普陀落渡海・九                 

 

 瀬戸内の内海には数知れぬ小島が点在する。その島々を拠点に、交易や物資運輸を行う者たちを、都人は『海賊』と呼んだ。

 が、実際は地元勢力が、単に都から任命された主権者に服従していないだけ。都から言わせれば海賊でも、そこに生活する者たちにとっては庇護を与えてくれる殿様。ましてや瀬戸の南東から四国沿岸までを縄張りとする須藤一党は強壮で知られている。強いということが正義に近い時代だった。

 しかし。

 ここ数日、党首は姿を現さない。敵対する高橋家の、都を後ろ盾に勢力を伸ばしつつある若当主が嫁取りのために留守にした隙を狙っての襲撃は成功し、高橋のやり方に反感を持つ土地者たちの喝采をかっている。手柄話を聞きたくて酒宴に招く誘いはひきもきらないのに、当人は自邸の奥深く、沈黙を護ったまま。

 しかし今日、須藤京一は表座敷に出てきた。部下に応対させるには大物が、宴の誘いの使者としてやって来たから。

「おや、死んだわけじゃなかったんですね」

 そう言って笑ったのは、まだ少年じみた歳の若者。瀬戸の南東から九州国東にかけての航路を押さえる藤原党の跡取り息子。華奢なみかけに似合わないツワモノで、食い詰めたあぶれ者がやっている本物の『海賊』を散々、打ち破っている。

「おうよ。残念だったな」

 京一は言って円座に、どかっと腰をおろす。不愉快そうなのは知られてしまったから。首の周囲に巻かれた包帯を。手傷の、跡を。

「御怪我なさっていたとは知りませんでした」

「死んだかも知れねぇ、と思って来やがったんだろうが」

「まさか。京一さんが死んだなら、今ごろ、このあたりは大騒ぎになっている筈でしょう」

 そうでないから、死んでなかったか、というのは冗談。

「もしかして、高橋の屋敷から妾でもさらってきて、それに溺れているんじゃないかと。きれいなのを囲っているって、評判ですからね」

「だったら、どーする」

「貸してくれませんか。数日」

 俺も試してみたいんですと、少年はバチアタリな台詞をごく、真面目な口調で告げる。

「売り飛ばす前に是非、俺にも味見、させてください」

 それは、単にオンナに乗ってみたい、という申し出ではない。自主自尊の気質の濃いこの海上に、都の勢力化の息を吹き込もうとしている高橋のやり方への非難。若当主への侮辱といった意味を持つ。同時に、同じオンナを抱くことで、須藤京一との個人的な連帯の意志を表すことにもなる。

「ダメだ」

 京一は、言下にそれを拒んだ。

「清二、客の御帰りだ。土産を持って帰ってもらえよ」

「へい」

 促されるままに藤原拓海は立ち上がり、

「それ、いいですね。くれませんか」

 京一の胸元を指差す。若葉色に澄んだ緑色の、翡翠の勾玉を。

「これは、だめだ」

 京一は口元に笑みをためながら言った。男が、気に入った女に関することを話す時、浮かべる笑みだった。

 

 その頃、高橋の屋敷では。

「なんでだよ、史浩ッ」

 都から帰ってきた若当主が激昂の真っ最中。権門への挨拶のために着込んだ大紋の直垂も脱がずに、障子のさんをびりりと鳴らす大声にも、

「ヤバイからだ」

 幼馴染の医師は微動もしなかった。

「留守を狙って襲われたんだぜ。家中に手引きが居るはずだ。でなきゃうちに、入り込めるはずはねぇ」

「手引きは居るな。確実に。だが、それを探索することは、まずい」

「だから、なんでだよッ」

「どうせ罰せやしないから。鳴り物入りで迎えた権門の姫をお前、都に差し戻す気はないんだろう?」

 きゅ、と口惜しそうに啓介は掌を握りこむ。本当は、彼にも分かっている。それが禁忌であることは。

 手引きされ、土蔵よりも愛妾を狙っていた、賊。

 当時、邸内には高橋家の家臣のほかに少なくない数の、大臣家の家臣が居た。婚礼に先立って諸準備を整えるために。準備の第一が、敵対勢力を引き入れて婿の愛妾を、シマツすることだったわけだ。

「……クソッ」

 畳を叩いて口惜しがる若当主のものへ、

「殿。姫様が、お呼びです」

 まるで主君からの呼び出しのような権だかさで告げられる言葉。白塗りの侍女に啓介は、

「今、密談中だ。あとで行く」

 そっけなく告げた。不服そうに侍女は動かない。

「大事な話をしてる。下がってくれ」

 催促されてようやく座を立つ。衣擦れの音が遠ざかってようやく、啓介はほっと息をつく。

「下がってくれ、か」

 温和に見えるが大人しくはない史浩が、意味深に呟く。

「ンだよ……、お前まで嫌味、言うなよ……」

 覚悟の上とはいえ、都の姫とその一党の高慢さに、既に手を焼いている若当主は、殆ど哀願に近い声音。自分の侍女なら下がれと命令できるが、あれは姫に仕える女であって、命令権は、若当主には、ない。

「姫君とは、うまくやっていけそうか?」

「分かんねぇ。顔もまだ、見てねーんだぜ」

「え」

「会うのは御簾ごし、俺が下座でさ。喋るのは侍女とだけ。そんでも、俺を『御前』に呼びたがる。なんなんだろな、ありゃ」

「お前の妻になる女性だろう」

「言うなよ……」

 呟きながら、啓介は立ち上がり、

「史浩。暫く、ここで時間、潰しててくれ」

 やって来た母屋ではなく、史浩が来た庭に、史浩の草履をはいて下りる。

「頼むぜ。できれば、朝まで」

「預かろうか、俺が」

「……え?」

「お前の宝物を、預かっておこうかって言っているんだ」

「……なん、だぁ?」

「凄むな。下賜しろって言ってんじゃない。ただ、俺はこのまま、あの人が無事で済むとは思えない」

 穏やかな理詰めの説得は、

「イヤだ」

 強い激しい感情に否定される。

「手放すのは、イヤだ」

「手の届かない場所に持っていかれない為の、避難だ」

「でも、イヤだ。俺は、離せない」

 言って庭の闇に紛れる。自信の屋敷でありながら人目を忍ぶように、木陰をぬっていく背中に史浩は、ため息。

 

 半月ぶりに、会えた愛妾は、

「……み、」

 顔をみるなり、胸に飛び込んでくる。ぎゅうっとキツク、抱き込んで。

「……会いたかった」

 呟く声は、揺れていた。

「無茶苦茶、会いたかった。賊が襲ったって聞いてあんたのこと、どんだけ心配したか……。あんたが、無事で、嬉しいよ」

「み、ぃ」

「よく、逃げてくれたよ。ありがとう。あんたが連れていかれてたら、俺は、自分を許せないところだった」

 今でもかなり後悔にまみれているけれど。

「ありがとう……」

 言いながら、唇を重ねる。重ねながら、衣を剥ぐ。

「み、……、みぃ、み」

 彼は身体を捻じって逃れようとした。それは逃げようとしているのではなく何かを、一生懸命、伝えようとしているように、見えた。

「み……、」

「ナニ?」

「みぃ、ン……ひゅ、み、ンッ」

「ごめん。時間ないんだ」

「み……、ッ、うぅ……ッ、みー」

「ごめ、がまん、ムリ」

 久々の感触だった。甘い肌だった。あわや喪失、という恐怖が若い雄の欲望を一層、刺激して。

「ごめ……」

 用はある場所だけ剥いて、前戯もそこそこに、つきいる。

「ひゃう、ひ……ッツッ」

 久々に貫かれる感触がキツくて、愛妾は細い悲鳴をとぎらせた。

「ひぅッ……、ヒーッ」

 痛みに背中がのたうつ。苦しめていることを悟りつつ、

「……ごめ、」

 謝りつつも、止められなかった。細腰の、腰骨のくぼみに指をかけ引き摺り寄せながらえぐる。そうすると感じて震えて、オスを含まされた部分がかすかに、緩む。

「……、ンッ、んーッ」

 えぐって、突き上げ、またえぐる。その強引なリズムに乗せられて。

「ひゃ……ッ、ふ、ぅうぅ」

 こぼれる甘い、声。身体を陥落させられて、のたうつ胸元に、おとされる唇。

「ひ……ッ」

 突き上げのリズムにあわせて、舐められ齧られ吸い上げられて、悩乱して喘ぐことしか、出来ない。

「ぁ……、あぁ……、ンっン、んー」

 ふるふる、悶える肢体に満足して、

「愛してる、ぜ」

 告げる若当主は悟らなかった。涙混じりに言葉を失った愛妾が、目線で仕草で、何を伝えようとしていたか。

 

 ……取り戻して。

 あの、キレイな緑色の、イシ。

 お前がくれたあの宝物、とられた。取り戻して。

 オネガイ。

 

「手放さねぇよ。離せネェ。一生、一緒に、いよう、な……」

 甘い睦言を耳元になすりつけられて、身体の奥の、芯に熱をはなたれて。

 悶え乱れながら、抱いてくれる腕にきつく、縋りつきながら願う。

「あんたが俺の、ホンモノの妻、だよ……」

 

 出来もしない、そんな嘘はつかなくっていいから、ねぇ。

 あれを取り戻して。お前がくれた、ものだから持って居たい。

 取り戻して……。

 

「愛してる。あんた俺の、宝物、だよ……」

 

 いいよ、それで。お前の持ち物で。

 お前の都合で引き寄せられ引き離されて、泣くのも笑うのも我慢する。

 だから、俺の宝物も取り戻して。

 ……オネガイ。

 

 

 

 

「しっかしホントに、命が助かってよかったぜ、京一」

 藤原拓海を見送った後で、新しい包帯を巻くために清二がやって来る。

「あの血ぃ見た時は、もうダメかと思ったもんなぁ」

 京一は答えない。この男にとっては、ひどく屈辱的な、出来事。

 抱き上げた女に喉を、狙われた。

 気配で察して咄嗟に身体をよじり、喉笛は避けたが肩に近い肉を食いちぎられた。痛みに離した腕の中から女は俊敏に逃げ出し、部下たちは女を追うどころではなかった。どくどく溢れる血潮はまたたくまに京一の衣装を真っ赤に染めていった。

外された、戸板に寝かされ、部下たちに助けられ。

屋敷に帰りついてから、二三日は、冗談ではなく生死の境をさまよった。ずばぬけた体力と強靭さが彼をこの世に引き止めたが、あやうく彼岸に、運ばれるところだった。

「それにしたって、ふてぇ女だったぜ。最初に甘い顔、見せちまったのが間違いだ。今度あったらあの細い指、ばきばきに折ってやる」

 清二が嘯く。京一は相変わらず黙っていたが、やがて。

 すっと、差し出される、腱の硬そうな案外と器用そうな、指。

「……なんだ?」

「折れよ。代わりに」

 言われた言葉を理解できずに清二は瞬きを繰り返す。やがてゆっくりと察して、

「……おい、まさか」

 曖昧な表情を浮かべた。

「惚れたのかよ、あんな、物騒なのに」

 京一は暫く考えていたが、やがて。

「らしい」

 短く答える。清二は世も末だ、という風なため息をつき、部屋を出て行く。

 抱き上げた体が『女』でなかったことを、京一は言わなかった。

 何故だか、誰にも、告げる気にならなかった。