「近藤さんが急用みたいだぜ。ほら、服」

 畳の上に脱ぎ捨てていた部屋着を拾って、着付けを手伝ってやろうとする。若者らしく深く眠っていたのに、ぱちっとすぐに目を覚ましたのが不憫だったから。ふてぶてしく構えていても内心は緊張の日々を送っているのだ。警視庁特殊部隊のナンバーツーという立場は激務。

 目を覚ました若者は上体をむくりと起こし、腕を伸ばし、服と帯を差し出すオンナの手首を掴んで、引き寄せる。

「……、ちょ」

 帯を締めてやろうと膝立ちの不安定な姿勢だったオンナは簡単に布団の上に組敷かれてしまう。

「ふざけるな、総悟」

押さえる若者を押し退けようとして、オンナは不意にその動きを止めた。室内は枕元の常夜灯だけで薄暗く、だからかえって、逆工にならずよく見えた。自分に覆いかぶさる若者の、切なくあやうく、思いつめた表情。

「……」

 唇が重なる。足音はもう、すぐそこに迫っているのに。

 その意味を分からないオンナではなかった。

 ばらしたいのか、知らせたいのか。自分たちの仲を足音の主に。

「……」

 仰向けでくちづけを受け入れるオンナの内心を測るように、若者の指はオンナの喉を這った。微動もせずにオンナはそっと目を閉じる。試されていることを正気で受け入れる。いいぜ、という意思表示のつもり。

 飽きるまでカラダを好きにしていいと言ったのはウソじゃない。若者がそれを近藤勲に知らせようとする気持ちも分からないではなかった。オンナが本当は近藤勲を好きだったことに若者は気づいていて、それでこんな、真似をしたがるのだろう。

 諦めさせよう、としているのだと思った。だから抵抗をしなかった。とっくにもう、すっかり諦めていたから。希望さえ抱いたことは一度もない。最初から憧れに近くって、抱き合いたいとか寝たいとか、そういう具体的な欲望を抱いたことさえ、殆どないくらいだ。

 もっと若い頃はその広い背中に、縋りつきたい気持ちになったことが、何度かあるけれど、そこまで。

 縋りついた先は想像さえ自分に禁じていた。

 足音が本当に近くなって枕が揺れてもオンナは動かない。大人しくしているのを確かめた若者の指先から微妙に力が抜ける。信じたのか、それとも油断したフリで反撃を誘っているつもりか。

 馬鹿だなぁ、と、オンナは心の中で考えた。

 なんてこいつは馬鹿だろう。色事で自分と張り合って勝てるつもりなのか。天分を見込まれて幼児期から剣術道場に通いつめて、恋愛どころか世間もろくに知らず、駆け引きなんてしたことがないくせに。こんなに分かりやすく相手を測ろうとすることがどんなにおろかな真似かさえ知らずに、選りによって。

(俺みたいな)

 海千山千の性悪な年増に、何を仕掛けようとしてる?

 せっかく前の時、手離してやったのに。

 前の時の、お前の嫌悪感は正しかったんだよ。お前は頭は悪いが勘は鋭いガキだ。俺のヤバさに気づいてて、無意識にハマらないように嫌悪感でセーブしてた。腹が減ったらカラダだけ食う関係。それで正解、だったのに空腹に負けて、お前は今、とんでもない真似をしようとしてる。

(俺も、でも)

 馬鹿だ。

 意地になっている。お互いのことを考えればこんなことは、ボスに知られない方がいいに決まっている。でも逃げようとしないのは挑まれたからだ。なぁ総悟、俺の実力を知ってるか。お前みたいなガキぐらいこうやって、簡単に。

「……ッ」

 胸の中に畳める。

 お前の強さが通用しない、俺の胸の中の底なし沼に。

 ガキの頃から知ってるお前を引きずり込むつもりはなかった。そんなに悪人じゃないつもり。でもお前は自分から今、踏み込んできたんだ。否、一年前、俺の心の中の一番痛い場所を嬲ってくれた時からずっと。

 蓋は外れて、落とし穴の、暗い淵は開いてた。

 でも路を、せっかく隠してやったのに。

 こんな若さで、年齢以上にナンにもまだ、知らないマンマで、俺に落ちるのか。可哀想だな。でも自業自得。これは二度目の挑発だ。三度持つほど、俺は優しくない。

 くちづけにそっと、応えてやると、無我夢中に貪り返してきて。

 舌が絡まる濡れた音が部屋にこぼれはじめた、刹那。

「そうご、すまん、邪魔す……ッ!」

 ドアをガチャリと開けた真撰組局長は、うす暗い室内の状況を一瞥するなり、絶句して立ちすくむ。裸の若者と寝巻きの幼馴染とが褥の上で抱き合って顔を重ねていて。

「……」

 それが何を意味するか、悟らないほど、鈍い男でもない。

「トシ……、総悟……」

 名前を呼ばれる。オンナはそれでもじっと動かない。覆いかぶさっていた若者が裸の背中をゆっくりと起こして。

「……はい」

 振り向き、ボスに、微笑みながら返事をした。

「シゴト、ですかぃ?」

「……そうだ」

「すぐ行きます」

 下帯も締めていない素っ裸で起き上がる。近藤勲は驚きのあまり、全裸の若者をまだ呆然と見ている。褥の上でオンナは動かなかった。組み敷かれたままの姿勢で目を閉じている。

「ト、シは……、眠っている、のか?」

 目をそらしつつ、真撰組局長は尋ねた。

「えぇ。でも土方さんはもう委託業者ですから、起こさなくたっていいでやんしょう?」

 下帯をつけ着物を纏い帯を締めて、若者は枕元の刀掛けから佩刀を掴んで腰に差す。そして。

「驚かせちまって、申し訳ありやせん」

 乱れた髪を手櫛で直しながら、白々しくもそんなことを告げる。

「普段は屯所じゃエッチしてませんが、今日はデートの予定が潰れちまったんで、つい。処罰するなら、俺だけにしてくだせぇ。土方さんは俺に付き合ってくれただけでさぁ」

「その話はあとでしよう。とにかく、応接室に来てくれ。桂大臣がみえられている」

「……へい」