すべからく、すべて・5

 

 

 澄んだ音が響くのを、俺は辛抱強く待った。

 暖かな部屋でふかふかのベッドの中に、引き込んで抱き占めてもそれだけじゃ解けない、この人は手間がかかる相手。でも仕方ない。どんなに梃子摺らされたって、俺はこの、人がいいんだから。

 夜半から明け方近くまでかかってようやく、唇の隙間から待っていた音が響く。苦痛や嫌悪、拒絶に濁らない和音を逃さず、俺は彼を掬い上げ抱き締めた。彼も応じて、腕を伸ばしてくれる。

「……ぁ、あ……ッ」

 待っていたキレな鳴き声に応えて、俺は彼の膝を割る。彼はカラダを揺らして上体を捻る。逃げようとしてるの?こんなに甘くとろけといてイマサラはでもまぁ、いいよ。一応は嫌がってみせるの、あんたのお約束、だもんね。

いつも、あんたは嘘つきで。

俺はでも、あんたの嘘を許すよ。気づかないふり、してあげる。愛しているから。

「……ァ、……、い、ヤ……、ヤァ、だ……ッ」

 焦らされて待たされて、俺はガキみたいに零れそうにカタくなってた。舐めてゼリーを塗りつけて指でほぐして馴らした場所に、その先っぽを当てると。

「……ぁ……」

 彼はひくっ、って、痙攣するみたいに震える。

 片手で肩をかき抱いて引き寄せ、湿った肌の感触をむさぼりながら、俺は彼の、熱くて甘い蜜の中にダイブ、する。

キモチイイ。

 死にそうに。死んでもいいくらい。

 ひの甘さ、なしじゃあ生きて、いけない、くらい……。

「……ぅ、ヴぅ……、ッ」

 半ばくらいまでは、吸い込まれるように収まった。彼がいたたまれない顔をする。泣き出しそうだ。……なんで?

 俺は嬉しいよ。あんたに深く、迎え入れられて、とても。でもほら、これじゃ足りねぇの。

 脚、もっと、開いて……。

「ヒ……ッ」

 腰、浮かして。力抜いて。俺を。

「イヤ、タ……ッ、いた、痛い……ッ」

 奥まで入れて、包んで、くれよ。

 あんたが引き込んでくれる場所までで、満足するには俺はでかく、なりすぎたんだ、多分。こんなんじゃ足りない、もっと。

「……ぁ、アーッ」

 もっと、ぐちゃぐちゃに乱れて、喘いで俺に縋り付いて。

「……ン……、ぅ……」

 ねぇ、なんでそんなに辛くて苦しそう、なの……?

 俺がこんなに幸せでキモチいいのに。あんたどーして、そんな悲しむの。

 やめてよ。俺まで、悲しくなっちまう。

「……ッ、……ぅ、あぅ……」

 あぁ、また声が濁る。そんな風に、なんで俺を嫌がるのかな……?

「……い、ヤだ……、や、め……」

 濁った声を聞きたくなくて、犯した。

「ァア、ァ……ッー!」

 拒まれるより、悲鳴の方がずっとマシ。曲げさせた右膝を肩に担いで、殆ど腰を浮かせるようにして。

 苦しい姿勢で、とうとう滲んできた涙を潤ませながら、彼が身体を捻ろうとしてる。まさか逃げようと、してんの?出来るわけねーのに?それとも俺にアピール?不本意だって、レイプだって言いたいの?

 ひでぇよ……。

 悲しみと、怒りとに気持ちを裂かれながら、彼のカラダを引き裂いた。

 悲鳴も上げられなくなるまで、犯した。

 

 

 別荘に連れ込んで十日目、雪が降った。

 俺は彼に足かせをつけた。

 彼は黙って大人しくしていた。最初の夜から殆ど、口もきかずに静かにしてた。ただその時は俺の手元をじっと見てた。

 暖かな部屋で服は着せず、代わりに柔らかな布を何枚も与えて羽織らせて、体温を与えるように抱きしめていた俺。まるで攫われてきた猫みたいに、物音ひとつ立てないで呼吸さえひそやかにしていた、彼。

「逃げて、迷子になったら可哀想だから」

 そう言って、嵌めた足かせは硬化ラバー製で軽く、足首の皮膚を痛めないよう、輪の内側には皮が張ってあった。細いワイヤーを通して、ワイヤーは彼の手の届かない天井につなげた。彼は布の裾から手指を伸ばして、枷に触れた。それが冗談でもなんでもなく、本当に外れないと悟って。

「……飼うのか?」

 問いというより確認。絶望を、長い睫毛の先にけぶらせながら。

「うん」

 俺は躊躇を、しなかった。

「今度はホンキ。去年みたいに半端じゃねーよ。去年は、あんたにハンストされて、結局、救急車呼んでホテルにばれて、大変だったけど」

 今年は用意を、きちんとしていた。点滴に栄養剤。そして、口当たりのいい柔らかなタベモノ。彼は食欲を見せなかったけど、拒食症の少女を治療するときみたいに、夜中、眠ってるところを抱き締めて、耳元に囁いて唇にタベモノを含ませると咀嚼した。獣の母親が仔にするときみたいに、俺は口移しさえ厭わなかった。諦めたのか、彼は自分で途中から食事をするように、なった。

「気持ちよく、暮せるように、するから」

 だから大人しく俺の腕の中に、居てくれと願う。俺だって乱暴な真似はしたくないんだよ。去年みたいに、さ。

 あんたが別れよう、なんてふざけたことを言い出して。

 俺はあんたの申し出を拒んだ。当たり前だろう?それは俺には、死ねってことと、同じなんだから。

 最初に俺に攻撃を仕掛けたのはあんただ。俺はなんでも、あんたの言うとおりにしてきた。ガキの頃から、大学も走り屋も。レーサーになってからはチームもスポンサーも。財閥の寡婦に誘われたときさえ、慰めてやけよってあんたに言われて、俺はイヤイヤ、女の寝間を勤めた。

 なのに今更、俺を捨てようなんて酷すぎる仕打ち。俺はアンタなしじゃあ生きて、いけないよ。俺をそう仕込んだのはあんただ。だから一生、俺と一緒に、居る義務があるんだよ。

「なんか欲しいものとか、ない?」

 尋ねると、彼は俯いて目を伏せる。なんてぇ、睫毛だ。ドコもかしこも、この人は俺の好みに出来てる。

「……少しで、いいから」

「ん?」

「一人にさせてくれ……」

 勇気をふりしぼった。そんな感じで、告げられたセリフ。

 別荘に連れ込んでから、殆ど話さずにすごしていた。風呂も睡眠も食事も。便所だけは彼が泣いて嫌がったから一人にさせたけど。

「なんで、そんなこと言うのかな、あんた」

 俺を悲しませることを、どうして?

「……怖いんだ……」

 それは嘘じゃない。証拠に彼は、かすかに震えていて。

「俺が?」

 問いに、頷く。

「どして?」

 分かっていたけど、聞いてみる。返事はない。答えないんじゃなくて、俺が分かってることを彼も承知だから。

「……殴ったから?」

 去年、別れ話の最中に。

「殴って、犯した、から?」

 その間中、信じられないって感じの驚愕を、瞳に浮かべて困惑していた彼を、俺はよく覚えてる。あれ以来、彼は俺に安らがなくなった。昔は徹夜明けで疲れすぎて神経がどんなに昂ぶってるときでも、俺が抱き締めて撫でてやれば安心して、弛緩してすーっと、眠っちまったものなのに。

「いい加減、忘れろよ。……忘れてください。俺が悪かったから」

 何度も、繰り返した謝罪。

 たった一度の、あれ以来。

「……ごめん」

 彼は少しも、俺を信じてない。

「ダメだ。ごめん」

「そんなに痛かなかったろ?」

「怖かったんだ。……今も、怖い」

 見栄っ張りで強情な彼にしては珍しい、率直な物言い。

「忘れてよ」

「出来ないと、思う」

「たかが二三発、撫でただけじゃねーかよ。良くあることだろ?」

 男やってりゃ、ケンカや暴力沙汰と無縁には生きていけやしない。それはこの人だって同様で。

 でも

「まさかお前に、あんな真似、されるとは思わなかった……」

 全身を委ねて無防備に喉を晒すほど、信じていたからこそ裏切りが、忘れられないんだと彼の、白い肩が俺を責める。

 ……俺がおかした、罪悪は。

「お前だって、忘れないつもりだろう?」

 この人の信頼と愛情。そして、庇護への、冒涜。

「自分が俺を殴れるんだ、って事を、お前も忘れないだろう?」

 一年前に、殴ってようやく、気がついた。

「……お前は変わったよ……」

 俺があんたより強いことに。

「お前は、もう」

 あんたを支配、できるってことに。

「俺が愛してたお前じゃない……」

 聞きたくない言葉を力ずくの口づけで塞ぐ。そのまま布を剥いで、裸の肌を貪る。

 あんたのカワイイ弟で、いてやりたかったけど。

 そうしていたのに、あんたは俺を捨てようとしたじゃねぇか。

 俺に力をふるわせたのは、そもそもあんた自身の罪だぜ。

「……、イヤ……」

 拒むな。

 凶暴な、衝動を押さえきれなくなるから。

 あんたが俺を飼ってくれなくなったから、俺があんたを飼おうとしてるだけ。

 それしか、手立てが、ない、だけ。

「……、ッ」

 声が出せないように、指を噛ませながら、抱いた。

 キス、出来ないのを悲しみながら、頭の隅で俺は、猿轡を買ってこらせなきゃ、なんて確かに、考えながら、抱いた。

 甘くて苦い、かつて俺の支配者だった人を。

 この人がそこから降りた以上、今度は俺が支配しなきゃならないんだと、一途に思いつめながら。