すべからく、すべて・7

 

 

 俺は。

 啓介が好き、だった。

 何も分からない、持ってない、俺を包み込むみたいに大事にしてくれて。

 俺のこと、すごく大切にしてくれたから。

 啓介が金持ちなのは最初に分かってた。有名人なのは学校に行ってから知った。でも俺が啓介を好きになったのは、そんな理由からじゃない。

 無くした俺の、過去を啓介は知ってる。あんまり話してはくれないけど。俺さえ知らない俺自身。それを、この男は……。

 ずっと愛していてくれたんだろう、って。

 思った。分かった。

 いつも、俺を見る啓介の目は少し悲しそうで。時々寂しそうで、ひどく苦しげで。どうかすると俺の顔を見るのも苦しそうで。

 啓介を苦しめてるのが何なのか分からないけど、原因が俺なのだけははっきり、してる。

 俺は。

 啓介が好きだった。だから仲良く、なりたかった。大事にされて愛されて、いたから俺も、抱き返したかった。

 啓介は本当に優しかった。けど時々、俺は壁を感じることが、あった。愛されながら包み込まれながら、何処かでこれに、憎まれてるような気も、してた。

 ……セクス。

 したらその壁が、溝が、この不安が消えて、ぴったり暖かく、抱き合えるんじゃないかって。

 ……思った。

 俺は。

 一方的な庇護ばかりじゃなくて、愛し返したかった。

啓介と、もっと仲良く、なりたかったんだ。

 

 

 明るい真昼。中庭つきの俺のヴィラ。南ヨーロッパの燦燦たる陽光を阻む鎧戸をおろせば室内は薄暗く、殆ど夜と間違えてしまいそうな空間。一緒に部屋に入って啓介が南側一面の窓の鎧戸を落す間、俺はいたたまれずに部屋に立ち尽くしてた。どうすればいいのか分からなかった。それに、何より。

 ……寝よう、って。

 仲良くしたくて、俺は言ったのに。

 啓介はなんだか怒ってる。俺を部屋に押し込んだ手つきも、音高く戸を下ろしてく動作の荒っぽさも、俺が知らないものだった。

 ……怖い。

 なにがそんなに気に入らなかったんだろう。昔の俺を、やっぱり啓介は憎んでた。俺はそんなに、この男に悪いことをしたのか。そうして俺の過去を啓介は、許してくれて、いないのか。

 それでも俺に優しく、いままでしてくれていたのは。

 俺が記憶を無くして無力だったから?可哀想だった?

 なら、俺も。

 愛してくれた過去のおかげて、今までこうやって大事にされてきたのなら。

 過去の俺が、啓介から受けた憎しみも。

 この男から受けるべき、罰も。

 受け止めようと思った。

 思うと覚悟が固まって、俺は自分で服を脱ぐ。ハイスクールの制服を。背中に啓介の視線を感じながら。

シャツを脱ぎ落して、ズボンをそうする時は勇気が要った。下着は見られながら脱ぐ勇気が出なくて、穿いたままベッドに入る。タオルケットの下でそっと脱いで、その後、どうしていいか分からずに、啓介が居る窓際とは反対側の、ベッドと壁の隙間に押し込んだ。

男がゆっくり、近づいてくる。どうしても怖くて竦んでしまう。でも。

逆らうまいと、思った。

なにされても。殴られても。犯されるのは最初から覚悟の上。

怖くて、恥かしくて。

俺はタオルケットを被りながら、じっとしていた。

啓介が完全に乗り上げてきても寝台はびくともしない。ただ柔らかなマットが二人分の重みで静かに沈みこむ。窪みの中に、俺は捕らえられたみたいな気がして……、怖い。

……痛いかな。

イタミ自体は、そんなに怖くはないけど。

……痛めつけられるのは、怖かった。

ひどいこと、される、のかな……。

『ヤルだけヤッて』

『飽きたら』

『ボロ屑みたいに棄ててやる』

 ついさっき、告げられたばかりの言葉が頭の中でリフレインしてゆく。そんな脅しの言葉を告げられても、何もかも忘れた俺には、なにされるのか、想像もつかなかったけど。

 男がゆっくり動き出す。掌を、俺の体に沿わせてうごめかせる。布ごしに探るように。……優しく。

 暫く、そうやって、俺を撫でてから。

「……ゴメン……」

 苦しそうに囁くように。

 部屋に入ってから、初めて告げられた、言葉。

 優しい声だった。

 少しも怖くなかった。むしろ気弱な、俺の機嫌をとるような。

「ごめ……、ちょい、タンマ。……緊張と興奮、し過ぎちってる、俺……」

 布越しに、俺の背中を抱き締めながら。

「すっげぇ久しぶりだもんよ。あんたと、こーすんの……。嘘みてぇ……」

 ちっとも乱暴じゃない。威嚇的じゃない。むしろ俺に甘えるような、囁き。

 うなじをクン、と、匂いを嗅ぐみたいにされて。

 耳元にキスされて、吸い上げられて俺は腰が浮いた。

 演技じゃない。正直な反射だった。

 俺は、確かに、この男を……知ってる。

「ちょっとは俺の痕、残ってるカナ?」

 言いながらそっと、男の手が伸ばされる。タオルケットを剥がれることを俺は覚悟した。けど、そうじゃなかった。男の固い指先は、タオルケットの中にもぐりこんできて。

「……、ァ……」

 素肌に触れられる。男の指はあきらかに俺を知り尽くしていた。背中からのしかかり、右手で俺の喉をと捕らえ左手は、俺の腰骨を掴む。指をツと、腰骨の内側に滑らされて、

「……、ッ、あ、ぁ……ッ」

 俺はびくんとカラダを浮かす。それが多分。男の狙いだった。浮いた位置で腰を固定され、咽喉に絡んでいた男の右手が隙間を伝って降りてくる。咽喉から真っ直ぐ胸を狙われて。

「……、ンッ」

 女の子、じゃない、のに……。

 なに、なんで……。

 …………嘘……。

「ヒュ……ッ」

 キモチイイ。……凄く……。なんで……?

「あんた、俺の、オンナだったんだぜ。長いこと」

 啓介の言葉は、砂地に水が染みるように素直に、俺の意識にしみていく。

「あんたが俺を、オトコに仕込んだ、んだよ?」

 うそ……。そんなのは、う、そ……。

 んっ、……、い、……ッ。

「俺に……、も一回、くれる……?」

「ん……、ア、ァ……ンッ」

 返事はしなかった。出来なかった。片手で胸を、もう一方では、俺の……。

「……、イ……」

 いやだ、という台詞を。

 俺は必死で飲み下す。

 俺が誘った、セクスだったから。

「くれよ……、な?頼むから」

 甘い声が請われる。繰り返し願われる。俺を嬲る指先に少しずつ力が篭っていく。

「ン、ヒ……ッ、ひ、く……、ゥ……、ん……」

「欲しいんだ。どーしても。……どうしても、な」

「……ンーッ」

 オトコの指に促されるまま、俺は、蜜を吐き出した。きゅ、きゅっとオトコの指は動きを止めることなく、俺は最後の一滴まで搾り取られる。もう出なく、なっても、まだ。

「……、けぇ、す、け……」

「ん?」

「ちょっと……、イタイ……」

 オトコの気に障らない言葉を選んで、そっと、離してくれと願う。啓介は少し笑って、手を。

「……、ァ……」

 俺の、の、全体を包んでいた手は外してくれた、けど。

「……、ヒッ」

 代わりに……、酷く敏感な。

「……ウェ……」

 先端を、指先で嬲り出す。

「けぇ……、すけ……」

「返事は?」

 促され、さっきのことかと、俺は。

 イかされた喘ぎも収まらないカラダを叱咤、しながら。

 自分で自分の、皮膚から剥いだ。タオルケットを。男と俺を隔てていた布を。それを完全に除去するために男は一旦、俺の体から手を離す。俺はタオルケットを落すために仰向きになってそのまま、シーツの上に手足を伸ばして目を閉じた。

 男は何も言わない。

 これだけじゃ、ダメ、なのか。

 そう思ったから膝を立てる。男同士のセクスで何処をどう、するのかくらいは知っていた。そこを男に、差し出すように、した。

 それでも男は動かない。

 これ以上もう、どうしていいか、分からない。

 ……どうしたら、いい?

「カラダ、くれんの?」

 男がようやく問い掛ける。でもその声は嬉しそうじゃなかった。

「貰うけど、違うよ。……俺が、欲しいのは」

 ……なに?

「ホントは、あんたに貰って欲しいんだ。きっとその方がお互い自然で、楽だから」

 ……なにを?

「でもムリだろうから」

 言いながら、男は俺を抱き寄せる。ぎゅうっとされて、いいキモチ。

 密着した体に触れる男の欲望が少し怖かった。

 けど同じくらいほっとした。安堵の方が強かったかもしれない。良かった……。

 俺ちゃんと、欲しがられ、てる……。

 遊ばれてるだけじゃなかった……。

「ほっせぇ肩」

 そう、かな。そんなことないと思うけど。

 そりゃお前に比べれば、細いかもしれないけど、でも。

「あんたこんなに細かったかな。俺がでかくなりすぎたダケかな。あんたの手に余るくらいには、俺だってなりたかなかったんだぜ……」

 なに、言って……。

「くれよ。……寄越せ」

 なに、を?

「あんた。……の、一生。人生」

 …………。

「イヤってっても、もう俺のモンだぜ?」

「……、邪魔に……」

「……ん?」

「ならないかな、お前の」

 一生なんて、そんな約束は。

 俺は……、女の子じゃないから。

 きっと、いつか、お前の邪魔に、なってしまうと、思う。

 静かに言うと男は笑った。泣き笑い、みたいだった。

 そのまま腰を引き寄せられる。俺は覚悟して体の力を抜いた。

「……、愛して、るよ……」

 引き裂かれる、痛み。

「あんた、ホントにいつまでも……、にくッたらしー、ヒト、だよ……」

 衝撃に耐えながら悲鳴を殺しながら。

「なんで……、何度もなんども、おんなじ……」

 男の、告白なのか恨み言なのか、吐息混じりの声を聞きながら。

「いつまで俺を、苦しめりゃ気が済む……?」

 多分二度目の……、喪失。

「ゆるせ……、許して……。なぁ、……頼むから……」

 何時の間にか、男の声は。

「わすれろ……。忘れて、くれ……」

 哀願混じりの泣き声に、なって、いた……。