すべからく、すべて・26

 

 

 ずっと考えてた。

 会ったらまず、尋ねられると分かってたから、どう答えようか、って。

 多分、その答え次第で、その後が決まると思ってた。分かっていた、から。

 効く言葉を、ずっと捜してた。あいつを絶句させるくらいの、きつい語句。

 一日に何回も、何十回もそのことを考えた。どう答えよう、なんて言おうかと。

 『他になかったから』

 それは、嘘でもないけど、本当の真実でもない。

 泣きながら病院から抜け出した俺を、助けてくれようとした人は居た。助けてくれた人たちは俺に、とても優しかった。俺を引き取ろうと、言ってくれたけど。

「マネージャーになってよ。んでさ、ずーっとそばに、居てよ。俺、涼介さんにそばで世話してもらうの、ずーっと夢だったんだ。ね?」

 真摯な表情でそう、言ってくれたのは若い男。悪気は多分なかったけど、その言葉は俺を傷つけた。

 以前、ずっと前、俺が『目覚めた』かぐ後に、あの男、も。

 啓介も、俺に同じことを言った。一緒にレースに行こうと言いかけて、止めた。

 俺じゃない俺なら、彼なら、一緒にレースに行って役立つことがあったんだろう。体調やスケジュール管理や外部との交渉、とか。セクスの相手、以外、にも。

 俺には何も出来ない。なんにも、何一つ。俺は医者でも大人でもない。面倒ごとから雇い主を庇って、気持ちよく仕事をさせるマネージャーなんか勤まらない。

「馬鹿野郎。そんな真似、させたらあの弟にすぐばれるじゃねぇか」

 国際弁護士だという年かさの方はもう少し現実的だった。啓介のことを『あの弟』っていう、呼び方が、俺の本体である『彼』との、付き合いの古さを思わせた。

「だいいち……、十……、六か?七か?」

 精悍な眉を寄せ尋ねられる。俺は黙ってかぶりを振る。自分がいくつか、今は知っているよ。試験管の中で派生して、五年。促成栽培みたいに栄養を与えられ育てられたカプセルの、中から出されて、二年と少し。

「学校は?行ってたのか?」

 頷き、休学中だけど、と答えた。戸籍のない俺をどう工作して、学校に行けたのかは分からない。そう答えると男は、精悍な表情をほころばせて。

「なんとでもなるさ。俺だってしてやれるぜ、それくらいのことは」

 吸っていた煙草を灰皿で揉み消して。

「じゃあ、まずは復学だな。ハイスクール卒業して、それから大学。なんにでもなれるさお前なら」

「そんなの。せっかく取り戻したのに、そんな」

「落ち着け、藤原。こりゃ涼介だけど本人じゃねぇ。これには、これの人生を選ぶ権利がある」

 ……あるのか、そんなものが、俺に。

「うちに来い。うちから、好きな学校に通えばいい」

「そんなのずるい!」

「落ち着けって言ってるだろうが、藤原。……あのな。……誤解を、するなよ?」

 落ち着いた物腰の男は、次の煙草に火をつけようともせず、正面きって、俺と向き合った。

「お前をどうこう、しようって気はない。本当だ」

念の押し方が、やけにしつこかった。今はともかく、俺にはともかく、俺の本体の『彼』には昔、そんな気持ちを持ったことがあるって告白、してるに等しかった。

「俺は妻帯者だ。うちには女房と犬と女房の両親が居る。俺のガキは居ねぇが、女房の連れ子が二人。大家族だ。今更、俺の身内が通学の為に一人、家中に増えても、なんていうことはない」

「信用しちゃだめだよ、涼介さん」

 藤原拓海は、なんだか怒っていた。

「この人が結婚した子もちバツイチの女の人、涼介さんに似てるんだから!両手に花、されんのがオチだよッ!」

「……だからな、藤原……。どこが似てる……。あの丸まっちぃヤツの……」

「国際為替法の専門家なんだろ?取引法改正のセミナーで講師してたんだろ?就学前の子供二人、連れて来てて、昼休憩に、ホテルのロビーで子供に御弁当、食べさせてたのに惚れたんだろ?帰り送るって車まわした受講者の一人が、そのまんま子供ごと自分ちに引っ張り込んだって、昔の仲間じゃ有名な話なんだから!」

「おい……、誤解すんな……。ガキの一人が具合悪くして、それで……。……まぁいいが……」

「頭のいいコブつきに惚れっぽいところ、昔通りじゃないですか」

「こいつは措いて、だから、安心して……」

「安心なんか出来ない!」

「藤原、おまえは黙ってろ!」

 とうとう怒鳴りあう二人を、俺は少し、さめた気持ちで見ていた。二人とも俺の為に一生懸命に考えてくれているのにそんなのは悪いと思った。けど、でも。

 それは、俺じゃなくて『彼』のため、だから。

 だから二人の世話になるのが、俺はなんとなく嫌だった。いやという気持ちの中にはかなり不純な理由もあった。この二人のどっちかに世話になったら、そこでお仕舞いだって気がしたから。……何が?

 啓介との、ことが。

 矛盾に我ながら笑ってしまうけど、でも。

 俺は啓介と終わりたくなかった。自分から出て来たけれど、あいつと離れたくはなかった。あれもまた、俺じゃなく『彼』を愛していたんだけど。俺は身代わり、より悪い、人形。身体の成長が止まったら殺されて、身体を『彼』にあけわたすために、創られた……。

 それでも。

 でも、やっぱり、どうしても。

 会いたい。愛しい。あいつの顔が見たい。やっぱりどうしても愛してる。愛されてなくても。

 ……だから。

 

 

 再会の瞬間、男は俺を、不機嫌な顔で見た。

 ほんの少しだけ俺は後悔した。待ちきれず出てきてしまったことを。本物の『彼』が眠るカプセルにもたれて、うっとり夢見てるような優しい顔をしてた男が、切なくて。

 それを中断、させるために出た。

「なんで、あんたここに居んのさ」

 来客にコーヒーをお出しするためだよ。

 俺はここの、まぁ、助手っていうか、雑役婦。検体の細胞が入った試験管にラベルを貼ったりはがしたり、検体番号と結果をパソコン上でデーター処理してグラフ化したり、してる。

 来客は殆どないど、あればお茶を淹れる。

 外部の人間は入って来れないこの研究所に、来る客は、お前だけだから。

 お前にお茶を、出すためにここに来た。

 けど。

「……なんの冗談?」

 お前が俺を、憎々しく見るから、心は勇気をなくしてしまい。

「他に、居場所がない、からだ」

 一番楽な、答えに逃げてしまった。