すべからく、すべて・24

 

 

 人形は、とてもきれいに成長した。

 カプセルの人工羊水に浮いて、陽に焼けず傷もなく。それは人工宝石のつるんとした、うそ臭いほどの無傷さに似てたけど、まあでも、やっぱりきれいでないことはなかった。記憶の中の人より随分と華奢に見えた。それは多分、俺が大人になった後で、見てるせいだろう。

 クローン処理してから三年。通常の『人間』なら十五歳くらいの時点で人形を人工羊水から出した。成長因子の作用だけで大きくするには、それが限界だった。『生まれた』人形を、俺は自邸に引き取った。関係者の中には反対する者もあったが資金提供者の強権で押し切った。箱から出した人形の、濡れた皮膚を拭って髪をすき、服を着せるのも俺がした。不思議な感じだった。

 ガキの頃はいつも、俺がしてもらってたことだった。

 ガキじゃなくなってからは時々、俺の方がしてたけど、それはいつもセックスの後だった。

 身体を綺麗にして目覚めを待ち、『起きた』ところに声をかけすりこみを完了してから自邸につれて帰った。正直言って、嬉しくて楽しかった。長いこと俺は友人も恋人も作らずに過ごしてた。心許せる相手が居ないのは寂しいとか辛いとかいう前にすごく、つまらないことだった。

 贋物の人形でも、彼に恐ろしく似たをそばに、置けるのは幸せだった。大事にして、愛して行くつもりだったし、そうした。休暇のたびに一緒に、連れて歩くの、とても楽しかった。

 何もしらない、無力なガキを、庇護する快感。

 心ごと俺になにもかも任せて、俺に従順に随う人形は可愛かった。ほんとうに、とても……。

 でも……、だんだん……。

 可愛くなくなってきたのは何時から、だったろう……?

 真っ直ぐに俺を見てなにか言いたそうに唇を開く。そのたびに俺は目をそらす。俺は人形を、抱くのはヤバイと思ってた。だって。

 時期がきたら、人形の脳みそを抉り出して、代わりに彼を目覚めさせるんだから。

 そばに置いて、犬猫みたいに愛玩してるうちはいい。けど、情が移りすぎるのはマズイと、分かってた。

 なのに……、匂いが。

 するのだ。しだした。俺を誘惑する、俺のダイスキな匂いが。

 それは花の香りに似てる。やがて蜜になり饐えて最後は酒になる、過程を俺は生々しく知ってた。花びらに触れれば受粉して蜜が甘くしたたるだろう。唇で受ければ甘さはいずれ、耽溺させる酔いを生じさせる。

 分かってる。分かってた。だから、俺はセックスには使わなかった。……のに。

 人形は、俺を好きだと言い出す。

 愛していると、そばに居たいのだと。そのために俺に自分を、抱いてくれなんて、言い出す。

 俺は笑おうとした。笑い飛ばそうとして失敗した。人形の目元も声も口調も息も、あの人にそっくりだった。遺伝子が同じだからって、こんなに何もかも同じになるもんか?育ちは全く違うのに?

 人形は俺に愛してくれと強請る。同じ声で乞われて、俺の意識は混濁した。人形と彼の区別が……、曖昧に……。いい訳だ、けどな……。

 俺は欲望に負けて誘惑に乗った。人形のカラダを抱いた。まだ熟れかたは足りなくて、甘味より青い酸味が強かった。でも、泣き出すまで可愛がって悶えさせると覚えてた蜜に近い、雫を滴らせた。

 セックスだけに、しようと思ってた。

 可愛がるだけに。……できなかった。

 だんだん憎く、なってくる。それは俺が、人形を彼と混濁しているからだ。境界の認識が曖昧になるほど、人形は本当に彼に似ていた。外見のことじゃないそれが似てるのは当たり前。

 そうじゃなくて……、ナカミが……。

 人形の『自我』が彼に、似てくるのが俺にはとても、嫌だった。彼は一人しか居ないはずだ。カプセルの中で眠ってる俺の伴侶。なのに……、お前がどうしてそんな声を出す。

 置いて部屋を出て行こうとするとひどく悲しい顔をする。いつか行くなと言い出しそうだった。言われるのが嫌だった。俺にその言葉を言うべきなのはあの人だけだ。俺が世界中と別れてもいいって思うほど、愛してるのは、あの人だけだから。

 人形は成長する。カラダの外側も、ナカのアジも。どんどん甘くなってくる。抱くたびに身体中に馴染んでく。キモチイイのが口惜しくて、俺は時々、乱暴な真似をした。人形はそんな時も抗議もせずにケナゲに、震えながら耐えてた。揺れる睫毛まで憎かった。

 彼に、あんまりそっくりだった、からだ。

 気持ちのバランスがうまくとれなくて苛ついていた。そんな時期のレースウィーク、しかも気分が昂ぶる事故直後に、俺の前にやって来たガキを俺は玩具にした。弄んで遊んだ。イヤとかキライとか、そんな言葉を欲しかったからだ。……俺は。

 セックスの快楽に溺れることは自分に許してた。仕方ないさ。オスだから。

 抱き人形を可愛がる事も。……だけど。

 あの夜は違った。確かに、違ったんだ。俺はぶち壊したくて抱いた。『愛してる』なんて言葉をもう、あの贋物の唇から聞きたくなかった。憎まれたかった。じゃないと勘違いしそうだったから。

 あれのことを、彼だと……。

 人形は壊れた。狙い通りだった。予想と違ってたのは、俺の気持ちだった。嫌がられて拒まれれば楽になると思った。逆だった。むしろ。

 追った。俺を怖がってシーツを引き寄せて、裸の肌を隠そうとする仕草が彼そのもので。

 抱き寄せた。震えながら顔を背ける、くちづけを拒んで噛み締めた口元が同じだった。

 ……アニキ。

 違う。あれは別物。頭じゃ分かってる。けど俺のカラダ、のナカでもとくに俺のオスは納得しなかった。あの人形を、彼だと認識して引き裂きたがって猛り立つ。男はみんな、自分のオスの奴隷だ逆らえない。正直すぎる欲望は心までかき乱して。

 あれが、そのものみたいに、思える。

 愛護と虐待の間を揺れる俺の態度に人形は戸惑い、悲しんだ。俺はせめて、ベッドの外ではあれをちゃんと、人形として正しく扱おうと思った。人間みたいに学校に生かせたりしたからおかしくなったんだ。ちゃんと首輪をつけて囲いの中で、飼おうと、した。

 ……それが……。

 逃がさない為の用心だとは、思わないよう、努力した。

 かつて彼をそうやって閉じ込めたのと、同じ真似をしてることに。

 気づかないことにして、人形の首輪を注文した。一度みにつければ外れず、設定地点から二キロ以上、離れれば電撃で身体の自由を奪う、ネックレスを。心臓を痛めないよう、カラダの右側を電流が通るよう、首と右足に金属の輪を嵌めるつもりだった。

 昔、同じ真似をしたことは思い出すまいと、した。

 首輪を差し出した俺を人形は、悲しそうに見た。表情はほんとうに彼そのものだった。でもそうじゃないことはすぐに知れた。人形はとんでもないことを言い出した。ラボへ行ったと。そうして俺の彼を。人形自身のオリジナルを。

 『コロシタ』と。

 俺は……、もちろん激高した。当然だった。殴って引き摺って棄てて、ラボへ駆けつけた。

 そこで彼は静かに眠っていた。彼を殺したという人形の言葉はウソだった。でも本当のこともあった。人形はラボへ行き、自分自身のことを知った。自分が、部品とり用の廃品、ジャンクであることを。

 

「怪我がひどかったからです、とても。額が切れて、血がたくさん流れていました」

 どうして逃がした、という俺の質問に。

「ガレージでずいぶん長い間、泣いておられました。病院へ行きましょうと言っても聞き入れてくださいませんでした」

執事は淡々と答えたる

「やがて泣き止んで、立ち上がられようとされたとき、貧血で倒れられて、そのまま」

 意識を失い、病院に担ぎ込まれ。

 そこから……、逃げた。

 今度は多分、もう二度と戻らない。

「病院へ搬送する間も処置中も、ずっと泣いておられました。意識がなくなっても」

 馬鹿な真似をするもんだと思った。居なくなった人形に対しても、そうなることをそそのかした、多分、藤原拓海に対しても。人形にお前はそうだと、ご丁寧に説明したラボの研究員にも。

「……旦那さま……」

 執事が俺に何かを言おうとする。俺は手を振って言葉を拒んだ。自分が不道徳なのも残酷なことも知っていたから今更、言われたくなかった。執事は大人しく口を閉じる。目を伏せて大人しくしているが、心の中で辞表の文句を考えているかもしれない。別に構いはしない。

 けど、人形の行方は捜そうと思った。これは逃亡じゃない迷子だ。鎖を脱して逃げ出した飼い犬を探すみたいに、俺は人形の探索を手配した。取り戻したらちゃんと鎖をかけて、御人形はオモチャ箱から出たらダメなんだよ、ってことを、思い知るほど教えてやらなきゃ。

 そこまでは、俺の理性で考えてた。

 けど。

 オスは嘆いてる。甘い蜜に喰いつぎたがって、夜が来るたびに暴れる。猛り狂う、のならまだ、収める方法はあったが。

 嘆き悲しむ、のには困った。

 ソコから声が出せるなら、多分泣き声をあげただろう。

 寂しい。帰って来てくれ。寂しい……。

 『彼』と引き剥がされた時の、感じとよく似てた。そっくりだった。そのものだったかもしれない。

 帰って来て。抱きたい。抱き締めたい。そばに居たいんだ。食い殺したいくらい。

 ……愛してた……。