実際、ウィルスは手が早い男だった。ミツバと一緒に悪戯がみつかると電光石火ではたかれた。警護の武官が惚れ惚れする速さで、でも、いつも左手の平手だった。

 当たりは指先が掠める程度で、本当はそれほど痛かった訳じゃない。二人揃っていつも泣き出したのは、痛いのよりも驚いたからだ。ぎゃあぎゃあ泣くと許してくれたから。

「そうでもない。ガキの頃からずっと殴られてた。……先代の国王に」

 下着を脱がせる国王の手が止まる。

「六歳くらいの時かな。本当は父親だって、先代国王に教えられたのは。だから誰も居ない時は『父上』って呼べって言うんだ。お笑いだ。誰も居ない時だけ、だぜ」

 クスクス、ウィルスは笑う。どこか壊れたような感じで。

「腹が立ったから言うことを聞かなかった。逆らわれるのに慣れてない奴だったから、よく殴られたよ。見えない腹とか、背中とか」「なんで、誰にも」

「なんか言う気がしなかった。理由も説明しにくいしさ。でもじき兄貴が気づいてくれて、そのせいもあって俺は帝国に留学したんだ」

「なんで今頃、そんな話するんだよ」

「思い出したから」

「今言うこときいてるのも僕が国王だからとか、そういう風に話を持っていくつもりじゃないだろうね」

「まさか。そこまで往生際悪くないさ。ただまぁ、前振りではあるけどな」

 深呼吸一つ。覚悟を決めて、

「愛してる」

 喉に詰まっていた言葉を吐いた。

「無意味に暴れたとき、考えてんのはおまえの事だけだった。お前が泣くだろうとか、嘆くだろうとか。それが嫌でさ。こんな風になる前に、お前に脚ひらいてやってりゃ良かったとおもった」

 すり、と身体がスリ寄せられる。

「なぁ、一つだけ約束してくれるか」

「なに……」

 国王の声は既に荒い。心も身体も興奮しきっていて、貧血に似た視野狭窄が起こりかける。触れる暖かさに衝動がかけた。

「内緒にしてくれ。誰にも知られたくない」

「僕とのこと?駄目だよ。身体だけじゃ駄目。あなたは、僕の」

「オンナでいいよ。お前を好きだ」

 国王の手が止まる。

「でもそれを、ひとに知られたくない」

「恥ずかしい?」

「秘密にしようぜ、な?」

「もう遅いよ」

 可哀想だけど、という風に国王の手がウィルスの髪に差し込まれ、撫でる。

「みんな知ってるんだ」

 言われて一瞬、ウィルスは絶望したような表情。そうとも、みんな知っている。彼が受けた暴行も、その後のこの国王の始末も。

「私生活って、あんまりないんだよ僕らには」 その通りだ。国王とか宰相とかにプライベートはない。ベットの相手どころか、その最中の癖さえどうかすると余所に漏れる。情人を紹介して懐柔しよう、なんて目論む奴が居るから。

「あなたみたいに隠し癖がある人には、辛い事だね。可哀想に」

 なんて言いつつ、国王は容赦なく服を脱がせていく。

「抱くよ。じゃないと区別つかないじゃない。従兄弟とか、後見とか家族同然とか、そんな曖昧なんじゃ安心できないから」

 もっとしっかりした、誰にも口を挟ませないくらい強固な関係が欲しいから。

「あなた昨日いいこと言ってたね。人生を混ぜるって。いい言葉だ。あなたと溶け合いたい」

「……うん」

 大人しくキスに応えて背中に腕をまわす。「もっとも僕らの人生はとぉに混ざりあって、もう別れようがないけど」

 肌をまさぐられる。身体じゅう撫でられる。眩しいほど明るい照明の下で。ウィルスは腕をあげて目を光から庇う、ふりで表情を隠した。

「……痛ッ」

 ズボンの前をあけられて、鼻面を擦り付けられて、思わず呻く。

「可哀想に。痕、のこってる」

「……だろうな」

「自分で見てないの?」

「見えないって、そんなトコ」

「そっか。痛かった?」

「あぁ」

「それとも少しは気持ち良かった?」

「聞くなよそんなの」

「聞きたい。答えて」

 弱みを容赦なく国王は侵略する。

「痛い、た……、」

「答えろって言ってるだろッ」

 低く凄まれる。そんな威嚇より、身体の中に入ってる指の固い爪が恐い。

「思い出したく、な」

「思い出すんだよ全部。順番に何もかも。じゃなきゃ我慢できない。写真は確か、こんな風だったっけ?」

 無茶な姿勢をとらさせてウィルスは呻いた。まさかこんな風になるとは思わなかった。

「信じられない顔してる。僕はもっと優しいと思った?」

 声は出せないまま、頷く。

「冗談じゃない。いつまでも甘い顔していられるもんか。あなたは僕を裏切った。僕に自分を差し出したくせに、先に別の男、腹にのせたね」

「……俺のせいか、それ」

「どんな風だったか言え。どうやっていれられた?オイル使うか、嘗めるか、先に一回いって濡らすか、そうしたらはいりやすいって医者は言っていたけど」

「そういう事だけ、聞いているんだな」

「あなたはどうされた?どんな気分だった?」 残酷な問いかけに、

「どいつのことを答えればいい」

 ウィルスはさらに残酷な返答。

「四人か五人くらい居たから順番が少し混乱してるが、覚えてる限り全部言えばいいか?」「……うそ」

「やられてる、写真を誰が撮ったと思うんだ」 強気が崩れたように、がくりと肩を落とす国王。いい気味、みたいな感じでウィルスは言い募る。

「気分はまぁ、よくはなかったさ。でも半端に優しくされるよりマシかな。完全に玩具だったから身体だけですんだ。今みたいに」

「……ウィル」

「お前と愛しあうの恐かった。ほんとに人生溶け合って、離れられなくなりそうで。でもこんな風ならいい。ほっとしたよ。レイプなら何回されたって平気だ」

「言ったね」

 怯みかけた気持ちを国王は奮い立たせた。何がなんでも、もう退く訳にはいかなくて。「平気かどうか、試してあげる」

 明かりがつけられる。嫌がって顔を背けるのを許さない。狙撃防止の為に、窓ガラスにはスモークが入っている。鏡のような表面に、国王はウィルスを写した。

「目を開けて、見るんだ。自分が僕のものになってるところ」

 ウィルスはかぶりを振る。

「あなたは僕に償わなきゃならない。二年間お預けくらわした事と、その挙げ句のこの始末を。ずっと」

 ずっと?ずっとか。ずっとこんな風か。

「嫌?どうして?平気なんだろう?」

「……辛い」

 観念して、ウィルスはようやく、そんな弱音を吐いた。

「辛いよ。お前に玩具にされるのは」

 国王は満足そうに笑う。

「それは、どうして?」

「お前を好きだから」

「だから?」

「優しくしてくれ、もっと」

「もっと決定的な言葉を言えたら」

「なんて言ったらいい」

「簡単さ。僕がずっと言ってきたのと同じこと。身体だけじゃ?」

「……嫌だ」

「続けて自分で言ってみな」

「からだだけじゃ、いやだ」

「明日からね」

 乱暴しながら国王は呟く。

「明日からは優しくしてあげる。明かりも消す。でも今夜は駄目だ。好きにさせて。じゃないと、おかしくなる」

「苦しい、辛い」

「……痛い」

「その代わり忘れる。あなたは僕が初めてだった、ことにしておくから」

「お前に奴らと同じようにされるの、辛い」「何もかも僕がしたことにしておきなよ。本当はそんなに痛くはないだろ?麻酔塗ってたんだ、指に」

「イロガキ……ッ」

「泣いてのたうちまわって。あなたが僕のものだって僕に思わせて」

「アケトッ……、」

「自分でそうだって言った責任を、とれよ」

 注ぎ込まれる、恐い熱。そこから確かに内側に浸食されて、取り返しがつかなくなりそうで、ウィルスは叫んだ。

「……ッ、ア」

 背中を反らせて発する掠れ声が国王の呼吸を荒くしていると、分かっていたけれど。

「あし、もっとひらけるだろ」

 ろくに休ませもせずに苛みながら、国王。「や……、俺、女の子じゃ、な」

「黙っていうこときけ」

「うごくな」

「女のなかでうごかずにすませたことあるの、あなた」

「だから俺は女の子じゃな……、」

 言ってるうちに情けなくって、涙が出てきた。しゃくりあげるリズムが楽しいらしい、国王はさほど時間もかけずに、二度目の熱を注ぎ込む。

「……う、アッ、く」

「泣かないで。反則だよ、可哀想になってくるから」

 宥めるようにキスをした。勿論まだ、手離すつもりは少しもないけれど。

「泣くと目が腫れるよ……。あの時みたいに」 それも悪くはないと思った。泣き顔は嫌いじゃない。泣いてはいなかっけれどその気配を濃厚に残した表情でこの人は昔、言った。「僕のものだ」

 そうなると、自分から言ったのだ。

 

 二年前。大地震の日、深夜。

 ウィルスは泣き腫した目のまま奥宮の、王太子の寝室へ侵入した。

 侍女の手引きでテラスごし、窓から入ってこられて王太子は驚いた。それでも咄嗟に公爵夫妻に対する悔やみを口にしようとする。けれど。

「国王が、お前のことを幽閉すると言ってる」 赤い目のウィルスに先にそう言われ、咄嗟に意味が分からない。

「夜が明ける前にクーデターを起こすしかない。覚悟を決めろ」

 いきなり言われてもどう答えていいか。

「俺を、信じられないか」

 問われて王太子は顔を上げる。まだ少年の顔を。けれど瞳は静かに座っていて、度胸がいいところを見せた。

 ウィルスの両手には包帯が巻かれている。爪が何本か剥がれて手の皮がずいる剥けていると、侍女から聞いた。埋まった自分を助ける為に素手で木材を掘り起こしたせいだ。この人を信じられなくて、他に何を信じられるだろう。

「あなたが言うなら嘘でも信じるよ」

 ただ一つ、不審があるだけ。

「国王が」

 父が、とは言わなかった。

「僕を廃嫡しようとしてるのは分かる。あの人は僕を嫌いだから。代わりにあなたを王太子にしようとしているんだろう?」

「……そうだ」

 公爵邸から王宮へ来るまでの車内で囁かれた言葉。どうしてもお前の方が可愛いと。お前をわたしの跡取りになおす、と。

 公爵夫妻の遺体を王宮の一室に安置して、それからずっと国王はウィルスを手離さなかった。被害状況の報告、市民への炊き出しや架設住宅の手配、親交国への援助要請。そんなことを手伝わせ、夕食も一緒にとった。深夜になって、ようやくウィルスは抜け出してきたのだ。国王のそばから。

「不思議なのは、なんであなたがそれを僕に言いに来るのか。あなたがなればいいじゃない、国王に。あなたは相応しい人だ」

 間近で向き合う。遠くから雷鳴。

「……雨だな」

 ウィルスの語尾に重なって、ざあっと雨音。「火は消えるが、焼け出された連中が濡れる。夏なのが救いだが」

「誰がどう見ても、僕よりあなたが国王に相応しい。なのにあなたは、なんで僕を王位につけようとするの」

「国王を嫌いだから。あいつの思い通りになるのが嫌だ」

「どうしてそんなに嫌うの。陛下の方は、あなたを好きなんだよ」

 強引で自分勝手ではあっても、あれは愛情。「違う」

 王太子の言葉をウィルスは否定する。

「違うんだ」

 それからしばらくの沈黙。そして。

「おまえに、兄貴が居たこと知ってるか」

 口を開いたとき、ウィルスはそんなことを言い出す。

「死産だったけど」

「そんな風な話を聞いたことはある」

「死んでないんだよ、その赤ん坊」

 雷が近くに落ちた。閃光がウィルスの顔を照らす。指向性の強い光に色彩を殺されて陰とのコントラストのみで浮かぶ美貌。それを見て、王太子には続きが分かる気がした。

 似ている。ウィルスは、あまりにも。

 冷酷で淡泊で有能な独裁者に。

「赤子は無事に生まれた。でもその子は王族の看板を背負って来なかった。黒い髪に黒い目じゃなかったんだ。だから、死んだことにして姉夫婦に養子に出された」

 王太子は甲から手を離す。蜂蜜色の柔らかな髪に触れてみる。国王の王妃は帝国の出身。国王自身にもパルスの血が混じっているから、黒髪でない赤子が生まれることは別に不思議でもなんでもない。

「子供なら何度でも作れるって思ったんだろうよ。その後、何年たっても子供が出来なかったから、国王はずいぶんイライラしたらしい」

「……馬鹿だね」

 心からそう思う。

 この人は優秀な人だ。頭もいいけど、何よりも気性がいい。凛々しくて強靱。素晴らしい跡取りを天から与えられていながらみすみす、余所にやったのかあの男は。たかが髪の色一つで。そんなつまらない理由で。

「あの男、存外な愚かものだ」

 王太子の台詞にウィルスは耳を疑った。その声、その口調、その台詞まわし。死んだ兄が言った言葉と瓜二つ。そして独裁者をこきおろす度胸。

「僕ならそんな事はしないな。ずーっとそばに置いておくよ」

「取り戻そうと、途中でしたらしい。親父と国王が時々揉めてたのはそれが原因だ。お袋がその度に、間に入って調停してたけど」

 二人はもう居ない。国王からウィルスの身柄を守ってやれる人間はもう、一人も居ない。「冗談じゃねぇ、と思うんだ俺は。一回すてといて、やっぱり要るから戻ってこい、なんてな。そんな勝手な都合で右から左に、やりとりされてたまるか」

 されかかった。危ないところだった。弱ったところに手を差し伸べられて、危うくすがりつきそうだった。ヤバかった。

 ヤバかったぶん、報復をしなければならない。弱って柔になったトコロにつけこんでくれた復讐をしなければ。

「僕は?」

 王太子はウィルスの葛藤に気づかない。

「僕はなに、本当は」

「お前はだから、俺の」

「弟じゃないよね。僕は国王の実子じゃない。だから陛下は僕よりあなたを国王にしたいんでしょう?僕のことも教えて」

「……ミツバの兄貴だよ」

 国王は動揺しなかった。

 ずっと前から知っていたこと、のような気がする。公爵夫妻は優しかった。

「兄貴はお前を渡したくなかったそうだ。でもその時は、こんな風になるとは分からなくて。王太子として引き取られるなら悪い話じゃないって最後には思ったらしい。国王がお前を可愛がらないから憤慨してた。取り戻そうとして、でも失敗して、地方まわりさ」

「どこの父親も同じだね」

 王太子は少し笑ってしまった。

「王家と公爵家の間で、物みたいに交換された訳、僕達は」

「アケト。でも本当に、兄貴はお前のこと気にしてた。兄貴の遺言は俺に、息子たちのこと頼むって複数形だった」

「あなたは何をどうしたいの」

「廃嫡された王子が生を全うした試しは少ない。俺はお前を殺させたくない。お前を幽閉とかさせてもみろ、あの世で兄貴にナンて嘆かれるか」

「僕は幽閉、平気だよ。あなたが会いに来てくれるなら」

「馬鹿、あの国王がそんな甘いタマか。殺されるぞお前」

「あなたが庇ってくれる」

「王太子ってのは、国王の控えだ。逆らえないことになるんだよ」

「じゃあ、あなたが国王になって僕とアケトを補佐にして。陛下を追放してさ」

「時間がないんだ。軍は国王より俺につくと言ってるが、文官たちは手続きとか王位継承の正当性とかって揉めるに決まってる。それに外国への聞こえも悪いだろう。俺が国王とお前を追い落として王位をついじまったら、姦臣を討つとかなんとか言って攻め込んでくる国が絶対、あるぞ」

 ただでさえ地震の被害から立ち直る為に暫くの時間が必要なのに。

「現時点でお前は王太子だ。お前が父王を追うなら内政問題で済む。不正蓄財とか外国との密約とか理由はなんとでもつけれる。奴ぁワンマンで敵が多いから、うまくやりゃ足元を覆せる。内政大臣も、お前の命令書があれば印璽を渡すと言ってる」

「段取りはもうついてる訳だ」

「何度も言うが、俺が陛下を陥れれば下剋上だ。俺はあいつの家臣だから。でもお前なら親子喧嘩で済む」

「へんな話だ」

 王太子は笑う。本当におかしかった。

「へんな話だよ」

「アケト。どうしても厭か」

 王太子は笑うのを止めて考えてみる。厭かと聞かれるとそうでもない。ただ少し面倒くさい。

 もともと無事に国王になれるなんて考えていなかった。王太子なんていうのは名前だけで、国王から愛情を感じたことはなかった。だから多分、いつかこんな日が、来ると思っていた。

 宣告を受ける日。選択を迫られる刻。

 相手と内容が、ちょっと予想外だったけれど。

「そりゃまぁ、そういいモンじゃないさ。でも俺がついてる。なるべくお前に、いいめあわせてやるよ」

「本当?」

 その一言で王太子は気が変わった。

「本当についててくれる?ずっとだよ。永遠に」

「約束する」

「結婚しないで、ずーっと隣で助けてくれるね?」

「禁婚者になれって意味か?いいとも」

 生涯を縛る約束はごく軽率になされた。

「なら、王様になってもいいよ」

 この人が手に入るというのなら話は別。どんな事でもしてみせる。

「なんでも我慢できる。あなたの思い通りに、なるよ」

「……アケト」

 少しだけウィルスは困った顔をした。

「別に俺、お前を傀儡に国を牛耳ろうとか、思ってる訳じゃないぜ」

「命令書出して。用意してるんでしょ?署名する」

「お前が力をつけるまでは補佐するし、ちゃんと相応に実権も渡す。約束する」

「そんなのは、どうでもいいんだよ」

 命令書に署名して返した。

「一つだけ覚えといて。あなたは今、僕に自分を差し出したよ」

 それはウィルスにしてみれば、社会的な発言だったかも知れない。

「覚えておくとも」

 でも王太子にとっては私的な意志だった。それこそ、寝台に侍ることを含めた意味。

 夜明け前、ウィルスは国王の寝室を襲撃した。日の出とともに退位宣言書が読み上げられて、即日、前国王となった男は保養地へ送られる。ていのいい追放。

「飾り物より実権を選んだか。まぁ、それもよかろう」

 聡明で知られた男だけに、負けを悟ったあとで悪足掻きはしなかった。ウィルスにただ一言だけを残して、王太子を送るはずだった幽閉場所へ粛然と旅立った。

 

 帝都最後の朝。

 国王はようやく食卓に出てきた。それまで二日間、彼は寝室に食事を運ばせていた。無論一人きりで、ではない。

 引き上げに関する雑務は殆どミツバが引き受けた。準備が出来たと昨夜知らせて、今朝はどうしても直接の指示が必要で、食卓にはミツバも同席している。給仕は女官ではなく秘書官。

「マチス・ノベル。君は優秀な秘書官だ」

 国王は機嫌がいい。目許と口元がどうしたって緩い。

「恐縮です」

「秘密は守れるね?」

「もちろんです」

「君は何も知らないことにするんだ。何も気づいていない。それがどんなに不自然でもそうするんだ。いいね?」

「わたくしは、何も存じません」

「満点だ。ミツバ、お前も」

「俺が知ってるって兄貴は知ってるけど?」

「それでもだ。彼は案外、繊細なところがある」

「ところだけなら誰だってあるさ」

「世間に知れ渡ってる分、身内でいたわってやりたい。知らないふりをして欲しい」

「あんたが国王だ。指示には従うさ」

 食事が運ばれる。スープスプーンを取り上げながら、

「世界征服、したいなんて可愛いな。だからひじじを妙に意識してるのか」

 独言じみて国王が呟く。

「兄貴を可愛いって思えるあんたは相当の大物だよ。……調子に乗るのはいいけどさ、あとでコケんなよ」

「やったら喜ぶかな、世界」

「どうだろ。欲しいものをひとから貰いたがるたちじゃないと思うけど」

「そうだな。扱いが難しい」

「……俺のことか」

 続きの寝室からぼさぼさ髪のままウィルスは起きてきた。寝惚けた顔でぼんやりしている。国王が自分の隣の椅子を引き、ウィルスは腰を下ろす。まさか起きてくると思わなかった秘書官は慌て、とりあえず茶を出して、厨房へ連絡をとった。

「食べていいよ」

 国王は自分の前の皿をずらしてやる。

「お腹すいてるだろ?」

「育ち盛りからメシ取り上げるほど悪党じゃねぇよ」

「僕はいいんだ。あなたの顔見てると胸がいっぱいになるから」

 ウィルスは何も答えない。ただ顔にザーッと砂嵐が通った。嫌そうな彼を、国王はひどくうれしそうに眺めている。

「世界征服に行こうね。ひじじの跡を捜しに行こう」

「案外生きていたりして」

 ミツバが口を挟む。

「可能性はあるよな。生きてりゃ今、七十五才くらいか」

 そんなことを話しているところへ、

「失礼いたします、お届けものです」

 持ってこられたのは封書。金箔をすきこんだ高級な紙。蝋で封印されていて、添えられた送り状に記された名前は。

「あなたにだ」

 国王がウィルスに差し出す。

「フィラから?約束のあれか、早いな」

「フィラって誰。どこの女?」

「女帝陛下だよ。あぁ、やっぱり」

「でも封印は前代の皇帝印璽だぜ」

 横から覗き込んだミツバがめざとく指摘。「死んだ奴からあんたに、じゃねぇの」

「あの男から?なんでまた。一度しか会ったことないのに」

 それでもウィルスは皇帝からの封書を開ける作法に従って、蝋の部分を暖めた。最初は掌で、途中から面倒になって舌で。温まると、その端に印つきの指輪を押しつける。一連の動作を国王はじっと見ていた。

 出てきたのは一枚の写真。

 そして直筆の手紙が同封されていた。

「また難しい文字で……」

 ウィルスは愚痴る。古代語だったから。眉間にしわ寄せて彼は読んでいく。時々、ミツバが横から手伝った。

『写真は譲ってやる。しかし指輪はわたしのものだ持っていく。同じ物がサラブにも残っている筈だ。どうしても欲しければそちらを捜すがいい』

 だいたいそんな意味の手紙。やれやれと、ウィルスはため息。

「墓を暴くのは気が進まねぇな」

「暴いてもムダだろ?帝国って火葬だし」

「先手を打たれた。あの世に持っていかれたか。十年前に色気見せちまったからな。若かったよあの頃は」

「写真見せて。うわ、そっくり」

「けっこう小柄だな。女の子みたいだ」

「西国境戦争の時のじゃない?十六歳の」

「黒髪だから、たぶんその頃だ」

「隠し取りだな。目線があっていない」

 騒いでいるところへ、

「帰国の船は正午に出ます」

 もたらされる知らせ。

「じゃ、俺、一回学校に戻る。取ってきたい物あるし」

 ミツバは退室。迎えに来たのは正式にミツバの側近となった傭兵。ウィルスと国王に黙礼して、彼は静かにドアを閉めた。

 二人きりになった途端、

「おはよう」

 寄せられる唇。

「なに言ってんだ、いまごろ」

「ミツバが居たから我慢してたんだよ」

 唇を重ねながら脚の内側と胸元を撫でていく。ウィルスは逆らわない。ただ、

「新婚旅行に行きたい」

 そう言われ口を開く。

「阿呆。そんな暇があるか」

「必要だよ。なんでもそうじゃない。勘を掴んだ最初のうちにガーッとやってしまいたい。帰国はまた別々なんだろう」

「当たり前だ」

 国王と宰相が同じ艦に乗って、万一その艦が沈没したら国内が混乱する。

 シャツのボタンが外されていく。

「今着たばっかりだぜ」

「もう一度着ればいい」

「面倒くさいだろ」

「なら着たままでもいいけど」

「……脱ぐ」

 自分でさっさと脱いでいく。朝日の中。幸福と錯覚しそうな柔らかな触れ合い。深く息を吐いて、ウィルスはゆうるり、国王に腕をまわす。

「……ヤバい」

 独言のように呟く。

「癖になりそうだ」

「してしまいたいよ」

 即座にかえされる、思い通りの情熱に満ちた言葉。身体をなで回す掌が気持ち良い。やたら触りたがるのは女にも居た。好きにさせてたが、多少うざったくないでもなかった。けどこの掌は気持ち良い。目を閉じてると、目眩がしそうなくらい。

「癖になっちゃえ。別に構わないだろ?あなたはとぉに知ってると思うけど、僕はあなのものだから」

 耳元に唇に、戯れのようなキス。

「いつでも抱いてあげる。僕のベットはあなた専用だ。好きな時に来て、好きなだけ居ていいよ」

「……してくれ」

 今、このままここで。

「情熱的だね」

「暫く会えないから」

「三日、長いよ」

 それは帝都からトゥーラまでの航海にかかる日数。

「あじとか、しかたとか、忘れないでね」

 イロガキにそんな罰当たりなことを言われ、「あぁ」

 正気で素直に、答えた自分が嘘みたいだった。

「あなたを、好きだよ」

 繰り返される告白。それは殆ど、誓いと言うに相応しい神聖さで。

「うん……」

終章

 

「不審な男を見つけました」

 連れられてきた男を見てウィルスは眉を寄せた。それは、ミツバに仕えることになっていた傭兵。

「若のご指示で、つけさせていただきました」 見つかって、それでも傭兵は悪びれない。

「若からの伝言があります。あなたの最大の欠点は気楽な次男坊気質が抜けないところだと」

「お前の親父が早死にしたのが悪いって言ってこい」

「国王陛下が怒り狂っておられます。帰国の途中の寄港地で行方をくらまされて」

「ミツバが宥める。あいつはそういうのが得意だ」

「ききません。国外退去させると仰っています」

「脅しだ。俺が帰るのをあいつが拒めるもんか」

「ここでなにしておられるのですか」

 ここは物騒な土地。そしてそこに似合いの物騒なウィルス。

 サラブに恨みを持つロスード島。常にサラブ首長国からの独立を願い続けている火薬庫。ウィルスを囲むのは血の気の多そうな男たち。馬鹿でもわかる構図だ。

 ロスード島の独立派をウィルスは支援している。それによってサラブに混乱をもたらそうとしている。

「ちょっとな」

「まさかサラブに宣戦布告をされるつもりではないでしょう」

「俺はサラブと対決するつもりはない。力が拮抗してるから消耗戦になるか最悪、共倒れる。いい事は一つもない。まぁちょっと、看板に傷つれに行くだけさ」

「点数稼いでおきたいんでしょう」

 傭兵はうっすらと笑う。

「女帝擁立で少しケチがついたから、間髪いれずのしっぺ返しがしたいんでしょう」

「わかってるなら、邪魔するな」

「ご協力します。私を追い返すと、ミツバ様御自身が来られますよ」

「あいつも怒ってたか」

 ミツバのことは少し気になるらしい。

「呆れておられました。ところで陛下の事ですが、本当にヤバイですよ」

 成就したばかりの恋人に蒸発同然に逃げられて一時は半狂乱。今は落ち着いているがそれは外面だけ。内心は渦巻いている。荒れた波より潮流の方が、静かだけども恐ろしい。「近々一度、連絡をいれられた方が」

「そんなことより問題なのはお前の始末だ」

 ウィルスはため息。周囲の男たちは傭兵を、ひどく胡散くさい顔で見ている。

「殺しちまえ。ダンナがここに居ることバレたら、ヤバイぜ」

「傭兵なんだろ?ダンナが一番嫌いなモンじゃねぇか」

「待て。人手は一人でも多い方がいい。ダンナの部下なんだろ?」

 男たちは話しあう。最終的な結論は、

「ダンナに任せるよ」

 ここでもウィルスは支持が厚い。

「殺す訳にはいかないな。可愛い跡取りがつけてくれたボディーガードだ」

「あんたにそんなもの要ったとはねぇ」

「あんたの身の上くらい俺が守ってやるぜ。いうこときいてくれたら」

「百年はやい。サラブの宗主にでもなれたら考えてやるよ」

 そんな会話にうっすらと笑う傭兵。

「なんだ?」

「いえ。陛下もお気の休まらないことだとおもっただけです」

 自分の失策に臍を噛んでいる、あの若い男。念願かなって想い人を情婦だと公表して、その後で考え付きもしなかった副作用に苦しんでいる。

 国王の情婦だと公表してしまった以上、ウィルスにはそういう陰がつきまとう。男たちがあわよくば自分もと思う気分が。証拠に彼らを従えるウィルスの様子には、ボスというより女王様じみた華やぎ。

 本人に自覚はない。そのことが国王の焦りを理解させない。あの若い王者は深刻に喘いでいる。酸素の足りない魚みたいに。

「なるべく早く、すませて戻りましょう」

 イルゲンの立場ではそうとしか言いようがなかった。そうだなと、ウィルスはいい加減な返事。

 彼は誤解している。ベットに入って情人関係を世間に知られて、それで終わったと思っている。甘い考えだ。本番はこれからだ。

 国許で若い国王は牙をといでいる。そうともしらずに彼はいつか、無防備に戻るだろう。噛み裂かれるところを見てみたい気もする。とぉに枯れたと思ってた、欲情に似た疼きがイルゲンにまで熱を帯びさせた。

「傍迷惑な人だ……」

 今はまだそんなレベル。でもじきに嵐になるだろう。イルゲンの呟きを聞きとがめ、

「荒れるぜ」

 ニッとウィルスは笑ってみせる。

「新帝の即位が終わって、これで落ち着いたと思ってる連中にゃ気の毒だが、お愉しみはこれからだ。嵐が起こる」

「起こすんでしょう、公が」

「退屈はさせない」

 自信満々に笑う美貌が、やけに眩しい。

「期待しています。電話はありますか?」

 ない訳がない。しかし。

「どこに掛ける気だ」

 盗聴や逆探知を警戒してウィルスは慎重な表情。

「トゥーラ王宮です」

「おい」

「大丈夫。オリブス半島の傭兵同士の情報交換回線を経由します。一回限りなら防諜上の問題は起こりません。国王陛下に一言、言ってやって下さい」

 ウィルスは手の伸ばし回線を切ろうとしたが、

「若が苦労してられるんですよ」

 そう言われ思い止まる。

 回線は五分ほどかけてようやく繋がった。「二十秒間が限度です」

 それだけの時間でうまく伝えられるだろうかと思いながら、ウィルスは腕時計を眺めつつ相手が電話に出るのを待つ。

「もしも……」

 いいかけた途端、

『怒ってないから帰っておいで』

 名乗るより先に言われたのはそんな言葉。すぐに嘘だと、ウィルスには分かってしまう。反射的に受話器を置く。あんまりアケトが怒っているから怖くなって。

 時間にして三秒ほど。

 逃げ出した訳じゃないとか、前もって話さなかったのは機密だったからだとか。このことは以前から計画していて、前皇帝の死によって延び延びになっていたんだとか、伝えたかったけど。

「……怒っておられたでしょう?」

 イルゲンが面白そうに笑うのをウィルスは無視した。

 

「兄貴からかい?」

 国王陛下の執務室。当然のような顔をして、桜材の机の対面で仕事をしているのはミツバ。「たぶん。なにも言わなかったが」

 答える国王は一見、冷静。でも内面は冷静どころではない。受話器を本体に戻す手の指先が白い。力が入っている。

「あんたがあんまり怒ってるからだぜ。まぁでも、無事だったってことで、良かった」

 ミツバの言葉に国王は同意しない。彼が手元に戻らない限り、良かったなんて言葉は使えない。

「仕方ないだろ。兄貴は多分、ずーっと関わってたんだよ。サラブの辺境がきな臭くなってきたのはそういえば、兄貴が宰相になった頃からだし」

「ミツバ」

「その仕上げに行ってるのさ。バレたら内政干渉になっちまうから慎重に、極秘に動く必要が」

「戻ってきたら繋ぐ。泣き言を、ウィルが言っても耳を貸すなよ」

「殺さない程度ならな」