「今年の春は、なんだか落ち着かない」

 穏やかな口調とすかした態度がイヤミなインテリは、眼鏡を取って前髪を下ろすとひどく若くなる。

「こんな風に……、こうかな」

 剣客らしく節の高い両手の指を一旦組み合わせた後で、思いなおしたように外し、掌に丸みを持たせておいて重ねる。

「柔らかく重なって閉じているものを見るとキミのことを思い出す。花の蕾は本当にいけない。この屋敷の庭にも白い木蓮があって、障子を開けると闇夜にも浮かび上がる」

 男は庭に面した障子に視線を向けた。今はぴたりと閉ざされた向こう側で、今夜も白く大きな花は絶妙な曲線の花弁を膨らませて、夜明けに開く時を待っている。

「あれはいけない。君の事を思い出すと堪らなくて、そのまま眠れなくなる。まだ夜は長いのに一晩中、君のことばかり考えて寝返りばかりをうつことになる」

 くどき文句というには淡々とした口調だった。けれど裸の肩に夜着を引っ掛けた格好のまま、褥の中でまだびくびくとカラダを震わせるオンナを見下ろす表情は愛しさに蕩けそう。

「こんなにキモチが落ち着かない春は初めてだよ」

 オンナに最後の波が来る。ぶる、っと、白い肩を震わせ、しなやかな肢体が悩ましげにくねる。艶々の黒髪が男の膝に当たって、耽溺の余韻を待ってやっていた男は、それでたまらなくなってしまう。

「……、イヤ……ッ」

「いやじゃない」

「いや……、も、イタ……」

「ボクの心ほど痛みはしないだろう」

 ごくごく真顔でそう言った男を、女が正気の時なら笑っただろう。けれども今夜の女に相手の真剣さを嘲笑する余裕はなかった。捩った肩を男の重い体で褥に押し戻され、拒もうとした手首を掴まれて敷布に貼り付けられ、力ずくで広げられた胸の、ふっくらとした膨らみに、しゃにむに顔を押し付けられる。

「や、だ……、も……、イヤ……」

 弾力があるのに柔らかくて、吸い付くような肌理の素裸を抱きしめ肌を貪る。ため息をつきたくなるほど気持ちがいい。

「イ……、ヤ……」

「朝まで離さない」

「やめ……、せめて、ゴム……」

「避妊はしない。最初に言っただろう」

 これは不貞でも姦通でもない。順番が少し入れ替わっただけ。オトコし前回の『約束』の時からそれには拘っている。

「彼とはちゃんと避妊をしたかい?」

「……、っ、せぇ……」

「ひどい女だ。縊り殺したいよ」

 あっさりとした口調がかえって本気そうで、怖い。

「でも手が動かないのはね、キミに対して一つ、疑念があるから           だ。尋ねてもいいかい?」

「いや……、イヤ、っ、て、ぇ……ッ」

「あの日、キミはボクを呼び出して、本当は駆け落ちを頼みたかったんじゃないかい?」

 無駄足を踏ませてごめんと謝られたあの日、本当は用があったのに、言い出さなかったのではないか、と。

「疑っているわけだ、ボクは。キミはあの時、様子がおかし、かった……」

 カラダを、繋げる。

「……ッ!」

 女が息を呑む。男も浅く喘ぐ。女を掻き抱きながら鼻先を髪に押し付けてにおいを嗅ぐ。懐いている犬が飼い主にするような仕草で。格好つけのスタイリストなのにセックスの快楽は言葉でも態度でもストレートにあらわす態度の、落差はかなり、なんというか……、カワイイ。

「ぅ、あ……、ひ……、ッ」

女の方も、日ごろの強情とは裏腹に、抱かれると悲鳴を上げ泣きながら、それでも快楽にのたうつ。淫らさがひどく可愛い。愛撫に敏感で蜜を溢れさせるカラダの味は、とてつもなく甘い。

「たまら、ないね。キミの、この……」

 花びらと雌蕊の具合を男は率直な言葉で褒めた。熱を帯びた芯は感嘆が口先だけでないことを証明する。揺れて揺らしているうちにいつの間にか、女の腕は男の背中に廻されて、ぎゅっと全身で自分から抱きしめていた。

「……、だ、よ」

 そんな態度は罪作りだよと、男は伝えたいけれど、もう息が荒い。本当は愛されているのではないかと錯覚してしまう。

「キミ、は……」

 ボクをあのとき、わざと見逃したのではないのか、と。

 裏切りの苦さと、庇われたような守られたような甘酸っぱい気持ちが男の中でうねって、抜き差しならない、恋におちていった。