真剣に謝る男がおかしかったから、気持ちがおさまった後もしばらく丸くなっていた。

 ら、そのままで眠ってしまったらしい。明け方に目が覚めたのは。

「……、ぁー」

 自分の声で、だった。

「あ……?」

 生きてきた中で一番、ろくでもない目覚め。

「て……、め、ぇ……」

 寝ている間にずいぶん好きなようにされたらしい。纏っていた筈の夜着は剥かれた素裸。男も同様で、触れる肌の感触が生々しい。足をひらかされて、声がうまく出ず身動きもろくに出来ない。正直なところ気持ちが良くて、れろんとされて、びくっと跳ねた。

「き、たね、ェ……」

 から止せと続ける代わりに踵で背中を蹴る。右足の膝を肩に掛けられて持ち上げられていたから大変けりやすかった。

「よせ、って……」

 膝を曲げて、足の裏を男の肩に当ててぐっと押しやる。濡れた音をたてて、男の顔が、狭間から剥がれる。

「怪我、どうかなって、気になってさ」

 口元を拭いながら馬鹿な男は馬鹿馬鹿しいことを言う。

「嘘じゃねぇ。手で触るのが怖かったンだよ」

 馬鹿にしたのが分かったのかちょっとムキになられた。起き上がった男は女の頬に手を伸ばす。つるんとした肌に少し笑う。

部屋は薄暗くて、起きたばかりの女にはよく見えないけれどそんな気配がした。ひらかされて濡らされた狭間を拡げられて、そのままカラダを繋がれる。

ぐい、っと。

「ン、っ」

 衝撃はあったけど痛みというほどではない。

「ッン、……、ぁ」

「あー、あったかー」

 男が嬉しそう。すり、っと、さっきは掌で撫でた頬に顔を寄せられる。

「体温たかい、わけでもないけど、ナカあったかい、ねぇー」

 男の感想ははっきり褒め言葉。自分の内側が熱を孕んでいる事は女自身にも分かる。それは男も同じことで灼かれそうに熱い。必死の見栄で口調は平静を装っているけれど、本当はひどく興奮していると知れた。

「すんげぇ、キモチ、いィ……」

 ぎゅうっとされながらため息に紛れた感嘆を聞かされるのは気分がいい。それが女をいい気分にさせておとすホストの常套手段でも。

「うるせぇよ。信じないのは分かってっけど、イチイチ茶々入れンな」

 喚く男の額から滴り落ちる汗は嘘ではない。

「オンナはなぁ、オトコもだけど、頭良けりゃあいいってモンじゃねぇぜ。騙されて笑ってるほーが結局は得なんだよ」

 騙したい奴の欺瞞だ。

「ああ、もう黙ってろ。カラダ素直でかわいーのに、起きたらいきなり減らず口ばっか叩きやがって」

「……」

 黙れといわれたから口を閉ざした。そうしたらすぐに後悔した様子で、ぎゅっとまた、詫びるように抱きしめて。

「ホントはオタクのこと、すっげぇ、スキなんだぜオレは。知ってっだろーけど」

 よく分からない。けれどざらっとした悪意がオマエの中にあることは知ってる。オレがオマエに騙されないのが悪意の理由なら、それはずーっと、あり続けるだろう。

「ばぁ、か。……もー、とけた……」

 寝たから消えるモンでもない。カラダは熱くて欲望は本物でも、そんなものナンの証明にもならない。終わって離れりゃ、また赤の他人だ。

「最初から負けてるよーな、寝言ゆってんじゃねぇ。宝の持ち腐れだぜ。オタクこんだけいいカラダしてんだ、抱きしめてちょっと優しくしてやりゃ馬鹿なオトコども有頂天になって、オタクの手のひらの中でコロコロリン、だろ」

 よく、わかんねぇ、そういうの。

「教えてやる、せっかくだ。けどまぁ、最初は、演技とかナシな。あー……、マジ、いー……」

 ため息をつかれる。セックスのやり方を思い出しといて良かったと、心地よさのまま男の肩に腕を廻しながら、痺れた思考の片隅でオンナは思っていた。こんなつまらないことでも、この相手にヘタクソとか思われるのは癪だった。

 女から触れてきたことで男の昂ぶりは振り切れ、それから暫く、息の続く限りという勢い。

「ん……、ぁ」

 キモチが、いいのを、オンナも隠さなかった。バレる嘘ならつかない方がマシ。ぎゅっと目を閉じ硬くて重くて怖い男からの刺激を堪能する。お互いに優しい気持ちだけでないのが奇妙な戦慄で、ぶる、っと、一緒に震いあう。

「……、はぁ」

 極まって、熱が弾けて、がくりと男が姿勢を崩した時。

「……、っ、……、ぅぇ……」

 オンナははっきり、すすり泣いていた。

「……、ッ、……、ぅ」

「なん、……、よな……?」

 なんだ、泣くなよ、痛いんじゃないよな?

と、尋ねる男の舌も乾ききっていて、声はうまく言葉にならなかった。それでも旗を重ねていれば意思は伝わる。ぎゅう、っと、離れるな、という風に男を抱きしめる女の腕の内側はほんとうにすべすべのつるつる。

「……、お?」

 そうして狭間が、またじゅくんと潤んで。

「おいおい……」

 女は余韻の後味だけで、もう一度、満ちた。

「マジですかー。ちょっとも、勘弁……。ウソだろ……」

 今度こそ脱力して、男の背中からぱたりとシーツに女の腕が落ちる。浅い呼吸を繰り返しながら、またじんわりと泣き出したのが痛いからではないと、今度は尋ねなくても分かる。

「オタクもしかして、オレのこと好きだったとか?」

 真面目に尋ねた。返事はない。男はあざけているのではなかった。もしかして恋焦がれられていて、それでこの情感かと、オスを錯覚させるほどオンナは美味かった。

「な、わけ、ねぇ、けどさ」

 疲れ果て反論の声さえ出せない女の、汗で額に張り付いた髪を撫でつけてやりながら男も目を細める。ひたりと自分に貼り付いて絡みついていた粘膜がゆっくり、緩んで剥がれていくのを名残惜しく感じながら。

「あ……」

 そうしてゆっくり、カラダを離す。二度目を挑もうとは思わないほど満足しきっていたし、下腹が攣りそうなくらい実は疲れていた。ゆっくり手足を引き寄せて体を丸める女の隣に添い寝し、腕を伸ばして抱きしめる。

拒まれはしなかった。けれど腕の中で、女が体を捩って布団の外へ手を伸ばそうとする。

「このまんま。オタク、肌、すんげぇキモチイイ」

 夜着の襦袢を捜しているのだと気がついたけれど取ってやらなかった。肌理が細かくさらりとしているのに潤んだ、触れているだけでうっとり気分になる素肌を堪能しながら眠りにつきたくて。

「おごちそうさま。……たまりませんでした」

 正直な感想を告げる。負けを認める言葉でもあった。悔しいとは少しも思わずに、感嘆だけが胸の中に満ちる。

「いーオンナでした。俺ぁなぁ、ずーっと」

 こうしたかった。セックスの意味だけではない。抱いて抱かれて、仲良しになりたかった。

 らしくないほど、優しく撫でてやっていると、女がまた身動きする。今度は背中を伸ばすための寝返りだから腕を緩めてやる。男の懐に抱かれて女は大人しく眠るつもりらしい。そんな風にされると切なくなりそうで、男は歯を食いしばり、自身の感傷的な気分を押し殺した。

「いかが、でしたか?お嬢のご感想は?」

 眠りかけた女にわざと露悪的に絡んでみる。

「なぁオイ、オタクいっつもこんなか?それてもオレが特別お気に召しましたかぁー?」

 一版気になっていることをつい、真面目に聞いてしまう。

「お嬢はゴリしか知らなかったんだよな。それから山崎クンにはもうヤられちゃった?それともホントは沖田クンと一つ屋根の下で、あんなことこんなことしてたとか?」

 ヘタな挑発だった。女はのってこなかった。

「おーい、寝るなよ、ナンか言えー」

 抱きしめた女を揺する。セックスには満足したけれど心はまだ昂ぶったまま、高揚が収まらない。話をしたくて、まだ絡みたくて、思いのほか豊かな水気を湛える丸い胸をぎゅっと掌におさめ弄る。ぷりん、という手ごたえに食欲を感じた。

「比べたって、意味ねぇ、だろう」

 面倒くさそうに女は口を開く。

「んー?」

「玄人に金払って抱いて『もらった』んだ。そりゃちょっとは面白い芸もするだろうよ」

「なんで素直に気持ちよかったって言えねーかなー?」

「マトモな愛情と、比べんのはそもそも失礼ってもんだ」

 決め付ける口調で痛いところを抉られて。

「オレのこと言ってるか?それとも比べられて負けた自分のこと言ってんのか?」

 男は意地悪を返してしまう。すぐに後悔した。この女の非難はいつも鋭くて男を痛めつける。つい過反応して、過剰防衛で怪我をさせて、そのたびに悔いている。

「……おやすみ」

 自然な軽蔑がこんなに痛いのは、たぶん真面目に、惚れてしまっているから。

「なぁ……、オマエが思うほど、ホストってのは、客とは寝ないん、だぜ……?」

 妙に行儀のいい女は、玄人と素人の区別をキチンとつける。可愛いなと思っている相手に別の世界のイキモノだと区別されたのは辛くて憎らしかった。

「ホストだってオトコだ。真面目に好きになっちまうこともある。プロ意識がないってオマエは笑うだろーけどよ」

 江戸の歌舞伎町で不動のナンバーワンの座を誇る狂四郎のように覚悟が決まった玄人ばかりではない。

「それに第一、オレぁもー、そっち廃業してるし。現役だった頃も、素人コマして貢がせるより、色気の出ない商売女たち何とかすんのが、メインの仕事だったし。かわいそーなのが居るんだよ、不感症ってゆーか、……、が、……についてて、……で」

 眠りかけた女には理解できない、聞きなれない名詞と形容詞。

「男は底が無いパイプに突っ込むみたいでつまんねーし、女は女で、痛かったり気持ち悪かったりするばっかで、つまんない通り越して辛いし。オタクみたいに蜜たっぷりなら自分も楽しいし男も面白いしで、苦労しないけどな」

 肉体に欠陥がなくても、行為から快楽を汲み取る才能は等しく与えられる訳ではない。

「……、だったんじゃねーの、オタクの旦那」

 この女の方がそうだと周囲は思っていた。他に欠点がないから。けれども全く『そう』ではない以上、不感症は、男の方だとしか思えない。

「味が分かんねーヤツって居るンだよね」

 それは不妊症と同じ。なんとなく原因が女にあるように思われがちだけれど、原因がどちらにあるかの確率はほぼ半分ずつ。

「別れて良かったじゃん。オメデトーって言ってやるぜ俺は。エクセレントだってちゃんと分かってくれる男に尽くされながら可愛がって貰えよ」

 最後は少し、昔の口調が出てしまう。

「向かうところ敵ナシで、ベッドの中じゃ調子に乗っていいオンナだぜオタク。オレだって何でも言うこときいてやるし」

 そんな種類の力には興味がないし、価値を感じたこともない。

「ああ、オタクそこが、ゴリからつけられた悪ぃクセだなぁ」

 何かを男が勝手に納得して、可哀想にという声で慰められる。

「オタクが悪ぃんじゃねぇのに当り散らして、悪かった。ごめん」

 ナニを真面目に謝られているか、少しも分からなかった。