街道ぞいの名主の屋敷の、裏門を深夜、叩く。

「誰だぁ、ナンの用だぁ。みんな寝てるぞぉ、明日にしろぉ」

 くぐり戸の向こうから眠そうな声。多摩地方、小野道宿一帯の治安に責任を持つ宿場名主の屋敷には常時、腕に覚えのある若者たちが控えている。

「石田の十四郎だ。兄さんか小父さん起きてねぇか」

「……あ?」

 思わぬ名乗りに、くぐり戸の向こうから怪訝な声。

「石田の、って、近藤道場のか……?」

 田舎道場とはいえ近在では四代続く流派。道場主と師範代らが江戸で出世をして以来、土地の若者の多くがその門を叩く。勲は江戸に居るが師範免状を持つ高弟らによって、流派の道場は維持され興隆を続けている。

「おぅ。門下か?師範代の土方だ。近藤勲の使者として来た。アケロ」

「はいっ」

 眠気も吹っ飛んだらしい番人が一応、くぐり戸の窓を開け人相風体を確認する。それからくぐりをからりと開けた。す、っと音もなく、長身が影のように潜り込む。

「い、いま、取次ぎを」

 噂のもと真撰組副長を目前にして若者が狼狽する。裏門の門扉に灯った常夜灯の、薄い光だけでも分かる、いい男。

「いい。自分で行く」

「あの、でも、しかしッ」

「親戚だ。ガキの頃からここンちの生垣は荒らしてた。いまさらお前が、怒られやしねぇよ」

 最後だけ、ちょっとだけ優しく言われて、ほんの少し笑われて。

「……はい」

 若者は素直に、夜中の来訪者を解放。

 

 

 既に、寝間に、若当主は入っていたが。

「にぃさん、起きてくれ。石田のトシだ」

 遠慮のない声で呼びながら寝室の雨戸を濡れ縁から叩く。姓は名乗らない。地元に土方姓は数多く、小字や屋号が姓の代わりになる。

 雨戸を三度、叩いたところで中から物音。がらり、と、雨戸と障子が一度に開いた、雪洞のみで暗い、座敷に立っていたのは。

「……幽霊か?」

 どこかこの二枚目と面差しの似通った、三十過ぎの、けっこういいオトコ。背が高く痩せぎすだが、肩も腕も硬そうで弱い感じはしない。

「それとも出家が嫌になって、夜道を駆け戻ってきたか」

「説明すると長くなるんだけどよ、武器貸してくれ。ちょっと急いでる」

「あぁ?武器だと?何年ぶりに尋ねてきてソレ他人にモノを頼む態度か」

「いや他人ならこんなこと頼みゃしねぇけど」

 実際、二枚目とこの当主とは血縁がある。祖父母が兄弟だし、本人の妻は二枚目の従姉弟。その従姉が室内から、夜着のまま、心配そうに、でも嬉しそうに二枚目を見ていて。

「トシくん」

 幼い頃の名前で呼ばれてしまう。

「はい。元気にやってます」

 将を射んとすればで、二枚目は従姉に笑いかける。

 早くに両親を亡くしたせいで、そして子供の頃は女の子みたいに可愛かった効果もあって、親戚中から子猫のように愛されて可愛がられて過ごした。幼児期は夏祭りの浴衣を身内の女たちが何枚もくれて、全部を着てお披露目するために、祭りの日は朝から何度も着替えさせられた。この従姉も浴衣を縫ってくれた一人だ。そしてその夫は、妻が縫った浴衣を着て挨拶に来る子供に、祭りのたびに、過分な小遣いをくれた。

 その数多い浴衣の多くは後年、同じ境遇の兄弟子の着衣にもなった。近藤道場の後援者であった関係から年下の兄弟子もここの投手には可愛がられ、屋敷の稽古場に出張教授にも来たし、江戸に出て行く時は餞別と刀を貰った。

「だいたい、何故、今をときめく幕臣の武官さまが、こんな田舎に武器を求めてくる」

「真撰組はもう武装解除されて、軍隊ってーかケーサツなんだ。兄さん、バズーカ貸してくれバズーカ」

「ナニをぬかす。武装解除はこちらも同様だ。そんなものがこの宿場宿に……、……、に……」

 苦い顔の若名主が言葉を途切らせたのは、目の前の二枚目が懐に飛び込んで肩にぎゅ、っと懐いてきたせい。

「頼むって、小島の兄さん。詳しいこたぁ後で説明に来っけどよ、近藤さんの指示だ。悪いことにゃあ使わねぇよ」

「……その台詞を言うのは何度目だ」

「覚えてねぇ。困り果てるとココか日野の義兄さんちに飛び込むのは、オレと近藤さんの奥の手だ。昔も今も。恩に着てるぜ」

「そのわりに、戦争中はちらりとも姿を見せなかったな」

「本陣から抜けられなかったから。でもずっと気にしてた」

「口はタダだな」

 若名主はそう言いながらも座敷に戻り、床の間の掛け物の軸に手を伸ばした。

「だいたいわたしは中央の遣り方は気に入らない。首都防衛の為の戦線を川沿いに引きながら、兵隊も武器も中へ集めて前線へは出し渋る。それでいて地方から、出来のいいのを根こそぎ持っていく。お前や勲や、沖田君のような」

 不満を口にしつつ、若名主の手には軸から取り出した鍵があった。ほっとした表情の妻に見送られ、濡れ縁から草履を履いて庭を横切り、倉のある屋敷の丑寅の方向へ。

「出家をやめたのなら、お前もいいかげん、ここへ帰って来い。養子の口くらいわたしが探してやる」

「そんな怒んないでくれよ。骨になったら全員、どうせ戻って来んだから」

「お前のその殊勝な台詞も、もう聞き飽きた」

 そう言う名主の横顔はビシッと厳しいが、隠し倉の扉を開けて、中から望みのモノを取り出してやる行動が優しく甘やかしていて、お小言の効果はないに等しい。

「さすが……」

 渡された、ずしりと重い包みの布を剥いだ二枚目は嬉しそうに笑う。ROY4型バズーカ。幕府と攘夷派が連合して天人と戦った、つい先日の戦争で用いられた最新式。攘夷派と昵懇の貿易商が裏ルートで持ち込んだもので、旧幕府軍にさえ、どの部隊にもあるという武器ではなかった。

「兄さん」

「なんだ」

「すっげぇ、スキだ」

「これで嫌いと言われた日には立つ瀬がないわい」

 殆ど自棄の勢いで、若名主は二枚目に砲弾を、棚のスポーツバッグに詰めて渡す。

「終わったら説明と礼に来るから。ゼッタイ来っから」

「……気をつけてな」

 夜分の来客を、若名主は裏門まで見送った。くぐり戸の向こうにはライトを消した車が二台。後方の車の運転席からさっと身軽く、運転手が出て来てトランクを開ける。二枚目が武器をそこに納める。後部座席にもう一人が居て、若名主に会釈した。

 運転手がドアを開け後部座席に座る。子供のように手を振られ、振り返して、見えなくなるまで見送った後で。

「……、夜分にすまない。彦さんは起きているか?小野路の鹿だ。急いで、耳に入れておきたいことがある」

 袂の携帯から、隣接名主の屋敷へと、電話。

「もしもし。夜にすまない。御宅の弟が今、うちに来た。幽霊じゃなかったようだ、イヤミな長い足がついてた。うちの武器庫を襲って行った。」

 同じく取り出した煙草に日を点け、深く吸い込みながら。

「得度祝いは出来そうにないな。沖田君も一緒だった。そっちじゃなくこっちに来たという事は、行く先は……、そうだな……」

 真撰組の母胎ともいえる揺籃の地を、がっしり守っている地元名家の当主たち。

「あぁ、では明日。……あぁ元気そうだった。……なんだと?アレに甘いのは彦さんが世界一だろう。……、それはそうだが……、いや、絶対、彦さんも……」

 最後は少し、甘い兄貴分同士、甘やかした責任の擦り付け合いに、なった。