すべからく、すべて・9
休暇が終わった。
……昨日、終わった。
それでも俺は、館に居続けた。
破られた制服は、そのまま棄てて。
新しいのを、買っては貰わなかった。
『……行くか?』
昨日、啓介は俺にそう尋ねた。俺がぼんやりテレビを見ていたら。
それは、百貨店売り場の混雑を映していて。
新しい学期に備えて子供の靴や、鞄を買う親達でごったがえしていた。
啓介がそう言ったのは、俺が熱心に画面を見ていたからだと、思う。
俺も買いに、行きたいように見えたのかな?
そういう意味で見たたんじゃなかった。画面を壊した六時間後には買い換えられた、高価な液晶大画面のテレビ。
俺は、ただ、不思議だっただけ。俺に、両親は居ないのかな、って。
二年前から、時々思ってた。けど、啓介と……、寝て。
家族、って、啓介は以前、俺に言ったけど、違う。
抱き合ったら、もうこれは家族じゃない。
俺は啓介の愛人だ。本邸に迎えとられて庇護されているから妾とは言い難いけど、でもまぁ、似たようなもの。
自分自身の境遇を、俺はそう認識した。事実をどう、言葉で誤魔化しても仕方ないと思ったから。啓介は俺をひたりと抱き締めて放さなかったけど、それがずっと、続くって保障はどこにもない。
……別に。
そんな保障が欲しい訳じゃなかった。
ただ、男が可愛かったから、俺は男の隣に居た。
……裸で。
男も裸だった。俺を隣に寝せて、褥の中で、俺に触れていたがった。俺は啓介の胸の上に頭を預けて肘をついた姿勢でテレビを、見ていた。
……親、居ないのかな、俺は。
啓介には聞かなかった。何をきいても黙り込み、答えてくけないことは分かってた。
……もしかして、俺……
何処かの貧しい国から、これに売られた子供だったんだろうか?そんな疑いが胸に湧く。途上国の飢餓は打ち続く異常気象と政治不安のせいでますます、酷くなってる。一方では車に乗っての競争に天文学的なカネをかけ、もう一方には明日くちに入れる雑穀さえ底をつくうなだれる。そんな国では子供を、先進国に『売る』ことが流行っていた。
子供のない夫婦に子供として。
或いは、独身の男に妻として。
それはあながち、親の欲ばかりじゃない。欲の場合もあるけれど、子供だけは生き延びさせたい、例え手放してでも、という切々たる愛情の場合もある。
どっちだったかは、分からないけれど。
俺も、もしかしたら……、買われたのかな……?
『制服、買いに、行くか』
ガッコウに戻るのかと、苦しそうに尋ねるこの男に。
答えず目を閉じて、俺は男の心臓の音を聞く。トクトク、鼓動が早くなる。動揺、してる……?
『どうする?』
結論を求めてきた相手に。
どうさせたいのかと、俺は、逆に尋ねた。
お前は俺をどうしたいの。制服を破いて、もう戻さないって言ったのは、ほんの十日前。
それからもぅ、気が変わったのか?
『俺は……』
啓介は、俺の後ろ髪をなでながら答えた。俺はうっとり、身体から力を抜く。鎧戸を下ろした薄暗い部屋で殆どの時間を抱き合って過ごし、ようやくほんの少しだけ、慣れてきた触れ合い。
『ずっと、ここに置いておきたいよ。……ずっと』
瞬間も手放したくないと、男が。
俺の背中を抱きながら、真っ正直な告白を、したから。
『……いいぜ……』
俺は。
『いいぜ、閉じ込められてやっても』
じっと俺を切なく眺める、その目を、俺は信じたのだ。
『ここでお前を、待っててやるよ』
抱かれるために、飼われることを、承知した。
ほっとして、嬉しそうに笑った啓介の顔が可愛かった、から。
シーズンが始まれば、世界中を駆け回る。
それでも啓介は、まめに帰って来た。正味二日しかない休日で、往復の時間を除けば六時間しか、滞在できないような短い休みでも、それが二時間でも、必ず帰って来た。
慌しい逢瀬を繰り返しながら、俺は、自分がだんだん、潤んで膨らんできてることを、感じた。
啓介は基本的には優しかった。でも久しぶりだと時々、仕草や思いやりを忘れて乱暴なことも、あった。
手荒にシーツに押し伏せられて、服を剥がれ。
素肌のさらに内側を裂かれる、あのこと。
痛くて怖かっただけの……、それが時々、待ち遠しいことか、あった。
乱暴にまさぐられ弄られて、悲鳴に似た声をあげながら、俺は、何時の間にか。
啓介に、挿れられて揺らされる、ことにも同じ声をあげるように……、なった。
「ん……、ん、クゥ……、クン、ンーッ」
後から、身動きできないくらいきつく、捕らえられて繋がれると。
「ぁふ、あ……、け、スケ……、ヤ、や、ァーッ」
俺はもう、啓介の動きに合わせて、喘ぐしか。
「ん、ンッ……、ック、ぁ……」
できない木偶人形に。
「い、ヤ……、いやぁ……、ヤ……」
……なる。
「は、……ッ」
身体を重ねてる間、啓介は殆ど喋らない。けど時々、ほんの時たま、たまらない風に息が漏れる。
「ンーッ、んぁ、ァッ、アッ……ッ、……ね、ちょ……っと……」
俺は口数が多くなる。何故かは分からない。怖いからかも、しれない。
「ちょ、……、ユルメ、ね……、ネェ、え……」
苦しい、という俺の訴えを啓介は、喉奥で笑った。猛獣みたいな音で。その頑丈な手が俺の前に伸びて、恥かしいほど充血して屹立した俺を、嬲るみたいに、撫で回す。
「ァウ、ゥ、ウ……ッ、キャ……ッ」
小娘みたいな声をあげて。
「……、け……、すけ、ぇ……」
死にそうに、息も絶え絶えに。
「……、ない、……、デ」
男にしがみ付いて。
「すて、ないで……」
願った。
泣きながら。
抱かれて、それで気持ちよくて、ジンジン疼くようになっても、抱かれてる最中の、訳のわからない不安は消えなかった。消えるどころが大きくなる。重く、悲しく。
「……、ねぇよ……」
男の返事は、いつも短い。でもその方がよかった。
ながい言葉は、ウソに聞こえるから。
湿って、互いに、張り付く肌さえ心地いいのに。
好きな男の匂いに包まれて、朝まで居たいのに。
セットしていたアラームが鳴ると、俺から男は、離れて服を着る。
その背中が切なくて、俺は泣きそうになる。
泣かなかったけど。
セクスの最中の、ぶっトンでる時なら甘い睦言も、醒めた後では鬱陶しいだけと知っていたから。
「なぁ……、なんで俺のこと呼んでくれないんだ?」
代わりに違うことを言う。
「俺ちゃんと大人しくしとくよ。迷惑かけない。ホテルの中で、じっとしとくから」
俺から啓介の滞在先を訪ねることを、啓介は許してくれなかった。
「レースウィーク中はエッチ禁止なんだよ」
明るく笑って話を誤魔化そうと、するのは啓介の愛情だったかもしれないけど。
でも。
「もっと、一緒に、居たいのに」
我慢できずに、俺は本音を零してしまう。
「……ごめん」
カフスボタンを留めながら、啓介は、まだ裸でベッドの上に居る俺に近づいて。
「ごめんな。不自由かけてるね。俺、周りがうるさいんだ。ごめん」
「女房面してレース場になんか、行かないよ?」
「ごめん」
「同じホテルの別の部屋でいい。人目につかないようにするから。大人しく、してくから」
「ごめん」
抱き締めて、優しいキスをくれた。それは、俺の望みを拒む代わりだった。
「……、のか?」
「ん?」
「そばには、別の人が、居るのか?」
「……まさかそんなの、マジで言ってねぇな?」
苦笑しながらも真摯な瞳で。
「あんただけだよ。でなきゃ帰って来るたびに、こんなにゲンキなはずがないだろ、俺」
「そんなの、分からない」
「じゃあ誓うから、聞いて。寝てるオンナは、あんただけ」
迎えがくるまで、そのまま啓介は俺を抱き締めてくれて。
俺は啓介に、縋りつくように腕をまわした。
啓介が帰って来て出て行ったあと、俺は二三日、呆然として、過ごす。
ともすれば食事さえ忘れてしまいそうな俺に、執事は親切にしてくれた。俺の好物を部屋に運び、啓介が出るレース番組の時間をこまめに教えてくれる。
車関係の雑誌や、企業CMの試作品テープなんかも、机の上に積まれる。なんとなくそれをパラパラ、眺めてるうちにゆっくり、俺の心はバランスを取り戻す。
その日もそんな一日だった。
予選の二日目。啓介は新しいシステムの調整に梃子摺って、少し調子が悪かった。だからこそ本戦のポールを執拗に狙っていて、コースはやや荒れているのに、かなり攻撃的に攻め込んでいた。
大丈夫かな、と思った、途端。
画面の中で。
それは、本当に一瞬。
咄嗟には言葉も出なかった。
言葉、どころか、それを現実だと、認識することさえ困難で。
映画の、ワンシーンみたいに。
「涼介さま、ただいま、ご主人様が……ッ」
部屋の扉が乱打される、音。
返事もせずに、俺は画面を埋め尽くす黒煙に魅入っていた。
隙間から、ちらっと赤い炎が立ち上って。
そのとき、初めて。
俺は悲鳴を上げていた。