「とけいー?」

 銀色の鮫が大きな声を出し、彼らに背中を向けていた男が振り向く。近づいてきて、部屋の中央、あいている椅子にどかりと腰を下ろす。高々と足を組み頬杖をつく様子は見事な『ボス』の態度だった。

「それって、うちベルフェゴールがそっちのアッシュグレイにやった腕時計かぁー?」

 銀色の声が低くなる。この二人が夜中にやってきた理由の肝心のところに気がつく。

「そうだ。もとはザンザス、オマエのものだったって聞いた。間違いないか?」

 獄寺隼人は意固地で頑固で向こうっ気が強い。けれども妙に無邪気で素直で、可愛いところも、実はないではない。お気に入りの時計を、いいだろ、すげぇだろ、貰ったんだと仲間に嬉しそうに見せていた。ヴァリアーの王子様にもらった、もとはザンザスのだったってさ、と。

「モノは?」

 男がクチを開く。短い一言で重力を生じさせる存在感は相変わらず。椅子のわきに立った銀色は男をちらりと見た。この男が自分から事情を問うというのはたいへん珍しいことだ。

「ここにある」

 澤田綱吉がシャツのポケットから腕時計を取り出す。テーブルの上に置かれたそれに男は手を伸ばした。

「間違いない?」

「覚えてねぇ」

 十何年も前に部下にやった既製品の特徴を覚えているほど持ち物に執着する性質ではない。

「獄寺君はオレを庇って骸に捕まった。その時に腕時計だけオレに投げて寄越したんだ。骸の目当てがソレだって分かったからだと思う」

 澤田綱吉の口調は固い。混乱中、殆ど一対三で、自分を囮にしてして襲撃者の狙った時計を渡さなかった部下の優秀さと、みすみすその部下を奪われてしまった悔しさが語尾ににじんでいる。

「それ、ただの時計じゃないんだろ?」

 六道骸が並盛財団支部に乗り込んで来てまで欲しがる価値があるのだろう、と、澤田綱吉は詰問する。男は手にした時計をまじまじと眺める。ごついステンレスの、文字盤がいい具合にひび割れて『スパイダー』の異名がしっくりと馴染むロレックスのサブマリーナ5513

「ってーかよぉ、その騒ぎン時、オマエは何してたんだぁー?」

 銀色の鮫が不思議そうに口を挟んだ。問いかけられた雲雀が端正な横顔を露骨に強張らせる。

「ヒバリ、さんは……」

 澤田綱吉がたまらず助け舟を出そうとする。するが、アドリブでうまい嘘をつけるタイプでもなくて、どうしようという感情が頬に浮かぶ。

「疲れて、いたん、だよ」

 不器用に庇う。その口調で銀色は事態を察した。

 雲雀恭弥がボンゴレ十代目の『正妻』であることは周知の事実。童顔の若い権力者は顔立ちの優しさと裏腹にオンナを嬲ることにかけては容赦がない。ベッドの中で散々に貪られた後では戦力にならなかったのも仕方がないこと。

「あー、まぁ、そんなことも、あるなぁー」

 ぽり、っと、銀色の鮫は頭を掻く。悪かったなと言葉で謝ることはしなかったがそう思っていることは態度に出てしまう。同情されるのがさらに屈辱で、雲雀の形のいい唇からさらに血の気が引いていく。

「だから一緒に来るなって言ったのに……」

 沢田綱吉が呟く。並盛財団の内部に骸の侵入を許し、あまつさえ仲間を連れ去られてしまったというのは雲雀恭也にとって耐え難い屈辱なのだろう。そしてそれ以上に、『現場』の責任者であるのに沢田綱吉に庇われその背中に隠れることはプライドにかけても出来なかったのだろう。

「そう言うてめぇは、何していやがった」

 沢田綱吉に尋ねたのは銀色ではなくザンザス。

「分かっているだろう、きくな」

「腰がふらついて踏ん張りがきかなかったか」

 時計を指先で弄っていたザンザスがデリカシーの欠片もないことを言う。童顔の日本人の頬がパッと赤くなる。図星だったらしい。

「情けねぇ男だ」

「ほっといて。プライベートだよ」

「オスの風上にも置けねぇな」

「パンツも履かずにいたオマエに言われたくないよッ!」

 沢田綱吉のかなり本気の抗弁をザンザスは聞き流した。

「割れ」

 と、言って、掌の中で弄んでいた時計を背後に立っている銀色に手渡す。頑丈なステンレスだがこの鮫の牙にかかれば簡単に真っ二つ。しかし。

「オマエなぁ、そんなふーにナンでもすーぐ力技で解決しよーとすんじゃぁねーよ。コレってアッシュグレイが気に入ってたんだろー?オマエがベルにやった時点でもう、コレぁオマエんじゃねーんだぞぉー」

 銀色の鮫は男より気配りをみせる。受け取った時計をじっと眺め、そうして義手を振って刀を出し、その刃先を裏蓋に当てた。

「おらよ」

 力を込めた、とも見えなかったが、特殊な工具を使わなければ開かない筈のロレックスの蓋がパカンと外れ内部が見える。

「……あ」

 全員で覗き込んだ瞬間に襲撃の理由は判明した。

 ロレックスのサブマリーナ5513は自動巻き動力。それはつまり、装着した持ち主の腕が動くことによって内部のローターが転がりゼンマイが巻き上げられ、連動したテンプが回転、秒針を動かす。いっぱいに『巻き上げられた』ゼンマイの動力は30時間ほど。つまり二日も放置しておけば、その時計は動きを止めてしまうのだ。

 機械内部のゼンマイの先端には赤い石。赤は嵐の焔の色であり、仄かに発光しているように見えるソレは明らかに、通常の時計の構造に属するものではない。

「発信機?」

「みてぇ、だなぁー」

「え。なに、どういうこと?」

「一定時間、動いたらナンか、溜まって発光するよーになってるみてぇだぜぇー」

 ヴァリアーは特殊部隊。『業務』の性質上、こういうモノに詳しい銀色が沢田綱吉に解説してやった。通常の電波ではない。微弱だが機械的な、『嵐』の焔に近い波動が感じられる。嵐の波動を持つ人間が身に着けていれば自然すぎて気がつかないだろう、そんな巧妙ともいえる周波の。

「ベルのヤツぁ時々しか使ってなかったからなぁー」

 ヴァリアーの嵐の守護者は、その石の『発光』に必要な波動、つまりは生命エネルギーを注がなかったのだろう。

「ザンザス」

 沢田綱吉が真面目な表情で、時計から視線を対面の男に移す。

「オマエの憤怒の炎って、嵐が混じっているんだったな?」

 うっすらオレンジ色に瞳を輝かせるボンゴレ十代目にザンザスはそうだと頷いた。こういう顔の沢田綱吉は気軽に扱っていい相手ではない。

「これはオマエのモノだった。それは間違いないな?」

 何かの企みがあって獄寺隼人をハメたのではないかと、はっきりとした疑惑を宿して男を見つめるオレンジの瞳。

「もともとの持ち主はてめぇの親父だ」

 ザンザスはボンゴレ十代目を挑発せずにあっさりと事実を告げた。即座に沢田綱吉の表情が変わる。

「……あの、ヤロウッ」

 親子でありながら仇敵。そんな家光の、にこやかな外見を裏切る『悪辣さ』に沢田綱吉が改めて怒りを抱く。男は怒らず、内心で感心する。時計をくれた時のことはもうよく覚えていないけれど、ちらりと見たら気に入ったかと問われ、なんとなく頷いたらやるよと差し出された、遠い記憶がある。

 思わず受け取った、自分の幼い頃を思い出す。まだ心が柔らかく素直だった。笑顔の裏に企みが隠されていることなど想像も出来なかった。

「オレは、だから、あの人を嫌いで信じられないんだ……ッ」

 悔しさに噛み締めた奥歯の隙間から漏れてくる声に男はひそかに同情した。家光のみならずボンゴレ九代目とその側近たちには配下を『試す』傾向が強い。

長く権力の座に就いていた人間が、やがて猜疑心強く、疑り深くなるのは仕方がないことかもしれない。けれど疑われ試されるのは愉快ではない。ボンゴレの暗部になれているザンザスでさえそうだ。ましてや沢田綱吉は怒りが収まらないのだろう。ぎゅっと掌を握り締め肩に力を込めている。

「昔っから、ウチのボスさん、問題児だったからなぁー」

 銀色はその怒りを宥めるような声を出した。豪快だが雑ではない優しい雨の気質が怒りを静めようとして包み込む。

「家光の独断ともかぎらねぇぜぇー?」

激しすぎる性質を危惧した九代目自身が側近に命じて、養子の首に鈴をつけておこうと考えたのかもしれない。その先見の明というか洞察力はさすがだ。しかし肝心のゆりかごの反逆の時、この時計はティアラの王子様の部屋の引き出しの中に納められていて鈴の役目を果たさなかった。

「なんか、なんとなく、骸の襲撃の理由も分かってきたけど」

 赤い石に宿った嵐属性の波動を感じて、辿って、狙ってきたのだろう。

「あいつレアモノに鼻が利きそうだもんなぁー」

 パチン、と時計の裏蓋を戻しながら銀色が呟いた。六道骸とはフランを巡って直接に相対したことがある。面白いヤツだがしたたかで、なめてかかれない実力者であることはよく知っている。

「レアモノなの?その時計、発信機以外に何かの役に立つの?」

 黙って話を聞いていた雲雀が銀色に尋ねる。

「さぁなぁー。けどわざわざ、オマエんとこに乗り込んで奪いに来たんだ。危険に見合う価値があるんだろーよ」

「そう、だね」

 雲雀恭也が屈辱を忘れて少しだけだが微笑む。それがどんな価値なのかを、骸を倒して聞き出すつもりなのが知れた。

「手伝って」

 目じりに微笑を宿したままで雲雀が、銀色に向き直る。

「ボクは迅速にカタをつけたいんだ。山本武がイタアリに向かっているからね。到着前に終わらせてしまいたい」

「あー……、そりゃあ、そのほーがいい、なぁー」

 自らの弟子でもある山本の、仲間を傷つけられた時のブチ切れ方を熟知している銀色には雲雀の心情がよく分かった。恋人でもある相手が拉致されたとなればなおさら派手にキレる。師匠である銀色さえ、そんな山本には触れたくなかった。

あれが来れば本気の敵対、容赦ない殲滅戦になってしまう。その前に、オイタに相応の罰を与えて、獄寺隼人の身柄を取り戻してしまうが吉。

「オレぁ手伝っていいぜ。ウチのボスの許可さえ出りゃあ一緒に行ってやる。夕べはメシ食わせてもらったしなぁー」

「っていう訳です。ザンザス、スクアーロさん貸してくれる?」

 沢田綱吉が丁寧に助力を申し出た。雨の波動は霧の幻術を看破しやすい。特にこの銀色は勘が鋭くて本能的に虚構を見抜くことが出来る。

「……」

 イエスと男は答えなかった。代わりに組んでいた長い足をとき、銀色へ向けて手を出す。掌に乗せられた時計を手首に巻くと、それは嵐の波動を受けて時を刻み始めた。そして。

「え、うそ。あなたも手伝ってくれるの?」

 頷くことはなかったが、立ったというのはこの男にしては珍しいほどはっきりした意思表示。

「どうして?」

 愚かなことを尋ねるものだと男は心の中で思う。沢田家光の顔を脳裏に浮かべながら。十数年も前のことではなくつい先日、オレはオマエの敵ではないと言って帰っていたあの嘘つきな男のことを、いまさらだけど苦く。

 昔の自分に結んだ鈴がめぐり巡って息子の守護者を苦しめていると知ったら家光は狼狽する。その慌てぶりを横目で眺めて溜飲を下げたかった。

 と、いうことを説明する気のない男は黙って腕時計を眺める。針の動きに従って嵐の焔が内部の石に蓄積されて、やがてはこれを欲しがっている骸に波動が察知されるだろう。アジトを襲撃するよりもおびき出す方が手間がかからず勝率もあがる。

「まー、骸もさっさと、カタつけてぇだろーからなぁー」

 獄寺隼人が絡んで頭に血の上った山本武と、相対したい人間などこの世に居ないだろう。

「にしても、オマエなぁー」

 銀色は台詞を最後まで言わなかった。語尾はため息に消えてしまう。男には、それが気になった。

「……」

 オレがなんだと視線だけで尋ねる。

「メンクイ、だなぁ、相変わらず」

「……」

 男がとっさに反応を決められなかったのは意外だったから。

「いや責めてんじゃねぇし、いい趣味だとも思うけどよ」

「え、それ獄寺君のこと?まさかヒバリさんじゃないよね?」

 吠え付くガキに誤解されるのはどうでも良かったが。

「どっちもすっげぇ、うるせぇイロついてっぞぉー。手ぇ出す時はバレねぇよーにしろよぉ?」

 真面目な顔でそんなことを言う馬鹿が、どういえば分かるだろうかと、ほんの一瞬かんがえた。一応、言葉で言って聞かせようとした。けれどもすぐに面倒くさくなって。

「ッ、っ、っ、……、ッ!」

 振り向き、後ろ髪を掴んで上向かせ、重ねるだけのキスで何もかも済ませてやる自分を。

「てめぇ……、ザンザスッ、ナニシヤガルッ!」

「スクアーロさん声が大きいです。まだ早朝ですよ」

「変な人。なにをいまさら真っ赤になっているの?」

 鷹揚で慈悲深いと、男は心から思っていた。