普陀落渡海・七                           

 

 幸せな、冬だった。

 主人に毎晩、抱き締められて眠った。

 日暮れから夜明けまで、ずっと一緒に居られた。海が荒れたり忌日だったりした日は、朝から晩まで、寄り添って過ごせた。

 撫でられて、可愛がられて、とても幸せだった。俺は幸せなのに主人は時々辛そうで、一生懸命、慰めてもダメなことが多くって。歓んでくれると思って右の、手首と足首を重ねて差し出したら、泣き出されてしまって困った。どうしてなのかは、よく……、分からない。

 スキだったのに、俺を、縛るの。

 縛って膝を開かせて、遊ぶのあんなにスキ、だったのに。ごめんって、ひどく後悔した声で謝られる。抱き締めて、許すからと、肩に縋りつくことで伝えようとした。何もかも、俺は許すから嘆かないで。そんなことより、今、可愛がって。

 冬の間、主人は俺の、ものだった。

 海が荒れて海上交通が途絶する、冬。都の姫との縁談も一時、中断していて、とても嬉しかった。

 ずっと、冬なら、良かったけれど。

 けれど、季節は容赦なく巡っていく。

 夜明けがだんだん早くなって、そして。

「あったかくなってきたな、随分」

 終わった後で、俺を抱きしめながら主人が言う。うんと、俺は頷いた。素裸のままで褥に居ても寒気を感じなくなっていた。やがてゆっくり、冬は遠ざかるだろう。主人を俺の腕の中に、閉じ込めてくれていた季節は。

 腕の中でみじろぎ、そ……、っと、触れる。

 主人の、腰に。

 その気がないなら、無視できる位置に。

「どったの。足りなかった?」

 主人はやすやすと応じて体を起こしてくれた。嬉しくって、俺は微笑んだ。指を伸ばし唇を差し出して本格的にねだる。……抱いて。

 もう一回、して。

 足りない、とかじゃない。いや足りない、ことになるだろうか。この優しい主人を俺は、ずっと自分のものにしておきたかった。抱かれて、抱き締めて、繫がって、離したくない……。

 いつまでも。

 それは、出来ないことだけど。

 だから今、もう一度、可愛がって。

 いつまで、こうしていられるか分からない、から。

「愛して、いるよ」

 ……うん。俺も。

 顎をのけぞらし、喉を差し出す。裂くなり締めるなり、好きにして、というキモチで。通じたのだろうか俺の。

「ひぅ、ひ……、ッウッ」

 ナかに、はいってきながら主人は、皮膚の薄い部分を狙って、舐めあげる。

「あぅ……、ン」

 ゆさっ、と腰を揺らされて、応じて俺もそこを浮かせた。愛されて、こたえることを覚えた。どうすればいいか分からなかった以前はべったり、褥に落ちてるばかりだった腰を、今では浮かせて揺らすことを覚えた。

 ……ごめん、な。

 最初の頃、俺は本当にどうすればいいのか知らなくて。愛し合うには、どうすればいいのか分からなくて。お前に手間をかけさせた。愉しませてやることが、出来なくて。

 ごめん。代わりに今、仕えるから許して。

「のってんね。キモチイイ?」

 うん。……すごく。

 だってお前が嬉しそうに笑ってる、から。

 なんでもするよ、お前が歓んでくれることなら。縛られるのも、視姦されて自慰させられるのも、平気。

 だからそばに居て。俺を、棄てないで。一日も長く可愛がって。一回でも多く撫でて。

 ナカの主人を、しぼり上げる。クッと声を詰めて主人は我慢、したみたいだった。それを吐き出させようとさらに絞る。

「あせ……、んな、って」

 俺の意図を察した主人が開いた膝を抱え上げ、いっそうひろく、俺の脚を拓かせる。膝が腹につくほど腰を抱えられて、羞恥に顔をそむけると。

「ひぅぅ……ッ」

 横向いたわきから、胸の先端を舐められて死にそう。

「ゆっくりさせろよ。あんたのナカ、長く、居たい」

 ……そ、う、なのか?

 じゃあ、いいよ、ゆっくり。

 ずっと、でもいい。

 体から力を抜いて明け渡す。身体と心の支配権を、自律を、自我さえも。お前が望むカタチに捏ねて固めて焼き上げればいい。お前が好きなように、なりたい。

 オスを受け入れて甘く喘げる、オンナに。

 思い通りになるから俺を……、棄てないで。

 

 梅が咲いて、散って、サクラが花咲く頃。

 都から、やって来た使者。

 主人はそれに関することを俺の耳に入れるまいとしていた。目に触れさせるまい、と。でも……、ムリ。

 気づいてしまう、どうしても。だって気になって仕方ないから。

「……具合でも悪ィ、やめよか?」

 心配そうに尋ねられ、はっとして俺は目を見開く。今、どんな顔をしてた?恨みがましい嫉妬の形相をしていなかっただろうか。恐る恐る、主人の顔色をうかがうとやさしい目で俺のこと、見てくれていた。良かった。

 嫌われていない。まだ。

「きちぃなら、今夜は、手繋いで寝よか?」

 そんなの、イヤだ。だってあと何回、愛してもらえるか分からないのに。

 一生懸命、笑った。……あんまり、上手には出来なかった。

 主人には多分、ばれている。俺の本心。でも、気づかないふりで抱き締めて、くれた。

 今はまだ愛されてる。でも、これからは?

 この人が妻を娶れば、彼女は新しい俺の主人になる。飼い猫は家に居着くもの。そして家とは、オンナが司るもの。

 都の姫は、俺が飼われていることを許容してくれるだろうか。ムリ、っぽい気がした。高貴な家の女は気位が高い。夫の愛妾の存在を許さない。きっと俺は苛められ追い出される。そう、この主人の母親が、俺の母親を散々に虐待したように。

 もし万が一、彼女が俺を見てみぬふりを、してくれたとしても。

 きっと俺の、ほうが彼女に、懐けない。だって彼女は俺からこの主人を取り上げるんだから。頭を撫でようと手なんか伸ばされた日には指先に、噛み付くかもしれない。

「やっぱ、あんた、気づいてる?」

 俺のひきつった笑があんまり無惨だったからか、とうとう主人の口からその言葉が出る。

「俺の婚礼、近いこと」

 俺が一番、恐れていた言葉が。

「あんたが気にすることなんざ少しもないんだぜ?政略なのは分かりきってるだろ、見たこともねぇ女だ。愛してんのは、あんただけ、だよ」

 ……そ、う。

「信じてねぇだろ。まぁ、口で言ってもなんにもならねぇけど」

 きゅっと、宥めるように、きつく抱き締められて。

「じきに分かるさ。俺があんたをどれだけ愛してるか」

 俺も、愛しているよ。

 愛しすぎてるかもしれないくらい。知らない女と神前で盃を交わすお前を許せるかどうか、分からない、くらい。

 お前は俺を海から拾い上げた。そしてお前が、好きなように俺を変えた。身体も心もお前に塗れて、もぅ、お前に抱かれなきゃ眠れなくなって。

 なのにお前は、俺を置いていくんだな。

 明日、都へ、花嫁を迎えに。

 なぁ……、どうしよう。俺は自信がない。

 お前のこと、許してやれる自信が、ないんだよ……。

 身体の傷も心の痛みも、飼い猫になることで許してやれた。けど、今度は。今度、だけは。

「……、、……」

 行くなと。行かないで、くれと。

 言いたくって口を開く。喉を、ひきしぼる。

 痛々しそうに、男は俺を眺めていた。

 でも見ていられない、という風にだきしめる。

「いいから。分かってる、から」

 引きつる喉を撫でられ、舌を宥められる。

「あんたが言いたいことは、ちゃんと、俺、分かってるから」

 じゃあ……、どうして行くの。

 行かないでくれ。そばに、居て。

 なんでもするから、俺だけのものでいて。

 お前の望むように、こんなに思い通りに、なっているのに、どうして妻なんか迎えに行く。

 行かないでくれ。

 そう言いたかった。本当に、伝えたかった。

 行かないで。俺を、置いて行かないで。

 冬の海から、お前は俺を拾い上げた。

 いまさら、離れて、行かないで。

 いか、ない、で……。

「み、ぃー」

 必死に喉を絞っても、こぼれた音は、それだけ。

 絶望に嘆く俺を朝まで、男は宥め続けてくれて、いた。

 

 正午前、男は出て行った。

 本当は夜明けの出発だったのを、俺が縋りつき離さないで、引きとめた。

 主人はやさしかった。一生懸命、言葉を尽くして、俺を慰めてくれた。でも昼過ぎに、出て行った。

 絶望に、ふさぎこみながら、でも。

 まだ嫌われた訳ではないと、自分を慰める。

 棄てられた訳ではない。置いていかれただけ。

 その間にどれだけの違いが、あるのか分からない、けれど。

 ふさぎこんで、昼間っから、布団を被って泣いていた。

 だから気づくのが遅れた。……騒ぎに。

 

 たくさんの男たちの足音、ざわめき、怒声。

 火事でも起こったのか、と思って起き上がる。

 寝巻きのまま、とりあえず、手文庫の中の宝物たちを袖に入れた。主人が俺にくれた物を。

 そうしている、時。

「居たぜ、京一、こっちだ」

 声も掛けられずに開かれた、蔀。

 締め切られ薄暗かった部屋に唐突に充ちる、昼下がりの太陽と寒気。

「領主が可愛がってる気狂いのオンナって、コレだろ」

 土足のまま、そいつは部屋に踏み込んできた。俺と、主人とが過ごす部屋に。

「すげぇ別嬪だ。こりゃいい値で売れるぜ。全くおいしい仕事だ。あの領主の倉の中身と、オンナと一度に戴けるんだからな」

 そいつは片手に抜き身の太刀を持っていた。太刀先にはべったり赤い血が、畳に滴る。生臭い、嫌な匂いがした。俺と彼とが、過ごすこの部屋に。

「可哀相に。こんな時代にキレイなオンナになんざ、生まれるもんじゃねぇよ」

 言いながらそいつは俺に、手を伸ばす。俺はそいつの持つ、にぶく光る刃をじっと、見ていた。