すべからく、すべて・28

 

 

 シーズンが始まると、あんまり来れなくなる。

 あの人が眠る地下には。

 だから時々、来れたら長い時間を過ごす。皮膜ごしに髪に触って頬を撫でて、それからカプセルの、横に座って時々は話し掛ける。ここは墓所じゃない。彼は死なず、眠っているだけ。聞こえているのかいないのかは分からない。けど少なくとも、近くに居れば、俺の心は和んだ。

 裏切ったと、思ってる……?

 声にはせず、心の中で話し掛ける。彼が眠る部屋には監視カメラもありマイクも置かれてる。けどそんなのは、気にはならない。俺の気持ちを映し出しゃしないから。

 あなたに似たあの子のこと抱いたこと、怒ってる?

 でも、言っておくけど、あれは浮気とかじゃねぇ。俺が抱いたのはあんただった。俺に抱けって言ったのも、確かにあんただったよ。

 心の中で区別がつかない。だんだんつかなくなっていく。あの子供はあんたに似てる。似すぎてる。声も気配も、アレの味までね。最初は確かに別人と思ってた。なのに目覚めさせたとき、引き取って育てたのは寂しかったからだ。せめて似ている人形をそばに置きたかった。

 寂しかったからさ……。

 人形はやがて動き出して、声を発して言葉を紡いで行く。魂が宿ってくみたいだった。何もかもそっくりで、ただ、俺を見ると嬉しそうに笑うことだけが、違ってた。

 いまじゃすっかり、同じになったけどね。

 身体を重ねてくうちに、あの人形はあんたになっていった。そっくりだ。何もかも。あんた自身としか思えないくらい。

「照明を切りたいのですがね」

 研究責任者がそう言って俺を追い出しにかかるまで、俺はカプセルの横に座ってぼんやりとそれを、眺めながら心を向けていた。愛しているよ、あんたのことを少しも変らずに。俺が偏執なのはよく知っているだろう?何年でも、何十年でも、あんたのことだけを、こーやって思ってる。

 カプセルを撫でて、部屋を出ると。

 そこにあんたが待っていた。深夜の廊下で、少し寒そうな顔で。出て来た俺の顔を見て、悲しそうに、でも、笑う。あんたもよく俺に、こんな風に笑ってたね。俺が荒れててあんたを悲しませてた頃。中坊なのに外泊を繰り返して、たまに帰った家の中で、あんたはこーやって、ずっと俺を待ってた。

 唇が動く。俺になんか言おうとしてる。昔と違って、俺はちゃんと待った。でも結局、言葉は出てこない。久しぶりだとか元気そうだとか、挨拶は今更、あんまり白々しくて。

 静かに俯き、目を伏せる。つられて見た手首に嵌められたバングルに俺はタメイキ。それは本当に外れなかった。外れないよう、注文したのは俺だったけれど。

 俺から逃げて、外に飛び出したくせに、戻って来て。

 それでいて、俺の手元で鳴くのは嫌だと言い張った、強情な……。

 強情で、依怙地でそのくせ、震えなそうな声で。

「……部屋寄っていく、よな……?」

 それでも俺に誘いをかける。

「遊んでいく、だろ……?」

 ブライドの高いその唇から、客引きする娼婦みたいな言葉が漏れる。娼婦にしちゃ痛々しくて悲しげな、うなじの色が白い。陽に当らない地下で俺だけ、待ってる咲いてる花。

「寒いぜ、外は……」

 そう言いながら俺に手を伸ばす。バングルが警告の黄色にチカチカ光ってる。これが踏み入ることの出来ない領域が十メートル以内にあることの警告。あの人が眠る部屋には入れないよう、それだけは設定を変えさせた。

 なんにもしないよと、これは言ったが、俺が嫌だった。

 あのカプセルの前にこれが立ってると、カプセルの中が遺体、みたいな気がしたから。

 黙って俺は手首を掴んで、そのまま部屋へ行く。ドアを開けると自動で淡い光が灯る、狭い部屋。独身者が住むワンルームみたいに、狭いユニットバスはついてる。でもキッチンはなくて、冷蔵庫も。食事は従業員用の食堂で出され、湯も茶もそこから貰ってくるしかない、不自由な暮らし。

 こんな部屋で、俺はオンナを抱いたことはなかった。あの人も、あの人以外の女たちも。

 狭いベッドに腰かけて、困ったみたいに何度か瞬いたのが、頼りなさげに俺を見る。俺が近づくとほっとして、安心して、笑う。

 抱き寄せて、脱がせて膝を開かせて。ニオイは覚えてた通りだった。染み出す味も、なにもかも。敢えて言うなら俺に自分から、差し出す仕草は少し違和感がある。あの人はこんな風には……、してくれなかった訳じゃない。でもその時期は短かった。幸福に抱き合ってたほんの短い時間。

 今のこりの情事を、幸せだとかは、あんまり思えないけど。

 抱いてるカラダはしっとり湿って俺に絡みつく。殆ど喋らない。ほんの、時たま。

「夏になった?」

 抱き合う合間の優しい時間に、そっと一言、漏らすことがあって。

 そうだって言うと、ほんの少し笑って。

「みどりの匂いがする」

 俺の肩に手をかけて、目を閉じて息を吸い込む。俺の体から外の季節を感じてる。不意に、俺の脳裏に蘇ったのは館の中庭。夏、あそこにテーブルを出して、食事をするのが好きだった、これは。

 それ以上はなにも言わなかった。けど、これも同じことを考えてるってだけは分かる。重ねた肌がひくって震えて、泣き出しそうなのを我慢してるのが分かる。

 恨み言は、殆ど言われなかった。

 でも忘れてるわけじゃない。証拠に時々、思い出したように悲しむ。悲しんでも俺を責めやしない。

 地下に、自分から閉じこもって。

 なんにも欲しがらずに、俺だけ待ってる、オンナ。

 ほしかった形かもしれない。だんだん自分が、物凄い悪党に思えてきたけど。

 身体を離した後、ほんの短い休息。うとうとしてると、背後で気配が動く。背中を向けた俺の、頭にそっと触れながら。

「好きだよ。……ダイスキ」

 小声で囁かれる告白。昔は俺が、よくこうしてた。あの人を痛めつけて泣かせて傷つけた後で。

 悪いことをしてるのかもしれない。それは多分、彼にじゃなくて、この……。

 身体を起こして手を伸ばす。びくっと震えて、反射的に逃れようとした肢体を抱きこんで引き寄せる。シーツの上でもう一度、披かせた。白い胸も、膝も、その上の腿も、狭間も。ぼんやりした常夜灯に睫毛の濃い目元の影が揺れる。艶めいた姿には、子供って呼び方は似合わない。多分、俺が最初に触れた頃の、あの人と同じくらいの、カタチ……。

 怖いのか寒いのか、裸のわき腹をひくひくさせながら、それでも、オンナは俺に手を伸ばす。俺の頭を引き寄せて自分から口付ける。寝床の外では気弱に俯いていたくせに。遊んで行け、なんて口走っていたのに。

 そんな生易しい相手じゃなかった。その気になったら俺を飲み込める、そんな、凄みが、湿った肌にはあった。包み込まれて、俺は安らいだ。カプセルのそばに居るのとまったく同じキモチで。

「……、してる、よ……」

 くちづけの合間には、今度は俺が、囁く。髪を掻き上げて耳元を唇の先で撫でるみたいにして。腕の中のオンナは俺にカラダを絡めてきて、そうすることで、俺の言葉を止めようとしたけど。

「愛してる。……アニキ……」

 俺は言いたいことをいう。そして、聞きたくない言葉を阻むために、オンナの唇に指を突っ込んだ。オンナのカラダから力が抜けて行く。噛ませた唇ごと、白い美貌が左右に揺れる。違うといいたいのか。

 そんなコトはないさ。あんたは俺の、いとおしいオンナ。俺のあの人だよ。俺の腕から逃れたそうに背中を波打たせて、肘を張って俺を引き剥がそうとするのに、咥えさせた俺の指には歯もたてきれない、こんな優しいオンナは他には、居ないから。

「チカラ、抜いてろ……」

 告げて片手で腰骨を掴む。かなり強引で相当に自分勝手な交わり。さっきまでので濡れてるせいで可哀相に、拒めないオンナはひくつきながら、俺を含んで撓む。途端にギチッて、音たてそうに絡みつく粘膜の、快感に俺の意識は攫われて。

 暫くは、無我で腰を、突き上げた。

 衝撃に震えて竦んでた舌が耐えられない、ってふうに蠢き出して、柔らかくとろけて、我慢できずに俺の指に、絡みついて舌先をぺろぺろ、蠢かすまで。

「……、ァ……」

 指を抜けば濡れた舌が、惜しそうに俺を追ってくるまで。

「ヤ……、もぉ……、や、ァ……」

 拒む言葉が強請ってるようにしか聞こえない甘さで。

「ん……、ンー、ッ……、ぁ、はぁ……、あぁ、ンッ」

 俺のリズムに合わせて揺れ出すのを、わざとタイミングを外して、いたぶって。

 くちづけようと首に絡みつく、腕を掴んで貼り付けて、唇の代わりに胸元を舐め上げてやれば。

「ひ、ヒ……ッ」

 全身を内側に向かって引き絞る人の、夜の海底へ引きずり込むような引力に負けて。

「……、ハッ」

 俺も放った。途端。

「ァ、アーッ」

 彼は死にそうな声を上げて身を揉み、彼の腹にも、熱が散る。

 

 

 満腹で満足して、部屋を出て行こうとする俺を、彼は見送ろうと立ち上がったけれど。

「寝てろ」

 無理そうだったからとめた。彼は名残惜しそうに、残念そうに、でも諦めた。弱った膝じゃどうしても立ち上がれないことを悟って。

 シーツの上で膝を抱きながら、俺が身支度していくのを見てる。寂しそうな目をしてた。年端のいかない少女に乱暴、しちまったような不憫さが胸に沸いて。

「……愛してる」

 最後に、額にくちづけて出て行こうとした俺の背中に。

「ダレを?」

 放り足すような、問いが投げられる。

 答えなかった。分かってる筈だから。

 あんたのことだけをさ、アニキ。