そのまま一緒に応接室へ歩き、山崎がドアを開けた。真撰組当時からの幹部、現在は監察方主席としてナンバースリーの座にあるこの男が嬉しそうに開けたドアの向こうには、よく知っている桂と、農場で何度か見たことがある音楽プロデューサー。
軽く目礼して部屋に入った。
「起こして悪かったな、トシ」
近藤勲が声を掛ける。三人がけの応接用ソファで沖田が身をずらして近藤の隣の席をあける。目尻の艶な二枚目は桂ともう一人、サングラスの男に見詰められ無言で、目だけで笑って挨拶を済ませる。桂『大臣』とは今更紹介は必要ない、古い馴染みだ。逆縁だったけれど。
「夜分に申し訳ない。どうしても、貴殿らの助力を頼みたいことが出来た」
別の逆縁もある。こっちは口にすることは出来ないけれど。昔のオトコの自分より前のオンナだったんじゃないかと、内心で思っている。銀時は否定したが高杉は面白半分にほのめかした。肉体関係はなかったかもしれない。が。
同じオトコと『ご縁』があった(かもしれない)。
というのは(性悪な)ネコの世界では、嫌悪ではなく親近感を覚えること。
「何を。こんな時間に、まさか攘夷志士らの就職じゃあるまい。何があった?」
自分は既に真撰組を退職して、今は一介の嘱託個人業者。分かっているが馴れとは恐ろしいもので、局長の隣に腰をおろし来客に向き合うと、話の進行を仕切ってしまう。
「それも頼みたいが本日の用件ではない」
攘夷が成って攘夷志士たちは、ある意味仕事を失った。大量の失業者は社会不安を招く、なんとか連中に生活の途を、というのが桂の以前からの主張。志士崩れの暴れ者たちの数と適性に対応できる組織は警察と軍隊しかない。が、警察の人事権は松平片栗虎ががっちり握ってもと幕臣を主に採用している。テロの取締りをする組織にもとテロリストは馴染まない、というのがその主張だが、本心は部下である幕臣がかわいいだけかもしれない。
「真撰組副長、土方十四郎殿」
「もと、だ。オーナー」
「貴殿を見込んで、頼み入る」
「座主のことか?こっちも世話になった恩があるから話は聞くが、その前に、上着脱いで手袋外して両手あげろ」
「ボディーチェックならしましたぜ?」
武器は持っていないと沖田が口を挟んだ。
「そういう意味じゃねぇよ」
「……」
音楽プロデューサー・つんぽのトレードマークはサングラスに裾長のコート。真夏でもそのスタイルを崩さないのは芸能人としていっそ見事だった。けれど。
「……へぇ……」
観念したように、否、そんなことで揉めている場合ではないとでも言いたげにばさばさ、コートを脱いでつんぽはその通りにした。カラダを見ればその男のことは大体わかる。盛り上がった二の腕、頑丈な胸板、歪んだ指の形は刀の柄を握りやすい曲線で、それはこの場の全員と同じだった。
「つんぽってのはふざけた芸名だぜ。猥褻物と一字違いじゃねぇかよ。本名は?」
「貴殿は見通しておられるのであろう」
その場の主役は完全に登場したばかりの美形だった。正体をさては見破られていたのかと観念するつんぽは、それが山崎に仕組まれたデキレースであることは見抜けなかった。いかにも俺は分かっているんだぜ、という面つきで目尻の艶な美形はほんの少し笑う。が。
「自分で名乗れ」
追い込む鞭は緩めない。
「河上万斉、と申す」
名乗るほどの者でもないが、という白々しい枕詞は抜いた。旧幕府の特殊警察にとってそれがどれほど禍々しい名前か自分でも分かっていた。しゅ、っとかすかな音が短く聞こえて止まる。沖田総悟の太刀が鞘ばしった音。それは途中で、色男が止めた。
「桂お大臣が否定しないところを見ると、嘘じゃなさそうだな」
「実はこうしている間も、拙者は膝が揺れそうに焦っている。話は途中の車の中でよろしいか」
「いいとも、聞いてやるぜ。近藤さん、総悟借りていいか」
「あ、あぁ」
突然話題をふられて局長が驚く。まだ先ほどの衝撃がさめていないらしい。だがさすがに豪胆らしく、力強く頷く。
「頼めるか、ありがたい。松平のとっつぁん直々、協力して欲しいって話でな。かといって元過激派の高杉の為に俺が表立って動くのは色んな連中を刺激するから、思い余っていたんだ」
「一宿一飯の恩どころじゃねぇからな。行くぜ、総悟」
「……いやなこったィ。ジョーダンじゃありませんぜ」
和解が真撰組きって剣の使い手の、声はかすかに震えていた。恐怖からではない、怒りだ。
「我侭言うな、総悟」
「冗談じゃねぇよオイ。桂はともかく高杉と河上に、何人仲間を殺されたかあんた忘れたのかぃ?なにフツーに喋ってんだアンタはッ」
瞳孔を開き気味に、怒鳴り散らす沖田の感性は正常だ。高杉率いる鬼兵隊には特殊警察の仲間が直接間接で何人も殺された。そいつは不倶戴天の敵だぜと指差す、真っ直ぐな気性は愛い。
けれど。
「復讐は諦めろ。時代は変わったんだ」
「俺ぁできませんぜ。願い下げでさぁ。河上に頼まれて高杉を助けてやるなんざ」
「総悟」
「イヤだ、ゼッタイ」
「……」
立ち上がっていた二枚目が、席を立とうとしない若者に手を伸ばし、指先で後ろ髪に触れる。ふれられてびく、っと若者は竦んだ。柔らかな前髪ごしに、アーモンド型の瞳がそっと目の前の人を見上げる。……逆らってしまった。
「ぁ……」
二枚目の顔は笑っている。でも目がそうではないことに若者は気が付いた。だって、とか、でも、とか、とりあえず言い訳をして謝ろうとした。でもそれよりも早く。
「と、トシっ」
ゴツン。かなり大きな、いい音がした。
「……」
「……」
先に立って今にも屯所から寺へ飛びたそうな河上と、内心ではそれと同じ気持ちらしい桂が驚いて足を止めるくらい。
後頭部の髪をわし掴んで応接用テーブルにガツンと、深く頭を下げさせるような形で若者の額をぶつけた暴力的な美形は一度ならず二度三度、同じ音をたてる。
「トシ、やめろ。総悟が馬鹿になるッ」
近藤が止める、言葉はふざけているようだが口調は真面目だった。応じて二枚目は掴んだ頭をガンガンとぶつけることは止めたが、今度は額をぐりぐり、磨きこまれたテーブルの表面ですりおろすように前後させる。
「なんでも俺の言うこときくって言わなかったかよ、おめぇは」
若者を殴った事は近藤にもあった。だがたしなめる為というには執拗で屈辱を与える暴力、しかも自分はともかく桂と河上の前で、若者がそうされるのが見ていられなくて、近藤は二枚目の暴力を止めようとその肩を掴む。されている沖田が首を振ろうとするかすかな抵抗も見せず、なされるままなのが哀れだった。
「俺になんでも寄越すとも言ったな。早々と忘れたか?あン?」
「……おぼえて、ます」
ゴリゴリ、強化ガラスのテーブル表面に額を押し付けられながら若者は、反抗の気配も見せず答える。
「だったら寄越せ。てめぇが持ってる価値のあるモンってったら、近藤さんに仕込んでもらった剣の腕だけだろうが。ツラとカラダがいいのは性格の絶望的な悪さでつりが来るし、エッチは乱暴で粗雑で自分勝手で、ヘタクソじゃねぇのが逆に気に障る床捌きだしなぁ?」
台詞は最初から最後まで単調に告げられた。後半の内容のとんでもなさを近藤がとっさには理解できなかったくらい。
「まぁ、おめぇがクチだけのオトコなのは、今に始まったことでもないが」
不意に二枚目は指の力を抜く。若者の柔らかな髪の毛を、手離す瞬間、少しだけ指先だけで撫でた。
ずきん、と、若者の胸と股間を揺さぶる優しさで。
「好きなようにしろ。てめぇが来ねぇンなら、俺が帰ってこないだけだ」
さっさと勝手に立ち上がり、びっくりして目を丸くしている近藤勲に行って来ると挨拶代わりに笑いかけ、応接室の入り口付近で待っていた二人を促しながら。
「……行きやす」
後を追おうと立ち上がった若者がよろめき、口元を押さえる。容赦なく額をガンガンとやられて軽い脳震盪を起こしたらしい。目だけを必死に二枚目の背中に向ける。振り向かない。
「待って、土方さん、まってくだせぇよ、ねぇッ」
ふらつく足を踏み出す。テーブルに躓いてよろめく。かわいそうなくらい一生懸命、消えた背中を真っ直ぐに追っていこうとして。
「ちょっと、ま……、おいていかねぇで……ッ」
あの、強気でいつもふざけていた沖田の、見栄も体裁もないそんな態度に近藤勲は呆然。他人が居るのに構わずに、自分が居るのに目もくれずに二枚目の背中を追う。
「土方さん……ッ」
縋りつくように叫ぶ。背中は振り向かない。が、左手が動いた。掌を上にして背後にまわされる。おいでと招くように。
沖田総悟は手を伸ばす。掌に縋りつく。そのまま腕を絡める。肩に額を押し付ける。まだ痛むだろうに。体をぴったり寄り添わせて、その目には追いかけた一人しか見えていない。
「……」
捨てないで、置いていかないで、連れて行ってと全身で訴えている。二枚目の左手の指先が動いて、絡めた若者の指を握ってやるのが見えた。何所までもそのまま二人で寄り添いながら、行ってしまいそうだった。
自分がここに居るのに。
置き去りにされた近藤勲は呆然。
しばらく動けなかった。