そうやっておられると。
「親子み たいですね」
バックミラーで見た光景の正直な感想。暫く何のリアクションもなかった。車が郊外から市街地に入り、赤信号で停車したところで。
「うわっ」
後部座席から思い切り蹴られ、真選組の監察の責任者は悲鳴を上げる。シートごしなのに、かなりの衝撃だった。時刻は日暮れ時。ビルは夕日を受けて茜色に染まっていた。
「いたた、怒らないで下さいよ。見たとおり正直に言っただけなのに」
バックミラーの中から山崎を一瞥した二枚目は長い足でもう一時、運転席のシートを蹴とばした。今度は構えていたせいで踏ん張り、青信号になったからそのまま進んでいく。伸ばした膝を戻した美形は掌で支えていた頭をもう一度、膝の上に戻す。
柔らかな茶髪がさらりと流れる、カタチのひどくいい頭を。寝息も聞こえないほど深く眠っている。疲れ果てている。
「土方さんもお休みになりませんか。屯所に到着したらお起こしします」
「いい」
「俺、居眠りしませんよ?あと二時間くらいかかります」
「……」
二枚目は何か言おうとしてやめた。そうしてふかふかシートの上で腰をずらして体を楽にする。座面の広い高級車は体重移動を察知して自動でリクライニングしていく。
「はい?」
長年ぴたりと添うように部下を務めてきた男は気配だけで察して先を促す。
「……いや」
なんでもない。独り言だ。気にするな。そんな意志を短い言葉だけで伝えることが出来るほど近かった仲。
帰りたくない、とか。
言ったらこの運転手はどうするだろう。
ドアにロックかけて強制連行だろうか。まさか、想像も出来ない。以前は一番、信頼していた部下。現在の立場は違うが、逆らわれるなんてことは多分、起こらない。帰らなければどうなる?今一緒に居る二人、沖田総悟と山崎退、もろともに脱走。
仕事がキツくて危険だから脱走騒ぎは何度か起きた。逃亡者の身柄はとりあえず確保が原則だ。とっ捕まえて脱走の動機をはかせる時は尋問紛いになる。捜索にかかった費用は本人に請求するが、脱走が長引けば何百万という桁。
見習い隊士や下っ端ならそれだけの負債を負わせた上でどつき廻し、脱退届けを出させて不浄門から突き出す。が、指揮官クラスだとそう簡単にはいかない。今までの例で最高位は隊長補佐という立場の伍長。そいつは半年近く留置して、故郷や交友関係を徹底的に洗った。以来、『脱走』は絶無に近くなった。尋常に退職した方がずっと早いからだ。
もっともそれは真選組が軍隊だった頃の話。平和がやってきて防諜をそれほど気遣う必要がなくなって、局を脱するをユルサズの規律も緩められた。退職後の行動の報告義務も簡素になり、以後三年間、半年に一度の居住地報告だけ。
だから、監察責任者と副長代行が一度に居なくなっても刑事事件にはならないだろう。だが相当の不始末で、責任者は管理責任を問われる。そんな迷惑はかけられない。その気になれば今この場から居なくなれる。駆け落ちというか失踪というか、とにかくしがらみからは逃れられる。でも、迷惑はかけられない。
「度胸ないね、アンタ、いつも」
膝の上から声がする。起きたのか、狸寝入りだったか。驚いたのを悟られるのが癪だから、眠れ、というつもりで目元を掌で覆ってやった。
「近藤さんが絡むといきなり、ない」
痛いところをつかれて胸が痛む。もう言うなと口もとを覆うと指先を舐められた。沖田総悟はそれきり口をきかない。また眠ったのか、眠ったふりをしているのか。
沖田が言うことは正しい。突っ込む度胸のみならず、ヤバくなったらフケるのも覚悟のうち。なくす度胸はない方ではなく、人生ごと俗世から一旦はおさらばしたほど、有り余っているけど。
近藤勲に迷惑をかけられない。
子供や親や世間体を理由に嫌いな夫と別れない煮え切らないオンナみたいな、軟弱さで物思う。そうだ、いつも、自分はこんな風だ。女々しい。それがどうしょうもなく嫌になって寺に入ろうとしたのに。
「土方さん」
疲れているし眠いけど、眠れば屯所に着くのが早くなってしまう。それが怖くて目を閉じれない。
「よくない顔をしておられますよ」
運転席から静かな声がする。男の声は静かなほど怖い。どんな顔かは自分で分かっていた。前にもこんな気持ちになって、何時間かでなにもかも嫌になった。
「居眠りしましょうか?」
事故ってくれるつもりなのか。いらねぇよ。それも近藤さんには迷惑だろうし、何の解決にもならない。帰ったらちゃんと挨拶して、それから、話を。
「ザキィ、日本橋あたりのホテルで止まれ」
突然、はっきりした声が膝の上から聞こえて思考が中断される。
「は。了解です」
「総悟?」
「アンタさぁ、いつまでサブのつもりでいんの」
若い男の掌は、台詞のそっけなさとは裏腹に、支えるように二枚目の腕を撫でた。
「もー一介の委託業者だぜ。報告は俺がするから外に泊まってな。ってーか、もー通勤でいいから。俺が隊務に復帰したんだから。いーだろ、ヤマザキ?」
副長代行が監察責任者にそう尋ねるのは、委託業務の職掌が監察だからだ。
「構いませんよ。ついでに明日は休日で。お昼過ぎにお迎えに上がります。不動産屋に事務所をあたらせときます」
ビジネス物件である必要はなく、普通の賃貸マンションでも机とパソコンとファックスがあれば事務所と名乗れる。
「組の経費使うな。俺が借りる」
沖田が厳しい声で言い、
「了解です」
山崎が頷く。話はついて、沖田は二枚目の膝の上でまた静かになった。もっともその前に茶色のさらさらの髪を引き締まった腿に擦り付けて懐いた。暖かさが伝わる。体温の熱の他にも、庇ってくれようとする優しさが。
「土方さん、どうぞ。お休みください」
運転席からまた声がかかる。なにも心配するなという気配つきで。あぁ、と答えて目を閉じた。シートの上に置いた左手を沖田総悟にそっと握られながら。
二人の気持ちは嬉しくて、特に沖田の男らしさにはときめかないでもない。でも多分、どうにもなりはしない。これはそういう問題ではないから。
車は箱崎インター近くのすかしたシティホテル玄関に横付けされ、山崎ではなく沖田が車から降りた。数分後、ホテルの紋章を印刷したカードキーとともに帰ってきて。
「はい。俺も、来れたら明日くるから」
言われる。素直に受け取り頷いて車から降りる途中で、ぎゅっと坊やを抱きしめた。
「……?」
不思議そうな顔をしながら王子様は二枚目を抱き返す。こういう場所でこんな風に振舞うのは珍しい。チェックインにしては遅い時間で、平日だったから他に車はなくて、人目といえば見ないフリに慣れたホテルの従業員と山崎だけだった。
「お前は」
「バカなのは知ってるよ」
「天才だ」
「そうかもね」
剣の才能に関しては幼児の頃から太鼓判を押され続け、二十歳をこえた現在もそれは続いている。らしくない謙遜をしない度胸を好きだと、二枚目は思った。
「お前は多分、剣史に名前が残る」
「かもね。だから、なに?」
「……それだけだ」
抱きしめていた腕を二枚目が離す。王子様は訳が分からない、という表情で、それでも入れ替わりに車の中へ戻った。二人を見送ってから二枚目は踵を返す。
ドアボーイの出迎えを受けロビーに踏み込んで、ホールで待ち構えていた制服の男に荷物を渡す。けっこう重いぜと予告して。中身はバズーカと弾。
部屋に入ると数分後に、ルームサービスでクラブハウス・サンドイッチが届けられた。気の利く男になったもんだと思いながら分厚く具の詰め込まれたサンドイッチを食べ、冷蔵庫の中からビールの缶を取り出して飲む。350mlを一気に空にしてゴミ箱へ投げた。
上着を脱いでシャツの袖と襟を緩め、スラックスのベルトを外してベッドへ身を投げる。風呂に入りたい、とは思ったが疲れてそれどころではなかった。電話がかかってくるまで少し眠ろう。わざと部屋の明かりをつけたまま目を閉じる。仮眠の時はいつもそうしている。明るいと、熟睡できない性質だ。
やがて。
予想通りの、夜中に電話が、鳴ってフロントが来客を告げた。
「通してくれ」
昔なじみでも友人としてでもなく、多分、情人の父兄としてやって来たのだろう相手に、それでも。
閉じる扉は最初から一つもない。