その夜。

 布団に横たわれば三秒で眠れる健康体の真撰組局長は珍しく寝付けなかった。

 副長代行と前副長を桂大臣につけて外へ出した。それが気になっているのは確かだ。でも基本的には心配より信頼が勝っていて、眠れないほど気になっているわけではない。総悟の腕は神がかり的だし、足りない思慮はトシが補うだろう。

 だから、布団の中で二転三転、眠れないのはそのせいではなかった。胸になにかが詰まっていて息が重い。それが何かは、実は分かっている。

 思いがけないものを見た。

 幼馴染を通り越して、殆ど身内みたいに思っている二人の、濡れ場を。

 ラブシーンというような生易しいものではない。本当の本番、まさしく濡れていた真っ最中。そういう関係は武門の古風で、歌舞伎座にかかる芝居でもよく出てくるし、身近にも居ない訳ではなかった。真撰組自体、衆道関係の騒動がなかったわけではないし、二枚目の副長の風呂を数人で覗いて山崎に取り押さえられ、庭の木に逆さに吊るされた若いのも居た。

男色自体は咎めるほどの悪癖ではない。けれど役者が身近すぎた。流儀上は親子、実際に半分育てたような総悟が見たことのない大人びた顔で、抱いていた幼馴染を自分の目から隠すように庇った。

色白の幼馴染は顔をそむけて背中を向けた。その背中も二の腕も、血を薄めた色に染まっていたのが目蓋に焼き付いて消えない。あれは、かなり目の毒だった。他人ならともかくよく知っているダチのあんなのは。

(そういえば、トシは昔から)

もてる奴だった。男にも女にも。容姿があれだし、強面のわりに丁寧なところがあって、ガラが悪いくせにちゃんとした場所では行儀よく振舞えた。そのへんは宿場名主の屋敷育ち、大名家のお殿様や家老と接触のある家らしく厳しくしつけられていた。江戸からは少し離れた宿場の育ちだけれど、街道ぞいだから八王子あたりよりかえって都会的で、垢抜けた雰囲気で。

気性もさらっとしているかと思えば意外に情熱家。

(昔から)

 男の気配はあった。女は気配どころではなかったけれど、存在感というか実害というかは男の方がリアルだった。こいつなんだか俺にアタリがキツイな、と思う相手は大抵、目尻が艶な昔馴染を狙っていた。それは自分が誰より最優先されているからで、実は内心、悪い気はしなかった。

 伊庭の小天狗に江戸城内で会うたびに睨まれても、万事屋に妙に絡まれても。むしろ相手に同情さえしたのだ。お前たちがどんなに一生懸命でもトシにはどうせ遊び相手なんだぞ、と。

(今回は)

 違う、多分、きっと。総悟はどう考えても遊び相手には向かない。だって近すぎる。それでも手を出したのは何故だ。総悟を好きになったのか。総悟は明らかにトシのことを好きで、それを自分に隠そうともしなかった。罰するなら自分だけにしてくれと庇った。

(あいつが)

 自分以外の人間を庇うなんて珍しいことだった。俺よりトシを好きになったんだろうか。きっと、そうだ。父親よりも抱いてるオンナの方が可愛いのは、男なら仕方がない本能、当たり前のこと。

 でも、寂しい。

 昔も一度、こんな気持ちになった。あれは何時のことだっただろう。まだ武州に居た。そして総悟が、まだ子供だった。

 夜祭りに一緒に行こうと誘ったら、アネキのお供をすることになっていと断られて、それで確かトシをシスコンとか言ってからかった。ら、けっこうキツメの反撃が返ってきて、軽く言い争いになってしまった。

 身内の女のことで男をからかっちゃいけなかった。でもその頃の俺はまだ若くて、トシが決闘するかという勢いで反撃してきたのが意外で、そんなに怒らなくてもいいじゃないかという甘えと腹立ちで、売り言葉に買い言葉で、ちょっと剣呑になりかけた、時。

『まー勘弁してやれよヒジカタ。近藤さんには優しくて器量よしのねーちゃんがいねーんだよ』

 庭で竹刀を振っていた総悟が、縁に寄って来てそんなことを言った。総悟がトシを庇ったというか、とりなそうとしたのが珍しくて、俺とトシは黙った。そして。

『なるほどな、そーか。別嬪で気立てがいいねーちゃん居ないのか、アンタ』

 確かに、居ない。俺は男ばかり三人兄弟の末っ子で、ついでに言うと母も早世したので、女ッ気のない父子家庭で育った。実家は豪農と呼ばれるくらいの家で不自由はなかったし、父親も兄も俺にはけっこう優しかったが、それでも女とは馴染みがなかった。

『いねーから近藤さんは知んねーんだよ。村祭りにあんたのねーちゃんみたいな別嬪、一人で行かせるわけにゃいかねぇって』

 実際、トシの姉上は日野では知られた小町娘。総悟の姉も近在では随一の評判が高い。その弟たちが揃ってきれいな顔をしているのも、当然。タイプは違うが整った横顔を俺の見せながら。

『ま、美人のアネキに色目つかってくる村の若衆にガンとばしながら祭りの参道歩く気苦労しなくていいのは、羨ましいかもな』

 ふん、というカンジで捨て台詞を残してトシはその場から出て行った。総悟も庭で素振りの続きをした。喧嘩になりかけたのを助けてくれた総悟に感謝するより意外さが勝った。あきらかに総悟は俺でなくトシを庇ったから。

その時の総悟が殆ど新品の浴衣を着ていたこと。それは夏祭り用にとトシの昔の浴衣をトシの姉が何枚も総悟の姉にくれたんだということ。それを総悟の姉が仕立て直したものだった、とか。

そういうことに俺は何年も気づかなかった。トシと総悟と直接のやり取りならてめぇのおさがりなんざ要らねぇよと拒否しただろうが、女が中に介在すると全てが丸く収まるってことに、俺は気づいていなかった。

 この寂しさはあの時の、縁側に一人で残された場面の気持ちに似ている。疎外感。恨めしいとか憎いとかそういう動的な感情でなくて、寂しい。

(どうしよう)

 寝床の中で寝返りをうちながら考える。この事態を、俺はどうすればいいだろう。屯所内でのセックスは禁止していない。というより、女人禁制の屯所でそんなことは有り得ないのが前提だから罰則はない。もちろん、隊士同士のそういう関係があって、布団部屋や物置でそういうことが行われている気配はないでもないが、しかし、この屯所は職場というだけでなく住み込みの連中にとっては生活の場所でもある。

仕事中はもちろんそんな真似は許されないが、そもそも仕事中は組単位の団体行動だから不埒な真似をする余裕はない。休日や非番であれば独身男同士のセックスを裁く根拠は法にも法度にもない。

 だから、後は。

(俺の判断か……)

 親権よりもっと強力で重大な、『家長』としての判断をしなければならない。。

 沖田総悟は二十歳を越えた。立派な大人だ。好きな相手を配偶者に選べる。庶民なら、選べる。武門の場合はそういう訳には行かない。特に跡取りの婚姻には家名家格の問題があって、本人の意思通りにはいかないことも多い。沖田総悟は流儀の跡取りだから、その婚姻の許可を出すべきは自分だ。

(もちろん、総悟の好きな女でいいさ)

 自分がキャバクラあがりの商売女を妻にするつもりである以上、

総悟の結婚相手を権門から選んで門閥を利用しよう、などという考えはない。総悟が好きになった女を妻にすればいい。親代わりの身としては希望としては、総悟に優しくしてくれる女がいいと思ってはいるけれど。

(トシとのことを、許してやるべきか?)

 もちろん結婚はしないだろうし、出来ない。でも遊びでもなさそうで、二人が『付き合って』いるのだとすると。

(やばい……)

 総悟は本気だ。見ただけで分かった。昨日今日の関係ではなさそうだった。先日の自殺未遂も、多分、トシがらみだろう。命と引き換えのヤバイ橋を渡って腕の中に取り戻したのか。見栄も体裁もなく、手離すまいとあんなに一生懸命、すがり付いているのか。

(なんてことだ……)

 祝福してやりたい。友人としては。でも総悟の将来に責任がある家長としては到底、受け入れられない事態。男同士に偏見があるわけではなく、普通の夫婦と同様に同居して仲良く暮らしている連中を知らないでもない。それはそれで幸せかも知れないが、総悟はダメだ。あれは大事な、『跡取り』。

 どうして自分にわざわざ、知らせるような真似をしたんだろう総悟は。公認しろというつもりなのか。遊びなら黙っていてやれたのに。それはつまり、トシをセックスだけの情人にしておく気はないという宣言か。

(どうするべきだ、俺は)

 いや、その前に。

 トシはどうする、どういうつもりなんだろう。

 遊びではないと思う。そんなに悪人ではない筈だ。総悟を真剣に愛してくれているのだろうか。一年前の唐突な退職と出家は総悟とのことに関係があるのだろうか。総悟との関係を絶とうとしてあんなことをしたのか?

 そうすると、一年前、自分も総悟と一緒に一度は捨てられた、ということに、なる。

 頭が痛い。胸が悩ましい。家長としての結論は決まっている。許してやるわけにはいかない。だが、許さないと言って総悟が素直にトシと別れるだろうか。有り得ない。捨てられるのは、きっと自分の方。

 だから思考はぐるぐる廻る。どうしよう。どうしようもない。でもどうにかしなければ。でもどうやってしよう。

 堂々巡りの合間に時々、薄めた透明感のある朱色の肌の背中が浮かんで、そのたびにどきりとした。