すべからく、すべて・16

 

 

 業界紙に、新しい話題が提供された。

 提供の主は二人。二人とも日本人で、二人ともトップクラスの人気者。技量もすばらしいがそれ以上に、若さと見目の良さで注目されていて、メジャーデビュー当時は、レースからはかなりやや方向のずれた形でマスコミに過剰に注目され、『真面目』にレースに精進している中堅たちの眉をしかめさせたこともあった。しかし。

タレント扱いされた二人は、中堅クラスのどのレーサーより、勝負に真摯で真剣で真面目だった。人気と実力の拮抗は勝負を面白くする。二人の日本人に絡んで業界は人気を盛り返し、ひところに比べれば衰退の気配を漂わせていたモータースポーツ全体をよりメジャーに押し上げた観さえあった。

少なくとも、日本企業の広告やチーム参加は、飛躍的に増えた。

二人の日本人レーサーは前後してデビューしたが、あまり仲良くしてはいなかった。アマチュアの頃から実力の拮抗した者同士、なにかにつけ比べられてきたのだと消息通は訳知りに解説する。それは嘘ではなかった。けれど、知られていない本当のことがあった。

昔、むかし。

まだ二人とも、実力と野心の他には何も持っていない若者だった、頃。

間に人を、挟んだことがあった。優しい人を、一人。

二人とも、そのことにこだわりがあって、そのまま。

十年の時が経過しても、まだ『こだわり』は融けていなかった。

いないどころか、最近は。

「昔は、少し、尊敬してたこともありましたけどね。……腕だけは」

 愛想はないが礼儀正しかった年下の、藤原拓海は、しかし。

「最近は、比べられるのもイヤです。名前、並べて載せられるだけで、すっげぇヤな気分ですよ」

 シーズン中盤、やや日程に余裕のある真夏、並べられた座談会でマイクを向けられるなり、日頃無口な藤原拓海がすべらかに喋りだす。口数は少ないが口下手ではない。目線はやや年長の先輩、高橋啓介に据えて動かさない。

「人間的に、どうかと思いますね、こんな人が堂々と、道歩けるだけでも犯罪だ」

 レポーターが戸惑い、合いの手さえいれられない間に。

「だったら座談会なんざ受けるなよ」

 落ち着いた様子で高橋啓介は、席の右端におかれたおしぼりを手に取った。日本人同士の座談会には必ず使われる日本料理店。二人が会席よりステーキが好きだという現実は演出の前には無視される。

「で、どーする。雑誌に載せる記事の分、喋るか?」

「喋りますよ。さっさとすませて、出ましょう」

 戸惑うレポーターに質問を促すと、べらべらと二人は早口で答えた。記事に十分な量を喋るまで十五分もかからなかった。写真をとられて、二人が立ち上がった瞬間。

「ダメダ、フジワラ」

「止めて下さい、啓介さん」

 双方のマネージャーが二人の間に割り行って止める。二人はその一月ほど前にも一戦、やらかしたばかりだった。二人とも口を割らないので詳しい事情は不明だが、藤原拓海が二位、高橋啓介が五位だったレース後のレセプション会場から二人の姿が消えて、やがて二人ともぼろぼろでそれぞれの宿泊先に戻った。

 隔てられたのに、あえて逆らわず、藤原拓海が口を開く。

「別に喧嘩はしませんよ」

 白々しいほど、しゃあしゃあと。

「話があるだけです。啓介さんも、俺にあるでしょう?」

「あるな」

 チャリンと、高橋啓介は車の鍵をポケットから取り出し、掌の中で投げた。

「そのへん一周、してこうぜ」

 二人とも酒は呑んでいない。酒どころか、水の一口さえ。座席に用意された料理は手付かずで、刺身の角が崩れかけている。

「二十分くらいで帰って来る。いいだろ」

 自分と相手のマネージャーに言った。双方のマネージャーは顔を見合わせ、しぶしぶ、頷いた。

 

 

 夜の、街灯が少ない、街並み。

 高橋啓介の運転する車はスムーズに走り、街灯が一定のリズムで背後へ流れてゆく。

「……で?」

 黙りこむ助手席の相手に、高橋啓介は自分から声を掛けた。

「どーするんだ?DTA(医療技術倫理委員会)にでも訴えるか、それともマスコミにリークするか?」

 厳しい顔で前を睨んでいた藤原拓海は、目線をそらさないままで、

「する訳ないって、思ってるんだろ」

「あぁ」

「……チクショウ……」

 低く、うめく。

「気持ちはそりゃ、分かんないでもないさ。いきなり、居なくなられて、俺だって随分、混乱して信じられなかった。そっちは、俺より酷かっただろうさ。だからって……、やっていい真似じゃないだろ……ッ」

「クローン、って思ってるのか」

「他のナンだって言う気だよ」

 知っていた人よりずいぶん若かった。ほんのまだ、少年の歳。でも顔も声も表情も、瞳の冴えも話しの間のとりかたも、全てが覚えてた通りだった。名前を読んだら振り向いた。高橋啓介を捜している、と言った。

 通常細胞の核から命を誕生させることが、可能になって、既に十年。倫理委員会は技術のヒトへの応用を厳しく禁止しているが、『出来る』ことをみなが知ってしまった以上、悪魔はもう、招かれたも同様。亡くした恋人、早世した我が子、そんな相手を元通りの姿で『蘇らせたい』と、望まない人間は、居ない。

「あの……、ヒト、知らないみたいじゃないか。自分がそうだって」

 話し掛けたが、自分を知らなかった。自分がそうだってコトさえ知らない様子で、ただ一心に。

「心配してた。可哀想だ。こんな男のことを。なんにも知らないのをだまして、手なづけて。可哀想って、そっちは思わないのかよ」

「……あんまり、な……」

「信じられねぇよ……」

 高橋啓介は苦笑しかけて止めた。俺もだと、自分で口走りそうだった。

「別に可哀想じゃねぇさ。可愛がって、大事にしてる」

「……ペットみたいに?」

「かもな」

「……ジツの兄弟だろ」

「随分前から、恋人だった」

 知っていた事実を吐かれて藤原拓海の拳が握りしめられる。が、高橋啓介が運転中だったので、手出しはなんとか自制した。

「そっちの話がそれだけなら、俺のも聞けよ。どこにどう喋っても構わないぜ。お前が漏らせば、調査が入って関係者は処分。俺は懲役を食らうだろうが、情状酌量で執行猶予がつく。医者や学者らだって殺されるわけじゃない。……始末、されんのは、アレだけだ」

 高橋啓介の言葉にフジワラ拓海の顔から血の気が引いていく。

「アレは生きてちゃいけないモノなんだから、な」

 類似の事件は、何回かあった。発覚したクローン人間の殆どはまだ胎児の状態で培養漕のナカに居た。見つけられたそれらからは培養液が抜かれ、胎児は『死亡』した。殺人ではないかという一部の非難に対して倫理委員会は、この命はそもそも、存在しなかったものであるという弁明をした。

「殺したけりゃ、喋れ……」

「素直に言えよ。アイシテルからばらさないでくれって」

「……さぁな」

「一度、彼と話が、したい」

「なんでだ。なに、喋る」

「本当のこと。彼が本当は誰なのか」

「余計なことだ」

「騙したまんま、そばに置いとくのかよ。可哀想って、思わないのか」

「藤原。お前、本当にアニキが可哀想で会いたいのか?」

「……当たり前だろ」

「どうかな。返事が遅れたぜ。お前、アニキに未練があるんだろ」

 ごく若い頃の……、恋。

「優しくすりゃ靡くかも、って思ってんなら、止めろ。アレは俺のだ。そういう風に作ってある」

 車は、マネージャーたちの待つ料亭へ戻っていく。

「ひとでなし……」

 顎を浮かせて斜めの視線で、藤原拓海は高橋涼介に言った。童顔の彼はそんな挑発的な表情をしていると、まるで。

「年増女」

「……?」

「みたいにお前、見えたぜ、今」

 一瞬、ココロが動いたとは言わなかった。あのヒトより五つ年下のこの相手は、そういえばあの人が居なくなったのと同じ歳だ。今、少し似ていた。あの人自身に罵られた気がして……、一瞬。

 切なく懐かしかった。

 とは、言わなかった。

 藤原拓海は答えない。車が停まると同時に黙っており、前をまわって運転席の窓ガラスを叩く。高橋啓介は素直にガラスを降ろした。そこに藤原拓海が腕を突っ込んで。

「タクミ……ッ」

「藤原さん、やめてくれッ」

 襟首掴んで引き出して、不自由な姿勢ながら顔を、殴りつけても。

「……」

 高橋啓介は自分も車を降りて、応戦しようとはしなかった。

「……」

 固い沈黙を破るように。

「あのぉ……」

 料亭の揃いの和服を着た仲居が声をかける。日本人だった。

「これを。お料理にお手がついておりませんでしたので、ナマモノ以外を、折り詰めにしました」

 風呂敷に包まれたかなりの重さの折り詰めだ。双方のマネージャーが救われたように、ありがとうと礼を言って受け取る。自分のそれにつかつか歩み寄って、折り詰めを受け取った藤原拓海は、それを、まだ窓ガラスを下げっぱなしの高橋啓介にずいっと、差し出す。

「持って帰れよ。……和食、好きだっただろ」

 誰がかは、二人にしか、分からない。

 高橋啓介は、礼は言わなかったが受け取る。マネージャーたちは、その隙を逃さずに。

「今日は、どうもありがとうございました」

「お疲れ様でした!」

 不自然なほど明るく、深くお辞儀を交し合って、別れた。

 

 

 シーズン中の定宿にしているホテルの、部屋。

 カードキーを差し込んだ途端、自動で全ての照明が点く。明るい部屋に踏み込んで、男はネクタイを緩めた。

 枕もとに置いた時計を見る。その時計はこの国ではない、男の本邸の現地時刻にあわせてある。そこでは深夜というより朝方の、午前四時。電話するにも、せめてあと二時間後でないと起こしてしまう。

 壁の掛け時計は午後の九時をさしていた。テレビでも見て時間を潰すかと、リビングに腰を落ち着け電源を入れる。空腹を感じて、持っていた折り詰めを一つ、ひらく。クラブフロアのコンシェルジェに電話して、日本茶を一つ、といい掛けた男は、途中で湯飲みを、二つと言い直す。

 コンシェルジェは丁寧に承り、やがて待つほどもなく、暖かなポットが二つとカップが二つ、届く。男が滞在中は日本茶を欠かさない、ここはそんなホテルだし、男はそういう客だった。

 リビングのテーブルの、対面にもう一つの折り詰めをほどいた。煮物や揚げ物、ピースごはんに、酢の物、和え物、などが彩りよく詰められている。折り詰めの横に、ポットから注いだ茶を置いて。

「……いただきます」

 一人で、笑って言ってみた。向いにあの人が居るような気持ちで。

「今日、藤原に会ったよ。……あの子のこと、随分責められた」

 まぁ、当たり前だけどな、と。殴られた側の頬を庇いながら食事する。

「可哀想だって泣きそうな顔して言われたよ。可哀想なのかな、やっぱり。……俺がそう、思わないのは、俺がおかしいからなの、かな……?」

 答えはない。それでも、男は話し続ける。

「だってさ……、俺の方が、ずっと可哀想だよ……。な……」

 折り詰めはおいしかった。普段、そう好きでもない和食だが、多分。

 ここには居ない人と話しながら、食べている気分だから。

「エビちょーだい、アニキ」

 二十年も昔のままの口調で言って、箸を伸ばす。

 野菜を食べろと言われないのが、少し淋しかった。