白鳥処女

気を付けなさい

貴女の羽を狙う男

例え一本でも盗られてしまったなら

盗った男の望みを全て

叶えなくてはならなくなるから

 

 

 

 大学へ行こうとして、玄関ホールで朝帰りをしてきた啓介と鉢合わせた。

 当然の様に全身、髪の一筋から足の爪先まで明るい鳶色の瞳にそぐわない粘着質の視線で監査される。

「…ダメ。そんな胸許見えるVネック着ちゃ」

 資料をその場に置き去りにさせられ、手首を摑まれ、有無を言わせぬ力で二階へ連れ戻される。

「着替えて。でなきゃ家から出さねぇ」

 ドアを塞いで立つ啓介の目の前、クローゼットを開けて諾々と指示に従った。

 

 

 帰宅すれば。

 否応なくベッドへ直行。

 耻辱に伏せられた睫が微かに震えるのを見咎めた。

「何? アニキの望み、俺が全部叶える換わりに、アニキは俺の言うコト、全部きくっていう約束だろ?」

 朝、目の前で纏わせた衣服を、夜、自分で剥ぐ倒錯に啓介は酔い始めていた。

 のみならず涼介の意識も濁流の渦に巻き込まれかけていたのだが。

「…解ってる…解ってるけど、…風呂とは言わないが、せめて、シャワーくらい使わせてくれ」

 消え入りそうな声で哀願する媚態は先達て要求した通りで忽ち機嫌が良くなる。

「仕様がねぇなぁ、アニキは。……何時まで経っても反応がヴァージンみてえで、スゲェ可愛い」

 言葉で柔らかに嬲りながら、愉しげに喉からくぐもった笑を洩らす。

「でも、放す前に…、コレ」

 布越しに下肢を辿っていた支配者の指がスラックスのポケットを探りFCのキーを奪い取った。

「預かっておくぜ? まぁ、逃げるなんてコトしねぇとは思うケド、保険」

 羽衣奪われた天女だ。

 奪った漁師もかくやの狡猾。

 スペアだってお前が持ってるくせに。

 

 

 何も考えない様にして躰は清めたけれども、バスローブを纏った時、困惑が意地悪く遣って来た。

 腰紐。

 緩く結べばいいのか、固く結べばいいのか解らない。

 以前、緩く結んだ時、精進落しの白首みたいだと嗤笑された。

 其次、固く結んだら、生贄の生娘みたいだと嘲笑された。

「……………」

 悚然と涼介が立ち竦んでいると、遅さに業を煮やした啓介の足音がして無遠慮にドアが開かれる。

「何やってんだよ?」

 仕打ちが恐ろしくて咄嗟に媚る強かさを覚えた我が身を省みる余裕は今は、ない。

「わからないんだ、啓介…」

 泪はとうに情けなさで滲みかけていたから問題無い。転用するだけ。

「…わかんねぇって、何が?」

 絆されて甘く問う声に縋った。

「これ…結び方が……」

 白い手に両端をとって似せた甘さで答える。

「…けいすけ……」

 雨に拍たれた梨花の風情、一筋頬に泪を零した。

好むであろう媚態。

 けれど、一呼吸おいて緩やかに伸ばされた手は、噱いで小刻みに震えていた。

「………何処で覚えてきたの、そんな奸猾?」

 猛禽の指が喉に絡む。

「…っ、ぁ!」

 引かれるままに啓介の腕の中に納まった。

「前に俺、アンタ怯えさす様なコトしたっけ?」

「……した……。如何…結んでも、気に入らない、みたいに…」

 恨涙がもう一粒、反対の頬を滑り落ちる。

 喉を摑んでいた指を放し、それを掬って啓介は舐めた。

「それって、何処でしたか、よぉーく思い出してみた?」

「?」

 怪訝に曇る眉宇にもう一度哂笑。

「わかんねぇ? 全く…。……始末に負えねぇっていうか………」

「啓介…?」

「来いよ。そのままでいいから」

 左手で袷を掻き摑んで、今日はもう三度目、涼介は啓介に手首を引き摺られた。

 

 

「ここで、だったろ?」

 壁のスウィッチを押して明かりを点ける。

 雑然とした啓介の部屋、煙草の匂いが染み付いたベッドのマットレスの上。易々と組み敷かせてしまった弱気な肢体。

 記憶に竦んだ背中に冷たい汗が浮かぶ。

「アニキの部屋は勿論、それ以外の場所じゃしてねぇだろ? そんなコトしたらそこで息できなくなるヒトだもん、アンタ。俺だって考えてるんだぜ…?」

 優しい手付きで袷を摑んだ繊手を剥がす酷薄さに言われた通り、息が詰まる。

 襟許からゆっくりはだける動きが舌舐めずりの様。

「今夜はアニキの部屋でアニキの“望む”様に抱いてやるつもりだったケド、…もうダメ。そうしてやらない」

「けいすけ…っ…!」

 危殆に瀕した声で名を呼ばれる瞀い歓悦。

 粟立つ膚肌が蒼白で、これを染め替えるために指を這わせる。

 巧く息が次げずにタ然と蹂躙を受け入れさせられる悲哀。

「何処で覚えてきたか、教えてくれる?」

「……っ!」

 黒瞳を四肢を蛍光灯の光に突き刺される、その痛苦に首を横に振ったことが啓介の誤解を招いた。

「…ふーん……、如何扱われても文句言わねぇってコトだよな? 俺だって手加減できるか分かんねぇよ?」

 引き裂く前の酷薄な憐愍で囁き、悚慄に彩られた唇に喰らいついた。

 

 

 酔楊妃色に染め替えられた膚理に浮かぶ水晶の如き滴を爪先で掻き乱した。

「…ぁ、…ぇす、けっ……!」

「……ダメって、言ったろ? 手加減、…できねぇって」

 苦鳴をあげる喉に噛み付く牙の容赦無さに今度は悲鳴があがった。

 漁師の子を産んだ天女に漁師の警戒は弛んだ。

 けれど、どんなに啓介を含んでも孕めない自分は、帰れない。

 永久に羽衣は戻らない。

 腕の中に在り続ける。

 

 

 

会いたいのなら

千、用意して

でも貴方の用意したのは

九百九十九

一、足りないでしょう?

さようなら

もう二度と

会わないわ