ひとり残された部屋でオンナは静かに呼吸を繰り返して、興奮が醒めてくれるのを待つ。頬と喉が熱い。左胸で心臓の音がうるさい。……興奮、した。
見られたのは、たかがキス。噛み合うほど重なった口付けだったが、そんなものを見られて狼狽するほどウブくもないつもり。けれど相手が特別だった。心の中で長いこと、もしかしたら恋だったかもしれない気持ちを押し殺してきた幼馴染。
組み敷かれたのは自分の方だった。自分が『抱かれて』いたのだと近藤勲は気が付いただろうか。沖田総悟の態度は堂々としていて、事情の説明と情交相手を庇おうとする声は男らしかった。近藤勲の方は驚いてかなり、相当、ものすごく動揺していた。それは本当に気づいていなかったのだろう。素朴で朴訥で、鈍くさえある、絶望的にノーマルな性癖の持ち主。
わくわく、する。それが卑劣な欲情だと気づいているけれど止められない。これはアレだ、何も知らない子供にえげつないポルノを見せる悪い大人の興奮に似ている。でも興奮する。昂ぶる。耐え切れなくて、指先でシーツの端を捲って、そっと引き寄せ奥歯で噛み締めた。
セックスで声を漏らすのが嫌な性質だ。恥ずかしい訳ではなく、自分の声が聞こえると白けて萎えるから。相手の声を聞くのは好きで、ヨさに耐えかねて呻かれたりすると下腹が攣るほど盛り上がれるのだが。
シーツを噛みながら手指を下肢に伸ばす。さっきまであの顔だけは可愛らしい悪魔に、擦られて握られて舐められて嬲られて、じんじんするまで可愛がられて最後には真っ赤に腫れて、外気に触れることさえつらい刺激だった。沖田の掌の中に包まれていないと痛くて、背中から抱かれながら、腰を掴んで突きまわしたい様子の沖田の掌を腿で挟んで、指をソレから外さないでくれと仕草で懇願した。
歯の隙間から息を吐く。さっきまでとは違う熱を吐き出す。
自分で撫でて、下肢からも。
空気交じりのほんの数滴。
でも快楽は底なしに不快。
始末をしてから起き上がり、夜着ではなく私服の着物をきて煙草を吸う。それから布団を一旦片付けて、部屋の片隅に積み上げられている新聞と広報を手に取る、出家見習い中だったほぼ一年、世俗と縁を切っていたから新聞や雑誌は目にしておらず、社会問題や政治事件を知らない。
一年分のダイジェスト版は既に読み通したが、原本はまだ二か月分くらい残っている。
一年の間に目立つのは旧幕府と攘夷派との連合政権の中で、幹部にのし上がれた奴らとそれが出来なかった奴らの格差がいっそう開いたこと。組織が新しくなれば幹部に必要とされる資質も変わっていく。適応できない人格は去るか、運が良くても閑職に追いやられる。それは仕方がないことだが、納得できない連中が幾つかの騒動を起こした。
きしぎし軋む時代の中で、攘夷派では出世頭の桂が、時には体を張ってもと同志たちの暴発をとどめる場面も二度三度あったらしい。新聞に時々載る写真の桂は相変わらず年齢不詳の迫力ある美形だが、なんだか疲れているようにも見える。
「失礼します。土方さん、起きておられますか」
眺めていると、ドアの外で、声。そうくるだろうと思って服装を整えていた。
「近藤局長が、起きているなら会議に同席して欲しいと仰っておられます」
「すぐ行く」
そう来るだろうと思って着替えていた。部屋を出ると夜中だというのに制服をきっちり着た山崎が小腰を屈めて頭を下げる。
「こんな時間に、申し訳ありません」
ひそめた声の音調で、こいつが何か、俺の耳に囁こうとしているのが分かる。
「桂が来てるって?」
「ええ、総務大臣が。
幹部用居室は屯所の中庭を挟んだ棟にある。そこへは賊が侵入しても容易にたどり着けないよう、通路をわざと、ぐちゃぐちゃにしている。監査詰め所や応接室のある中枢部まで、距離はないのだが途中、池を回りこまなければならない。
蛙の鳴く声に紛れて山崎は。
「桂の用件は高杉関係です。土方さんが篭もっていた寺のあたりで、騒ぎが起こった様子です。極秘にされていますが」
「ウラン鉱があるからな」
「……は?」
「あの寺、いい場所にあるだろう?江戸から二時間でいける郊外のだだっ広い丘だ。もとは幕府御料地で、いくら過激派攘夷志士を慰撫するためとはいえ、それを個人に殆ど無償で貸与なんざ、おかしいだろ?」
「つんぽ氏がパトロンなんでしょう?」
「音楽プロデューサーとやらがどんだけ儲かるか知らねぇが、あの広さは政治権力が絡まなきゃ維持できねぇよ」
袂から煙草を取り出して火を点けると、山崎は懐から携帯灰皿を取り出す。吸うタイミングに合わせて差し出されるそれにトン、と煙草を当て灰を落とした。
「宗教法人の認可をおろしてあぶれ者を受け入れて、奥にある何かを隠してた。宗教団体ってのは社会から隔離すんのに一番便利な隠れ蓑だ。そういう教義だって言っときゃ部外者を徹底的にシャットアウトできるし、それを怪しまれもしねぇ」
「ご覧になったんですか?まさか土方さん、それを探るために寺に?」
日本にもウラン鉱は存在する。岡山県・鳥取県、岐阜県などで鉱床は発見されたが、埋蔵量が少なく採算ラインに乗らないと資源量過少により開発されなかった。現在、日本の発電所で利用されるウランの全量は外国からの輸入品。
「まさか。俺ぁなか入るまで、ヤツが座主だってことも知らなかったんだぜ?」
座主というのは狭義ではある特定の宗教団体トップのことを呼称だが本来は仏教用語。寺の衆僧を束ねられる力量を持った僧や住持の事を指す。もちろん高杉の寺では後者の意味で使っていた。
「採算とれるほどでかい鉱脈なんですか?政府はそれを世間から隠したくて、だから高杉に寺を建てさせたってことですか?」
「知るか。俺ぁ結局、奥には踏み込んでねぇ。ただそう、別に奥でウラン採掘の強制労働があってる気配もなかったから、まだ未開発なんじゃねぇか」
「それで、どうしてウラン鉱だと分かったんですか」
「ラジウム温泉が出る」
「それだけ?」
「不服かよ」
「……いいえ」
「なに笑ってやがる」
「すいません。嬉しいんですよ。土方さんにはやっぱり、出家なんかムリだって分かって。そんなに鋭くて敏感なくせに、どうやって閉じるつもりだったんですか?」
穏やかに笑いながら失礼なことを言う男の頭を無言で殴った。痛い、と悲鳴を上げた山崎は、その直後に。
「桂は音楽プロデューサーのつんぽ氏と一緒です」
それはまぁ、不思議ではない。高杉が座主を務める寺院のオーナーだ。
「実は昨日も思ったんですが、あの男に、どうも見覚えがありまして」
「サインは貰ってやんねーぞ」
「あのツラ見ると、傷が疼くんです」
「……誰かに話したか」
「いいえ」
「ふん……」