すべからく、すべて・12

 

 

 

彼が、俺のそばに来なくなって、三日。俺は不安でならなかった。それは、彼に捨てられたからじゃなく。

……何、考え、てんの……。

部屋には間仕切りが運び込まれてガラス張りの浴室に縛られた俺の視線をさえぎる。その向こう側で、彼は男になついてる。言葉はほとんど聞こえないけど、やさしい声がして。そして、男はそれを聞くたびに、うれしそうに笑った。

 ……アニキ……。

 何をたくらんでる。危ない事を、しようとしてんじゃない?おとなしく、しててよ頼むから。あんたは時々、無茶をする。。

 ……俺が、カラムと。

 男の笑い声がどんどん、穏やかになてきて。男が彼に心を許してくのが手にとるように、分かった。

 馬鹿な、やつ。男は馬鹿だよな、すぐ騙される。好きな人にキレイな顔で笑われちまうと、嬉しくて浮かれてナンにも分からなく、なちまう。

 男もそうなっていく。彼に優しくしていた筈が、逆に彼の機嫌をとるために仕えてる。優しく自分が、してもらうために。

 そういう真似をさせるととても上手い。俺の、大事な、オンナは。

 俺の身の回りの世話は別の女がした。かなりいい加減に。

そうして、四日目の朝?

 男が出て行く。それを彼はベッドから見送る。見えなくても気配で、俺には分かった。彼がどんな姿勢で部屋の何処に居るか、すぐに。

 ベッドの上で気持ちよさそうに伸びてる。夕べは、可愛がってもらったの。あいつあんたに気に入られたくて一生懸命だね。俺は、寂しい。けど、いいよ。

 おとなしく可愛がられるんだ。

 ヘンなこと、考えるんじゃないよ。

「……」

 ベッドの上で彼がタバコに手を伸ばす。ライターを擦る音。かすなガソリンの匂い。軍用のガスライターをベッドの上で使うな。危ないから。。

 寝タバコを。昔散々、怒られた。幸せだった頃の記憶がよみがえる。

 あと……、どれくらい、生きてられるか、分からないけれど。

 生きてる限りはあんたのこと想ってる、よ。

 タバコの煙の匂いが漂ってくる。彼の唇から吐かれたんだと思うと、すごく愛しかった。宗いっぱいに吸い込む。と。

 彼が。

 ベッドから、立ち上がって。

 部屋着をきる。そうして俺が居る浴室に近づく。素足のかすかな足音が俺の耳朶を、柔らかくはじく。

 ……愛しい。

 あんたの、何もかもを、俺は愛してたよ。

「……起きろ」

 眠ってたわけじゃなかった。目を閉じていただけ。やっぱりあんたを、今見たくなかった。別の男に散々、抱かれた翌朝の、あんたを。

 でも、まぁ。

 起きろって言うならそうするよ。

 まぶたを開くと彼が立っていた。天気がいいのか、まぶしいほど明るい光の中で。俺はやっぱり、笑ってしまう。だって大好きな人だから。

 新しいタバコに彼が、火をつけて。浴室に入ってきたから、俺に吸わせてくれるのかと思った。嬉しかった。タバコを吸えるからじゃない。彼の唇に触れたものに、さわれるから。

 でも、違った。

 彼は火のついたタバコを口に咥えたままで、浴室に入ってきて、俺の。

 俺が縛られたロープにライターの炎をかざす。頑丈な繊維がちりちり、焦げていく。

「……アニキ」

 呼ぶと、彼が厳しい目線で俺をとがめる。声を出すなと、その目は告げていた。俺は彼に気おされて口を閉ざす。

彼が世話してくれなかった三日間、俺は体を拭いてももらえなかった。ここは浴室だけど水気はなく、床も俺も乾ききっていた。もちろん、ロープも。

 監視カメラは、相変わらずつけられているけれど。

 目隠しの仕切りに隔てられて、浴室で何があっているかを、隠す。

 右手が焼き切れて、次は左。自由になって、俺はバスタブの底に崩れた。何日、繋がれていたっけ十日?その間に筋肉は固まって、足も手も、いうことをきかない。・

 かすかに彼が唇を緩める。俺を笑ってる。ちょっと意地悪な感じだった。無理も、なかった。俺は散々、彼を縛って拘束して、開放した後も膝がガクガクで、うまく逃げられないで怯えるのを後ろから、よく抱きしめて犯した。

 でも。

 彼は復讐。、しなかった。復讐どころか俺の手をとって、肘をもんでくれる。両手がなんとか回せるようになったら、次は膝。バスタブの底で曲げっぱなしだった膝は、なかなか、うまく動かなかった。それを忍耐強く、彼は繰り返し、緩める。

 離れた彼に、右手の人差し指を、ピッと上げられて。

 指示どおり、俺は立ち上がった。まだ少しフラつくけど、まぁなんとか、倒れやしなかった。

 彼がまた、笑う。今度は俺を笑ってるんじゃなくて、安心した笑いだった。

 一度、彼は部屋に引き返す。そして続き間へ。用意されていた朝食のバスケットを浴室に持ち込む。俺に、差し出してくれた。俺にとっては三日ぶり、固形栄養じゃないメシだった。

 でも、上手くフォークを持てない俺を見かねて彼は、食べさせてくれた。植民地時代の習慣で、この辺のアサメシには甘いカフェオレがつく。大きなカップにたっぷりのそれを、俺は、のどを鳴らして飲み干した。彼は優しく、カップを支えつづけて、くれた。

 食事が、終わる。

 彼はそれが寂しそうだった。けど、気丈に指差したのは浴室の天井。大抵の建物がそうであるように、天井の真中が持ち上がって天井裏へ登れるように、なっいる。

 俺に逃げろって言うの?あんたを置いて、一人で?

嫌だった。だって、無事に逃げられるかどうかも分からないし、それにあんたがここに居るのに自分だけ、逃げるのは。

最後まで一緒に居たかった。だからかぶりを振った。でも彼は許してくれなかった。厳しい目で俺を見つめ、行けと俺に、外を指差すのその方向にはガレージ。思わず俺は、苦笑した。

ここに閉じ込めて以来、中庭にしか出していないのに、ホントにあんたは油断ならない人だ。車のある場所をちゃんと、気づいてた。

俺は彼に手を伸ばす。彼のその、指先をつかんで引き寄せて、キスした。好きだよ、ダイスキ。だからあんたのいうことを、きくよ。

彼の肩に足を掛けて、俺は天井裏によじ登る。埃っぽい暗い中から、彼を見下ろして。

 無言で誓った。

 助けに、迎えに、必ず戻ってくる。

 もう酷い事しないから。大事に、愛してく、からね。

 彼が笑って手をふってくれる。泣き出さないために、俺は体を引いて天井板を戻し、暗闇の中を這った。

 絶対、助けに戻ってくるつもり、だった。