サンデー・スペシャル
右肩脱臼、右大腿骨にひび。
右の踵をひねって、松葉杖をついてさえ、歩けない。
スノーボード上級コースでの激突。大きな事故だった。突撃後、しがみ付いてきた女の子を、庇ったのか成り行きか引き剥がせなかったのか、ともあれもろともに斜面を滑り落ち崖からの転落。女の子には、かすり傷しかなかった。
女の子の両親が駆けつけて謝罪。職業を知った彼らはキー真っ青になったが、青年は事故なんだからと、クールに慰めて帰した。雪はしんしんと降り積もる。根雪の上を柔らかな新雪が曖昧に覆っていて、一番事故が、起こりやすい状況では会った。
夜は、静かに更けていく。
そのしじまを縫ってかすかに聞こえたエンジン音に、眠れぬままに病院の、硬い枕に頭を預けて目だけ閉じていた青年が、パカッと目蓋を開いた。独特のロータリーサウンド。
やがて、足音。……そして。
ドアが派手に開かれて、
「この馬鹿野郎ッ」
叱正の叫び声と、
「アニ……、キィ……」
情けない泣き声が重なる。
「だからボードは止めろって言っただろうがッ!」
「アニキ、アニキィ……」
「公道と違って、オフシーズンがマシン開発の要なんだッ!この大事な時期にお前はッ!」
「アニキィ。俺、どーなんの……?」
「知るかーッ!」
花の美貌を紅潮させて、激高に震えながら怒鳴る、真剣さがセリフの内容を裏切る。
「いいつけも聞かずに全治三ヶ月の大怪我、したバカなんて俺の弟じゃないッ!」
「ごめ……、アニキィ……」
「アニキじゃないッ!」
「俺、どーなんの?やっぱ、クビ、かなぁ……?」
「当たり前だッ」
兄の怒声と弟の鳴き声は、入院患者たちの苦情に守衛が駆けつけてくるまで、続いた。
「……なぁ、涼介」
スタッフジャンバーを着せられて、資料のファイルを持たされて、首からストップウォッチを提げた姿で。
史浩は、幼馴染の名前を、呼んだ。
「なんだ」
振り向きもせず、幼馴染は手袋を嵌める。腰高の素晴らしいプロポーションをツナギのレーシングスーツに包んで実に、格好がいい。
さっきから、メーカーの関係者やメカニックたちが用もないのにうろついている。彼らは何かを探したりする、フリをしながらチラチラと、この幼馴染を眺めている。
「……無茶だぜ……」
いい飽きたセリフを口にすると、
「ふん」
聞きなれた短い返答。
強気で剛毅でしたたかな、その決めセリフを、ヒソカに史浩は気に入っていた。いたが。
「いくら何だってな、涼介」
「仕方ないだろう。啓介に来期のシートを確保する、これが条件だったんだ」
一年目のメーカーチーム所属レーサーとして、高橋啓介はなかなかの実績をあげた。来期の成績次第では国外レースにエントリーしようか、という勝負の年。
冬中かかる、大怪我をしてしまった不注意な新人と契約を、続ける条件は、
『冬季のマシン開発に、代役を立てること』
もともと涼介のマシン開発能力を欲しがっていたチームだった。
最初から、狙いはピンポイント、だった。
高橋涼介に選択肢はなく、易々と、彼は条件を肯った。
「いくらお前だってな、涼介。研修医しながらテストドライバーなんて」
「週末だけだ」
「に、したってだ」
「サンデードライバーが許されているんだ。サンデーレーサーがどうして、悪い」
「いや別に、悪いって言ってんじゃなくて」
「退け。もう、出る。ちゃんとタイムを計っておけよ」
「……おぅ」
「昼飯の弁当は幕の内だ」
「……分かった」
きれいに晴れた冬の空に、自棄じみたレーシング・カーの爆音が響き渡る。
と、史浩の胸元で、携帯の呼び出し音。
「もしもし」
『史浩―、助けてくれー』
病院のベッドに縛り付けられたままの、啓介の声。
『アニキ説得してくれよ。なんとか、宥めてくれぇー』
「努力は、してみる」
ムダと思うがと、ココロの中で呟きながらそれでも、答えたら。
『一年、 エッチ禁止って、言われたぁー』
真面目に答えたのが、馬鹿馬鹿しくなる、悲鳴。
あげた啓介はあくまでも真面目そうなのが一層、史浩の腹を煮たてる。
『そんなにガマンしたら、腰の使い方、忘れちまぅよぉ〜』
返事もせずに、ブチッと通信を切って空を仰ぐ。
冴えた空気の、青空を。