普陀落渡海・六

 

 冬でも、瀬戸内の海は優しい。

 色が深くなって、波頭に白い三角が混じることが、あるけれどやっぱり、とても優しい。

「……美味い?」

 問うとにっこりと、微笑む美貌。

 喋らなくなって、おかしくなって。でもこっちの言う事は分かってる。きちんと反応、する。彼の心の何処がどう、壊れて閉じたのか俺にはよく、分からない。

 寒い夜。建具を閉じまわして、囲い込んだ空間。炭を埋けた火鉢を囲炉裏の代わりにして、俺はトコブシを焼いている。大抵の貝が夏に旬を迎えるのと裏腹に、トコブシは冬にとても美味しくなる。都の人間は、これをあわびと思い込んで食べるそうだ。鮑との違いは大きさと、貝殻の内側の光沢が青でなく暖かな肌色を帯びていること。

 鮑の殻を象嵌した螺鈿は大陸との主要な取引品目の一つだ。本来は南国の海でとれる夜光貝の貝殻を使うけど、それが少なくなってからは鮑で代用してる。鮑の殻は、青みを帯びていて、最初はもてはやされていたけど、増えすぎて最近は値を落とした。

「たくさん、食べろよ。殻は工房で使うから」

 そして、夜光貝の白い螺鈿は倍の価格に騰がった。数の多寡と美しさは関係ないだろうに、希少というのはいつも、人の欲望をそそるもの。そうして、俺はそこにつけこんでる。とこぶしの殻で作った螺鈿を何食わぬ顔で、夜光貝の値段で売っているのだ。相手は海から遠い内陸の王朝の高官たち。まんまと、だまされて高額を、支払う。

 財貨を俺にもたらす貝を、火鉢の上に載せた網で焼いて、味噌をつけて食べる。食べるのもスキだけど、焼くのはもっとスキ。活きたまんまのを、きゅーって音がするくらいまで焼いて歯で、シコッと千切れるくらいにうまく、火を通す。   

さぁ。

 美味しそうに焼けたよ、おあがり。

 酒は、もう呑まない?寒い日は、これが二番目にあったまる。

……一番は、好きなヒトと抱き合うこと。抱き締めて、くれる裸の肌。

 腹いっぱいになって隣の寝間に、移る。炭櫃で火が熾ってて、部屋は暖かかった。上等の炭だから悪い空気もでなくって、心地よい暖気だけが篭る。真綿を詰めたかさ高い、でも軽い褥の中に、彼は自分から入ろうとする。着物を脱いで足袋を脱いで、白綾のうすもの一枚になって。その腕を掴んで引き止めて、俺は、彼の掌に懐から取り出したものを、載せた。

 最初、なんだか分からなかったらしい彼が、やがて嬉しそうに口元をほころばせる。大陸との取引で手に入れた翡翠の、透明な緑色の雫で作った勾玉。彼の白い掌の上で、それはいっそう、美しく見えた。

 生玉・死返玉・足玉。

 いろんな別名を持つ、これが彼を、いつかここに戻してくれることを祈りながら。

 綺麗な宝物、色鮮やかな織物、豪奢な家具。そんなものを、彼は喜ぶようになった。以前は目もくれず、押し付けようとしてもぎゅっと掌を握りこんで、拒もうとしていたのに。無理に着せたら、どうせ剥ぐくせにって、震えながら言ったね。俺に脅えて、俺を怖がりながら、それでもあんたは、言った。売女じゃないから、モノにはつられないって。その通りだよ。あんたは無欲で素直な人。翠色の勾玉を転がしたり炭櫃の炎に透かしたり、して色合いが変ってくさまを愉しんでる。

やがて、待ちきれなくなった俺は彼を背後から、きゅうっと抱き締めた。薄い布越しの感触が、タマラナイ。そのまま彼の袷に手指を差し入れて、可愛がろうとしたけれど。

まって、と彼は腕の中でみじろく。放すと握りこんでいた勾玉を、手文庫の引き出しに納めた。底に綿を敷いてある、彼の大事な宝箱。海で拾った桜色の貝殻や、庭に落ちてた赤い木の実なんかと並べる。俺が居ない昼間や取引で留守にしてるときは、そんなのを座敷に並べて遊んでいるって、身の回りの世話をさせてる老女から聞いた。そうして時々、俺がここに置いてる夜着を抱き締めて寝てるって。

可愛い、ひと。

なのに、俺はあんたを乱雑に扱ったね。

ごめん。

 褥に横たわって、彼が布団の端を持ち上げて俺を誘う。腰紐を自分で解いて、あとは俺が手を差し入れるだけにして。そうやって待てって確かに、言った事があった。馬鹿にしたみたいに聞いていたのに、今じゃ言われた、通りにしてくれる。

口付ければ、舌を自分から絡めて。

下肢に指を絡めれば自分から脚をひらく。

鎖骨で悪戯する俺の、頭を我慢しきれずに後ろ髪掴んで胸元へ導く。逆らわず、彼が望むとおりに。

「ひゥ……、ん」

 可愛い実りを舐めてやる。可愛がってるとやがて内部に粒が生じて、ゆっくりたちあがってくる。コリコリになるまで唾液を絡めてべたべたにして、最後には歯で、しごいて。

「ひっ、……、っ、く、ン……んーッ」

 痛みとないまぜになった快楽に、乱暴な愛撫に、それでも感じて震える肢体を、抱き締めて。好きだよ。この世で一番、スキ。ってぇか、あんたが初めて、たぶん、スキになった、人。

 ごめん。

 俺はよく分からなかったんだ。領主の後とりで、十歳過ぎたばかりの頃に、年増の侍女にそのことを教えられて、以来、ずっと、女は庇護してやるべき召人しか知らなかった。撫でて可愛がって、優しくすればみんな懐いてくれたのに、あんたがそうじゃなかったから、俺は。

 ごめん。

 腹を、たてた。

 側女として仕えされる女を、欲しいなら侍女を抱けってあんた、俺に言ったことあったね。そうだ、ホントにそうだった。俺はそんな抱き方しか知らなかった。与える物と引き換えに俺の欲望に、奉仕することを承知の女しか、抱いたことがなかった。

 ごめん。

 何処で止めてりゃ、良かったの?

 残酷な繋がりを強いながら、力ずくでの交合にうめかせながらそれでも、あんたが折れたなって思ったことはあったよ、何度か。寝床に引き据えるたびに手足を引き寄せて竦んでたあんたが、それにイラつく俺を恐れて無理に力を抜いたとき。あんたがあんまり蕩けないから意地んなって引き裂いて揺らしてたら、今夜はもぅ勘弁してって細い声で『お願い』されたとき。男のあんたが胸の愛撫だけで、俺の下腹を濡らしちまった時?あん時は嬉しかったな。やっとあんたが、俺のオンナになったと思った。

 馬鹿じゃねぇのって、言ったのは、嘘。

 おれは嬉しくて悦んだのに、あんたが嘆き悲しんで、感じる自分のカラダを嫌なものみたいに嫌うから、腹が立っただけ。嬉しかったよ。凄く。だって、俺でヨがって、くれたんだから。

 あんたがあんまり、俺に和らがないから。

 意趣返し、みたいなつもりでカラダだけおとした。あんたが嫌う肉欲の底に堕落、させた。嫌がってあんたは、辛がって泣いたね。もぅ、やめてくれって。

 泣かせたところで、満足しておくべきだった?

 俺に抱かれなきゃ、疼く体に堕としちまった時点で手を、止めるべきだった?

 どうしてそれが出来たろう。俺は……、俺はね。

 愛し合いたかった、んだ。

 あんたと。

 カラダを堕としたのは手段。俺から離れられなく、したかっただけ。俺の愛撫をあんたは悲しんで、自分の欲望をキタナイモノ、みたいに言ったけど。

 俺はね、すごく、気持ちよかったよ。

 あんたを抱くのは神聖なカンジがした。あんたがキムスメだったから、だけじゃなくって。

 愛していた、からさ。

 心も一緒にとろける快楽に俺は夢中だった。あんたにも、そうなって欲しかったからあんたの言葉を聞かなかったのに。

 遊ばないで、苛めないで、そんな風にしないで、って。

 俺の同情をひくための涙は甘かった。

 女言葉の懇願は、耳から全身に満ちるほど気持ちよかった。

 あんたにも、俺でそうなって欲しかっただけ。俺に抱き締め、られて気持ちよく。

 愛して、いたから。

「……キモチイイ?」

 唇を重ねて、その合間に息を継ぐ。俺の掌に応じて、もっととねだるように腿で挟み膝をすりあわせながら、甘い吐息を漏らす人に尋ねる。

 とろんと焦点を失った瞳が、それでも必死に俺の言葉の意味を拾い、がくがくと頷く。……そう。

 なら、良かった。

 これ以上、俺に傷つけられないために、心を壊して差し出された体。せめて誠実に愛していく。優しく緩めて、指を含ませて。

「ひぅ……っく、ん、あふ……ッ」

 彼のナカを、弄る俺の指先に反応して、彼が頭を左右に揺らし出す。追いかけてくちづけると、苦しいのか避けられる。一度逃がして息を吸わせてからもう一度、あわせると彼は苦しそうに、それでも応じて舌を差し出した。

「ん……、ンッ……、あぅ……、んーッ」

 頭だけじゃなく、肩まで。やがて腰から上の半身を、布団に肘ついて胸を反らしてくねくね、悶えさせてから、我慢していた俺を含ませる。

「ひぅ、……ヒーッ」

 痛いらしい。彼の鳴き声に本気の苦痛が滲んで、俺は一時、動きを止めた。彼が苦痛の波を越えて、そこから力を抜けるまで。

 震える指先が、俺の背中にまわされて肩に縋りつき。

 もう……、いいよというように、額が肩口に擦り付けられる。

 懐いた姿が可愛い。可愛いけど、俺には残酷な眺めだった。自我を棄てて、俺になにもかも差し出す彼の姿。何しても怒らず拒まずに、ムリをさせても許そうと、必死の努力をして。

 ……ごめん。

 あんたに前に、尋ねられた事があったね。正気を無くす最後の方。声をなくす、ほんの少し前。逆らってるわけでもないあんたに無理矢理、自慰を強要して、玩んで陵辱した俺に。

 どうすればいいのか、って。

 満足なのかって、俺に尋ねた。思えばあれが、最後の機会だった。

 あんたに愛して、もらえる可能性の。

 俺ナンて答えたっけ。すっげぇ意地悪ィこと、言った気がするよ。……ごめん。

 ごめん。俺は境界を知らなかった。身体だけじゃなくあんたの、心にまで残酷な攻撃を、仕掛けた。

 ごめん、ごめんね。……ごめん。

「いったく、ねぇ?」

 大丈夫、という風に尋ねる、あんたを腕に抱きこんで揺らす。肌は隙間なく重なっているのにあんたが、遠い気がして悲しくなってくる。

 ごめん、俺は、なんにも分かっていなかった。

 服従を愛情と、勘違いしていた俺は、あんたに這わせることしか出来なくて。

 ……ごめん。

 知らなかったん、だ。愛した人に従順に、されてるだけがこんなに辛かったなんて。

 ごめんなさい。反省したから、戻って。

 最初から、俺にやり直させて。……お願い。

 お願いだから。今度はあんたの、思い通りに、するよ。

 

 何度も抱き合って、疲れ果てて。

 それでも俺が腕を解かないから、眠らずに髪をなでてくれる優しい人。

 偽りの優しさに溺れる。彼自身に、偽りの意識がないから余計に苦くって、苦しい。

「ナンか、喋れよ……」

 その優しさに漬け込むように、言ってみた。許してくれる、ような錯覚に甘えて。

「話、して」

 言葉を聞かなかっただろう、と。

 史浩に言われた台詞が、俺の心臓に沈んでる。その通りだったから。彼が最後の方、折れて話をしようとしたときに、黙れと言ったのは俺だった。どうしたいのか、どうすりゃいいのかと聞かれて、俺は答える、ことができなかった。

 当たり前だ。

 都合がいいだけの奴隷になんて、俺は……、いえなかった。

 そんなつもりじゃなかった。

 なかった……、んだよ本当に。

「怒ってるだろ。怨んでる?」

 優しい彼は、俺が悲しい顔をすると自分の方が泣き出しそうになる。なるのを我慢して、それこそ必死の努力をして、痛々しく微笑む。綺麗な、笑顔。綺麗過ぎてますます、悲しくなってしまう。

「苦しいこととか、痛いこととか、いっぱいして、ゴメン」

 謝ると、彼は少しだけ表情を揺らした。かつての俺の暴虐を思い出して?でも、最後には微笑む。

「許して、くれんの?」

 件名に頷く。何度も、繰り返し」

「なら喋って」

 ガキみたいにしつっこく、俺は言い募った。

「俺と、話、してくれよ」

 彼は困った。閨での喘ぎ、鳴き声以外に彼の喉が、音を出すことはなかった。

「お願い。ナンか、言って……」

 俺の望みを叶えようとして、彼が必死に喉を引き絞る。カタチのいい唇の奥で舌が震えてる。ムリだと頭では分かりつつ、祈るような、キモチで俺は待った。もしかして、彼が。

「……ぃ、」

 彼が、もとに、戻って……。

「……み、ぃ」

 彼自身に、戻ってさえくれる、なら。

「み……、みぃ、みぃ」

 報いに殺されたっていい。

「み、……みぃ?」

 鳴けたよ、ダメなの?

 そんな風に、小首を傾げて、俺を見つめる彼に。

 俺も笑い返そうと、する。……できなかった。

 ぼんやりした視界の中で、ゆがんだ俺の醜悪で身勝手で、誰かを愛することも出来ず愛される資格もない、惨めな男の顔が彼の、澄み切った瞳に映っていた。