃い赤があったら頼まぁー」

「シェフのお任せで四人前、牛肉とフカヒレの料理を入れて。飲み物は紹興酒と赤ワイン。ワインはイタリア産があればそれを。あのテーブルの人にも取り分けてあげてくれる?」

 話のついた気配を察した給仕に雲雀はてきばき料理と酒の注文を通す。赤のワインはイタリア産の赤、濃い口のアマローネがあった。イギリス人はビールとウィスキーばかり飲んでいると思われているが実はかなりのワイン好きで、なかでも品質と価格のバランスのいいイタリア産を贔屓している

 ショックを受けながらも沢田綱吉はホストらしく、運ばれてきた料理を皆に取り分ける役目を果たした。男は珍しく酒を頼まなかった。会話が弾むというほどでもなかったが料理の美味に一堂の機嫌はよく、最後に男を除いて獄寺を加えた四人がハニートーストのデザートも食べて、その日の晩餐は終わった。

 銀の小皿に金額の書かれた紙片が載せられて、通常の習慣に従って沢田綱吉の前に運ばれてくる。一同の仲で一番の童顔で若く見える日本人が燦然と輝くプラチナカードとチップの為の現金を小皿に置いてその夜の競演は終わった。

 代金を払うとは男も銀色も言わなかった。雲雀恭弥からの招待を受け入れていたから。店の前で獄寺隼人が車を回すよりも先にタクシーを捕まえて『ゲスト』の二人の為にドアを開ける。

「ありがとよ。おやすみー」

 威勢よく一同に挨拶して銀色が乗り込む。その後に続く男に向かって獄寺はふっと、一瞬だけだが、微笑みを見せる。

「?」

 美形だが人嫌いでツンケンしたところのある十代目嵐の守護者にしては珍しい人懐っこい笑顔の理由はすぐにわかった。獄寺が左手を持ち上げてスーツの袖の下から手首に巻いた腕時計をちらりと見せる。十数年前はこの男のものだったロレックス。

「……」

 かすかに男は頷いた。短いアイコンタクトだがお互いの意図はよくわかった。使わせて貰ってるぜありがとよ、と獄寺は礼を言ったのだ。艶な目じりが嬉しそうに華やいで、いかにも気に入って喜んでいる風だった。育ちのせいで鷹揚なところのある男は、一度やったモノがどうなろうと気にしない性質だが嬉しそうにされていると悪い気はしない。

「なんだぁー?」

 タクシーのシートに並んで帰る途中で銀色が、アイコンタクトの意味を尋ねる。その声が近いことに男はなんとなく新鮮さを感じる。同じ建物で暮らして同じ車に乗ってきた。けれど、後部座席に並んで座るのは初めてな気がする。ずっと主従で、恋人扱いではなかったことにいまさら、気がついた。

「ベルが、やった」

 ずいぶん省略した答えだったが男はまじめに答える。ああ、と銀色はそれだけで納得した。この男が昔々、愛用していた時計を王子様にやったことは知っている。忘れていたが思い出した。

「ルッスがよぉー」

 疑問が氷解して、別のことを思い出したらしい。

「すっげー心配、してたぜぇー。オマエがイギリスで食うものなくて痩せてねぇかって」

 優しいオカマの危惧を聞かされて男はかすかに唇を緩める。銀色の次に長い付き合いであるオカマは、マズイものは食べないという男のわがままさをよくよく知っている。

「帰ったらよぉ、オマエが色々、すっげぇちゃんとしてるって言っておくなぁー。安心すると思うぜぇー」

 銀色はオカマのことを喋っている。けれどその表情は嬉しそうで、心配していたのも安心したのもオカマだけではないと男に悟らせる。悟った男は唇を薄く開いた。何か、を、言わなければならないような気がして。

 けれど何をどう言えばいいのか、よく分からなくて。

「なぁ、中華美味かったなぁー。やっぱ世界のどこ行ってもチャイナタウンは外れがねぇなぁー」

「……インド料理もうまい」

「へぇー。旧主国ってやつかよ。移民が居るせいかぁー?」

「そうだ」

 チャイナタウンほどハッキリとしたコロニーを形成している訳ではないが、商業地の片隅に数軒のインド料理を出す店があって、そのうちの一軒が男の気に入っている。

「明日、連れて行ってやる」

「楽しみだぜぇー。あーでも、またサワダツナヨシとバッティングしたりしねぇかぁー?」

「それはねぇ」

 香辛料とハーブを多用する本式の南インド料理は子供味覚を残した日本人の舌にあわないらしい。そこへはいつも、男は一人で行く。中華料理と違って一人用のテーブルもメニューもあるから、男はいつも単身で出かけている。

「なぁ、でもよぉ、オレなぁ、オマエが昼にパスタゆでてくれたのも、すっげー嬉しかったぜぇー」

 幸せそうにそう言って笑う、唇にキスをしたくなって困った。