すべからく、すべて・10
閉じ込めたオンナの部屋の、天井に取り付けたカメラは通常のと暗視用があって、真夜中の暗い部屋でも、緑色の濃淡で何もかもが見える。
オンナが眠る寝台も、その上に横たわる背中も。
時々、寝返りをうつ仕草も。
いとおしく、俺は眺めていた。かわいい、愛しい、俺の半身。PC画面を指でなで、唇で触れる。目を閉じてそうしてると、冷たいはずの画面が彼のぬくもりを伝えてくる気がした。
錯覚じゃなかった。
びくんと、確かに彼が、そんな時には反応したから。
背中を震わせたり、シーツを体の上まで引き上げたり。時には不安に耐え切れず起き上がってあたりを見回した。そんな時、俺は遠く離れた場所で喉奥で笑う。満足だったから。
オンナを、ぴたりと、俺のそばに置けて。
時には一ヶ月近く会えないけど、それでも、俺は彼をいつも引き寄せて抱いてた。彼にも、それは分かっていたと思う。俺が居ないときにも、少しも安らいでなかった。いつも、脅えてた。
満足だったのだ、それでも。
愛してた……。
おかしいな、と気づいたのは、そんな日々の中で。
画像が途切れる、ことが多発、し始めてから。
それまでも、そんなことはあった。けどあんまり多すぎて、俺は、館の警備を任せてる米軍あがりの傭兵に、連絡を入れた。
『おかしい、とはわたしも思っていました。ただいま、調査中です。はっきりしたら、ご連絡しようと思っていました』
近隣の、といっても五キロは離れてるが、油椰子の農園からひいた電力が盗まれているらしい、という途中経過を知らされて舌打ち。まぁ、分からないでもないことだった。あの国では電気はとても高価だ。普通の民家の普及率は二割にも満たない。別に電気くらい、惜しいわけじゃないが、彼との逢瀬の障害になるのは許せない。
近隣の住人の仕業なら、いっそ連中のために電気設備を引いちまおぅか。そう、言った俺に驚いたのか、電話の向こうは一瞬、言葉に詰ったが。
『……そういう問題では、なさそうなのです』
ひどく重々しい、声。
『どうやら、館に独立革命派が紛れ込んだらしく……』
その言葉に、今度は俺が絶句した。独立?なにを今更、ふざけてる。んなのはもう、二十年も前に……。
『本国からの独立運動ですよ。こちらの州の』
ハッ、と、俺は鼻先で笑った。
植民地の宗主国から独立したら、今度は分裂かよ。そのうち、国、なくなっちまうんじゃないかぁ?と。
彼に会えない腹立たしさをこめてあざ笑う俺に、警備の男は根気よく、その運動が起こる理由を説明した。
宗教問題、外国資本の流入、経済格差、搾取。
俺はもう一度、鼻で笑った。
言われなくたって、そんなのは分かってる。新聞、読んでりゃイヤでもな。でも本当の所は、そんなキレイゴトじゃねぇだろう?
政府は確かに腐敗してる。けど、別の州じゃなく、そこで独立運動が起こる、理由は。
油があるからだ。
パームオイルじゃない。地下の、原油。海底油田が、幾つも、ある。
だから、独立運動が金になるだけだろ。
どっかの国が、油田目当てに、『独立』を後援してやがるのさ。イデオロギーだけじゃ人間はついてこない。思想で騙されるのは馬鹿なインテリだけ。大多数の庶民は連中より遥かに目ガ見え、鼻がきく。そして計算高い。自分に得な、何かが、そこにない限り『独立』運動なんて面倒な真似をするもんかよ。
『独立運動』してんのが、椰子畑で働くより金になるんダロ?『独立』のアカツキにはその国の、また植民地に戻るんじゃねぇの?
そんな毒舌を叩くのはやつあたりだった。彼に会いたかった。警備員は、黙ってそれを聞いていた。そして。
『……あなたの言うとおりです』
静かに、答える。
それきり、電話はなかった。カメラの画像が繋がることも、二度と。
レースウィークでサーキットを離れられなかった俺はマネージャーを急行させた。それが現地に着くか着かないか、のタイミングで。
『……、ミスター・タカハシ。私です』
警備の男から連絡が入った。
なにしてやがった、と、俺は怒鳴りつけようとしたが。
『お怒りは当然です。が、話を、まず聞いてください。お屋敷が、占拠されています』
……なんだって?
『連絡の手段がいままでなかったのです。マネージャー氏がお持ちになった携帯電話で、今、この連絡をしています』
彼は。
無事かと、俺は尋ねたが。
『分かりません』
警備の男は、冷静に答える。その冷静ささえ、足元が崩れて地底に飲み込まれそうな、俺にとっては腹立ちの種だった。
『包囲して追い詰めて、います。マダムの命と引き換えに逃亡を認めろと、連中は言っています。が、十日、たっているのに、マダムが無事でおられるか、どうか』
残されているのは死体で、みすみす犯人を逃がすだけになるかもしれない。ともあれこちらへ来て欲しい確認がしたいから。そんな風に言われて俺はスッ飛んでいった。本戦は幸運にも、半日前に終わっていた。
知り合いの、航空会社のオーナーを、拝み倒して乗せてもらった、一番はやい貨物便。
空港に横付けさせといた、ジープのアクセルを踏みっぱなしで、俺は館に到着した。夜だった。
「……オイッ」
門は開いてた。照明はついてない。周囲に人は居なかった。独立運動中の賊に占拠された、そんな雰囲気はなかった。けどモチロンいつもどぉりじゃない。月明かりだけの、人気のない、真っ暗な……。
「アニキ……、アニキィ!」
俺が居ないうちに何かが起こったのか。何が起こった?不安を押し殺して、俺は声を上げた。庇護するために呼んだ筈の声は、その相手にまるで、縋りつくみたいに気弱な響きで真っ暗な高価に反響していった。
……アニキ。
ドコ?
……無事……?
泣きたい気持ちで、ふと気づく。彼はどこにも行けなかった。行けないように、俺はしていた。枷をつけて、鎖で繋いで。
離れに行く。静かな風が吹き抜けて、暗闇に馴れた目は床に、放り出されるように横たわる、白い布を掛けられた何かを、捕らえた。
気配が、する。
生きてる気配だ。……動いてる。
「アニキッ」
俺は跳ねた。本当にとんで、布の塊を抱き起こした。縛られていた。酷いことを、と思った。俺がもっと、容赦なく縛らせたこともあったけど。
手足をまるで、芋虫みたいに縛られた彼の、後での手首を解いてやろうとした、時。
不自由な姿勢のままで彼が突き飛ばす。庇うみたいに、俺に被さって。
……な、に……?
鈍い音がした。鈍器が、振り下ろされて柔らかな生身にぶつかる音だった。
それから、チッという舌打ち。そして。
「……マダム……」
困り果てたような、苦笑するような、声。
「失神しているフリをしていろと申し上げたのに」
大丈夫ですかと、彼を抱き起こすのは警備役の傭兵。
重なっていた彼が離されて、俺は、ようやく事態を理解した。
彼を殴ったのだろう、パイプを持ったまま、狙いを違えておろおろしている、若い男。
俺を庇って肩のへんを殴られて、痛みに歯を食いしばる、彼。
そして、その彼に、仕えるように恭しく。
「失礼」
いいながら、容赦なく服を脱がせる。布を剥いだ下は殆ど、シャツだけの半裸だった、俺の……。
「あぁ、これは痛い。みるみる腫れていく。おい、冷やすから、水を。水道じゃなく、井戸のな」
指示を受けて、パイプを放り出した若い男が駆けて行く。警備役は俺から引き離した彼をそっと、敷布の上にうつ伏せに横たえた。
「……愛して、おられるんですか?」
警備責任者は、俺には目もくれなかった。彼に悲しそうに問い掛ける。
「それは計算外だ。あんな目にあわされていたのに。復讐、させてあげられると思ったのに」
とんだ番狂わせだと、苦笑するもと軍人は、それでもひどく、愛しげに彼の髪に触れる。
俺の……、オンナに。
触るな、とは、俺は言えなかった。
ドコに隠れていたのか、男たちが。
それも、月光を弾いて鋭く光る、銃やライフル、マシンガンらしき武器を手にした、男たちが。
「呑みなさい」
俺を狙っていた。……囲まれてる。二十人は、いる。
「麻酔がないから、せめて」
彼の口元に差し出される酒瓶。顔を背けて、彼は拒む。
「強情を張らないで。痛いでしょう?」
優しく言いながら、警備責任者は実力行使した。彼の、顎に手をかけ歯を割って……。
口移しで……。
俺の……、オンナの、唇に……。
「幾らだ」
腹の底が。
煮えすぎると人間、逆に、度胸がつくもので。
「俺と彼と、マネージャーもか?身代金は、幾らだよ」
「金ではないんですよ」
警備責任者はようやく俺の方を向く。静かな憎悪が、そこにはあった。
「注目が欲しいのです。我々の運動は、国際社会からまだ、認識されていません」
それは、金には不自由していません、という風に、聞こえた。
名前の知られたF1レーサーとそのマネージャーが、運動に巻き込まれて。
それも、『独立運動』を弾圧する攻撃に、巻き込まれて死傷すれば世論喚起には十分なきっかけだ、と。
嘯く口元が、憎々しいほど、明晰で。
「お前が、『独立運動』活動家だった、訳かよ……」
「ただの馬鹿ならもう少し使いようがあったのに、見かけと違って、脳も入ってるらしい」
酒精がまわったのか、ずるりと崩れる彼に、警備責任者は布をかけてやる。
それは、その仕草は。
男が、惚れてるオンナに、してやる動きだった。
「何処から買ってきたのか知らないが、途上国に生まれても人間です。あなたは、この方のその尊厳を、冒していました。罰を受けても当然、でしょう」
「買ったんじゃねぇ、誘拐してきたんだ」
妙な対抗意識を感じて、俺は訂正する。ふっと初めて、警備……、いや。
その、『男』は表情を、変えた。
初めて俺にナマの本音を覗かせる。
「そいつが、欲しいんなら、ヤメときな」
俺への、嫉妬を。
「俺からは離れられねぇよ、その人は」
「……、縛りつけろ」
彼を拘束するためのバスタブに銃で脅されながら、縛られて。
その間も、俺の敵は、意識を失ったらしい彼の背中を濡らした布で、冷やしていた。