すべからく、すべて・27

 

 

 手首をつかまれて、早足で歩かれる。

 つられて走りながら、俺は啓介の顔を見上げた。

 表情が険しい。俺の視線に気付いてるのに見返してもくれないで足を速めるだけ。

「俺、外には行けないよ」

 言っても答えはなくて。

「外には……」

 出れないと、二度、告げることは出来なかった。

 関係者以外立ち入り禁止の、ゲートを潜った途端。

 崩れる。

 体験したのは初めてだった。

 声も出なかった。

 右の、手首から肩、腰を通って足首まで、繋がる電撃。

 心臓のある左半身は避けて二秒流れては七秒止まり、また流れる。

 息もできなかった。

 床に倒れて苦しむ俺を男は、舌打ちとともに一瞬だけ眺め、すぐに抱き上げる。苦しさに暴れる俺をそれでも押さえつけて。

 オープンカーの屋根から助手席に放り込まれたのは覚えてる。

 助けてくれと言うことも出来ない。

 身体中に嫌な熱が篭る。冷や汗に、肌が湿って、そして。

『戻してください。殺してしまいますよ』

 地下駐車場に響くマイクの音声。

『十五分そのままだと確実に息が止まります』

 警告を他人事みたいに聞いていた。内側からの苦痛に精一杯で、外からの刺激に実感はなかった。ただ、男の手が乱暴に、胸をかきむしる俺の手を掴んで引き寄せたのだけは感じてた。

「……、なに考えてやがる……ッ」

 ブレスケットは啓介が俺にくれようとしたもの。俺を繋ごうとしてたもの。俺が逃げてから研究所に返されて、あらためて俺の手首と、足首に嵌められた。設定は変った。この研究所の、機密区画だけが、俺が生きていける、場所。

「イヤガラセもいーかげんにシロッ」

 嫌がらせ。かもしれない。電撃の強さも時間も、全部お前のオーダーだ。お前はこれで俺をあそこに閉じ込めようとした。中庭が美しい館の離れ。お前が俺に、嘘ばかりついた場所。

 ……だって、もう。

 ……聞きたくなかったんだ、嘘は。

 もういい。何も要らない。お前の車に乗れる権利も、一緒に何度も、行った旅行もおいしい食事も、なんにも。

 お前の世界は嘘ばかりだった。お前は俺を、だましてばかりだった。あんなに愛して優しくしてくれたのに、それは本当は、俺にくれたものじゃなかったんだろう?

 お前が愛してるのは、水槽の中のあの人。

 お前はいずれ、俺を殺して、あの人とあの場所で過ごすつもり。あの人を隣に乗せて車を走らせて、あの人と美味しい食事をするんだろう。明るい庭にテーブルを出して。

 ……いやなんだ。

 考えたくないんだよ。自分が死んだ後のこと。お前に殺された後で、お前があの人とどう過ごすつもりなのか、俺には痛いほど分かる。

 そこに居たくなかった。嘘はもう、十分だったから。

 俺はせめて、俺に相応しい場所に居たい。

 陽の届かない地下の、換気扇が空気を入れ替える、この世界が多分、本当の俺の居場所。俺は本当は、ここから出ないで生きて、お前にだまされて、そうして……。

 なんにも知らずに、いつか眠ってそれっきり、目覚めない筈、だった。

 ……そっちが良かったな……

 きっとお前を愛したままで、死ねた……。

 

 

 目覚めたのはベッドの上。与えられてる自室の、狭いシングルベッド。

 目を開けた時には居た看護婦が、目覚めた俺に安心して微笑み、俺の手首から管を抜いて行く。何を注がれていたのか俺には分からない。看護婦が出て行くと、部屋の隅に立ってた男が近づいて、ベッドの端に腰かけた。

 疲れた顔を、してる。

 大丈夫かと尋ねたかったけど、まだうまく唇が動かない。

 向けられた視線から、俺は男が何を考えているか知ろうとした。なんにも言ってくれなかったから。でもすぐに、それも出来なくなる。

 男が、俺に腕を伸ばして。

 肩を起こされ、背中を支えられて抱き起こされる。

 胸元に、ぎゅっと抱かれて気持ちいい……。とても……。でも……。

 贋物。この優しさは、嘘。俺が俺じゃない人の身代わりだったように、この男の。

 身体も温かさも、やさしさも言葉も全部。

 本物じゃなかった。

「……怒ってるか」

 尋ねたかったことをぎゃくに問われて。

「うん」

 ようやく動く、舌で答えた。

「お前、ひどいよ」

「……そうだな」

「どうして騙したの?」

 男は暫く考えていた。でも、やがて。

 覚悟を決めた、ような顔になって。

「ホントのこと言ったら逃げ出すだろ?」

 笑いながら、俺にそう告げた。

 少し、壊れてる感じはしたけど、でも。

 俺がダイスキな、とても明るい、目で。

「自分がクローンだって知って、気が遠くなったよ」

 地面が崩れて行くような、絶望。

「でも思い直したんだ。もしかしたら今は違うのかもしれないって。最初は部品でも、今は考え直してくれてるのかも、って。だってお前、最初は俺のこと抱こうとしなかったけど、抱いてって俺が、言ってそうしてくれたから。あの時、苦しそうだったのは、あの人のこと裏切って俺を選んでくれたからかも、しれない、って、思った。今はもう、俺のこと……」

 愛してくれているのではないか、と。

 思ったから、嘘をついて試した。眠るあの人を殺してしまったと。

「よく、分かったよ」

 お前がまだ、眠るあの人をとても愛していて。

 俺のことなんか気にもかけてないこと。部品としての俺の身体しか興味がないんだって、コト。

 だから多分、これは邪魔だろうけど。

「……愛してるよ」

 俺はでも、お前の、ことを。

「お前が愛してくれなくても、俺は愛してる」

 大ウソツキの悪党。でも忘れられなかった。逃げ出して、匿われて、考えてたのはお前に会いたいって、それだけ。俺をどうやってお前から守るか、考えてくれてる二人の他人を眺めながら、俺が考えてたのはどーやったらお前に会えるだろうかって、それだけ。

 お前の世界には、もう行きたくない。あそこは明るくて心地よくて、それはあまりにも、残酷な眺めだから。

 俺を殺した後に、俺の身体だけはまだ、あの中庭でこの男に抱かれるのか。やさしく抱き締められるのか。

 魂が、あるなら欠片でいいから、残って居たいよお前に殺されて身体を、あの人に与えられた後も。

「……啓介」

「なんだよ」

 面倒くさそうに、俺の呼びかけに答えた男は。

「セクス、しよう。抱いて」

 俺の言葉に左眉をぴくりと上げる。

「『俺』を始末するには、あと何年かあるんだろ?」

 『恋人』との再会の祝膳に、備えられるために飼われてる兎みたいでも。

「寝よう。……それまで」

 その時が来るまでは。

「仲良く、しよう」

 生きてる間は、撫でられていたかった。