すべからく、すべて・2
終業式の間、俺は油断すると緩む頬を、引き締めておくのに必死だった。
学長の長い話。それに続く、成績優秀者の表彰。俺の名前は最初に呼ばれた。いつものことだから、特に感動はない。
式が終わって教室に戻り、休暇を過ごすにあたっての担任からの諸注意を上の空で聞く。終わった途端、クラスメイトたちは荷物をひっ掴んで走り出す。俺は気持ちを押さえて静かに立ち上がった。
「涼介」
「涼介、来てるぜ、待ってる」
「車は見たことないやつ。もしかして発売前の、ティックス?」
「いいなぁ。トーナメント・キングの助手席かぁ」
あれこれ煩いクラスメイトたちに頷きながら、俺が校門の前に立つと、正面に横付けされていたスポーツカーの助手席が開く。上に持ち上がるタイプに驚いて、クラスメイトたちがどよめく。
奥の運転席にいるのは俺の……、家族。
「待ったか?」
俺が尋ねると、
「いいや」
啓介は短く答える。怒ってるみたいに見える。見えるから、俺のクラスメイトたちは遠くから眺めてるだけ。俺が助手席に乗り込むと、啓介は体を乗り出してシートベルトを嵌めてくれた。膝の上から荷物を取り上げて、形だけついてる後部座席に放る。
荷物は少ない。いつも、一日分の着替えしか持たない。だってドコに行くか分からないから。空港に直行して、中国奥地の温泉に行ったりアフリカの月を見に行ったり。
ファイアーレース・トーナメントのチャンピオンである啓介の、余暇の過ごし方はダイナミックだった。それに同行する俺はどうせ、衣服や日用品は現地で揃えなきゃならない。そんなバカンスにすっかり慣れていた。
……俺の記憶は、戻らなかった。
けど、俺の体力は順調に回復した。庭を駆けれるようになった頃、俺は啓介に尋ねた。いつ、復学できるか、と。
啓介ぱ微妙な表情をした。悲しい、みたいにも見えたけど一瞬でそれは掻き消えて、後は。
「そっか。あんた、ベンキョウ、スキだったもんな……」
そんな風に、言った。
「いいよ。学校行きな。ドコに行く?」
その言い方がおかしかった。俺はじゃあ、事故にあうまで学校に通っていなかったのか?
「医者とか、なりたいの……?」
そこまで考えてないよ。ないけど、学校に行って勉強して進学して就職して。普通のこと、だろう?
「……そうだ、な」
なのに、啓介、どうして。
「好きなように、しな」
そんな悲しい顔を、する?
不思議だった。けど、結局は啓介のチーム関係の、企業の偉いサンの紹介で、この国では一応、名門校って言われてる学校に、俺は編入できた。通学はムリだったから寮に入った。啓介も、それには反対しなかった。念の半分はレースで、世界中を飛び回ってる男だった。
最後に、俺を学校に送ったとき。
「……一緒に……」
そこまで言って、啓介は黙った。けど、俺には続きが、分かる気が、した。
『一緒に』
誰と?
それは分かってる。俺が、啓介と。
そして一緒に……、どうするの?
世界中をレースで飛び回る、啓介の隣で俺に、出来ることはなんにもないのに。
だから、俺は聞かなかったことにしておいた。啓介も続きを言わなかったのは、それが分かってるからだろうと思った。
そうして、二年。
来年、俺はカレッジに進学する。
啓介は長い休暇のたびごとに、俺を側に引きつけて離さない。
そして、俺にはぼんやり、分かりかけた事があった。
『一緒に』
啓介と、一緒に居る。出来ることは、なんにもないって、思っていたけど。
もしかしたら……、違うのかも、しれない。
車は、市街地を滑るように走る。加速と減速と停止がとてもスムーズで、乗ってて全然、疲れない。
「……疲れてるか?」
ようやく啓介が口を開いたのは、走り出して10分はたってからだった。
「ううん、全然」
俺は自然に答える。
答えると、啓介はほっとした。細い息を吐くのが分かる。緊張、していた、らしい。
いつも、こうだ。
俺と会うとき、このオトコは不機嫌に黙り込む。それが怖かったこともあった。けど最近は馴れた。気づいたから。こいつが、実は俺と久しぶりに会うと、ガチガチに緊張して固くなっているんだ、ってことに。
おかしな、話だ。
有名人の、お金持ちのくせに。
どうして、俺の前でだけ、そんなに……、カワイイ?
「何処、行くんだ?」
空港とは、方向が違う。
「とりあえずメシ。喰おうかと思って」
「それから?」
「別に、予定はまだねぇよ。あんたどうしたい?」
「俺、啓介の隠し子だって、学校で噂になってんだぜ」
言うと、啓介は心底驚いたらしい。信号が青になったのに発進するのを忘れて呆然と、俺を見た。後の車にクラクションを鳴らされて慌ててアクセルを踏み込む。
「そうなのか?」
違うことを、承知で尋ねる。
「……ちげーよ……」
殆ど、うちのめされた感じで啓介が、答えた。
声が震えて、肩も。ハンドルを持つ指まで。自覚したのか、バイパスぞいのファミレスの駐車場に車が滑り込む。俺は、何にも言わなかった。
「……違う、んだ」
ハンドルに殆ど、顔を伏せるみたいにして、苦しむ男。
「家、帰ろう」
俺は背中を撫でてやりながら、言った。
「何処にも行きたくない。あの家に、帰ろう」
税金対策のために世界中、あちこちに住まいやビルを持っているこの男の本宅。広い中庭と忠実な執事と、料理のうまいコックが居るところ。記憶を失って不安に潰れそうな俺を、男が囲い込んで、そっと包んでくれた場所。
「そこで話、しようぜ」
俺がなんなのか、お前が俺の、なんなのか。
実はもう、かなり分かっているけれど。
「本当のこと、教えてくれ」
もう、分かってるから。
「なに、聞かされても驚かない、から」
二年間、ずっと大事にされてきた。
忙しい男が俺の休暇にあわせて、ずっと一緒に、居てくれた。
俺が笑うと安心して、話し掛けると嬉しそう。
休暇が終わって別れる朝は、朝から、タメイキばかりになる……、お前が、本当は。
俺の、ナンなのか、教えて。