罪・16

 

 

 

 スラックスのベルトとシャツの襟を直して洗面所でざっと髪を流したところで、部屋の呼び鈴が鳴った。

「夜分にわざわざ、わりぃな、近藤さん」

確認もせずドアを開ける。目をつい、伏せてしまった視界に映ったのは、紺色、ブロードの袴。

「十七階、駆け上がんのは、ちっときつかったですぜ」

 視線を上げると無邪気に笑っているきれいな顔の青年。きつかったと言葉で言いつつ表情はけろっとして、息もみだけていない。

「……そうか」

「もちっと感動してくだせぇよ。無理算段して、夜這いに来てやったのに」

「近藤さんが来てる」

「知ってやす。バイクであとつけてきやした」

「屯所に戻れ。二人不在は、ヤバイだろ」

「昔と違うよ。俺らは軍隊じゃない」

「そうか。じゃあ部屋に入って一眠りしてろ」

「俺を寝せといてどうするのアンタは」

「近藤さんと話をしてくる」

「なんの話?」

 首を傾げて尋ねる青年は可愛い。美少女じみて見えた時期は終わり、背が伸びて体躯も相応に育った。が、それでも尚、美少年だった時代のおもかげが濃く残っている。

「俺をハブいて、あんたら二人でなんの話すんの」

「これからのこととか、色々な」

「あんたのこれからに、俺をハブかせやしねぇぜ」

「ハブきゃしねぇよ。おめぇと一緒に居る。約束したからな」

「嘘でもいいから俺を好きだからって言ってみろよ一回ぐらい」

 整いすぎて優しくさえ見える顔たちの中、目だけは笑っていなかった。エレベータホールの方角へ繋がる廊下を気にする二枚目を虹彩の揺れない瞳でじっと見つめていて。

「土方さん」

 名前を呼んで手を伸ばす。言い聞かせるような口調だった。さからうな、と。

「近藤さんの前でしゃぶらせるぜ?」

「脅すなよ。そんな真似したら近藤さんがメーワクだろ。もーはっきり伝わってんのにこの上、見世物になる気はねぇ」

「俺のオンナなの恥ずかしい?」

「……」

 短い時間だったが返答の珍しい逡巡は、尋ねられた二枚目が親権に考えたことを示していた。

「いや。どっちかってぇと自慢だ」

「ホントかよ。とてもそーとは思ぇねーんだけど。あんたそんなに隠す方じゃなかったよな。旦那と仲良しだった頃なんて、近藤さんでさえ気づくぐらいあからさまだったし」

「ザキとのことは隠してたぜ」

「……ヤマザキ?」

 意外な名前が出て、沖田総悟は二・三度瞬いた。

「おめぇが気づかなかったぐれぇな」

「マジかよ」

「隠した理由は職場内だったからで、お前も前は、一生懸命、隠してたじゃねぇか」

「意地はってたからだよ」

 話をしている途中で、ボーイに案内された近藤勲がエレベーターのある方向から歩いてきた。途中で先客に気づき、ボーイを裂きに帰して、少し離れた場所で待つ。そっちに、二枚目があいまいな笑みを向けた、瞬間。

「ぐ……ッ」

 痛み、というより衝撃。

「……、て……、」

 てめぇ、と言い終わるまで意識はもたなかった。

 身長はまだ二枚目の方が高い。が、沖田総悟は崩れる相手をうまく受け止めた。鳩尾を拳でえぐるべく懐にもぐりこんでいたので、そのままの姿勢で自然に支えられた。

「ねぇ近藤さん。俺、いま、離されたら死んじまうよ」

 よいしょ、という感じに屈んで肩に担ぐ。ぶつけないよう気をつけながら、二枚目が内側から開いていたオートロックのドアを片手で支えて。

「どうぞ」

 師匠で、流儀上の父親で、半分育ててくれたような人を、室内へ招く。

「土方さんに、なんの話をするつもりだったのか教えてくだせぇ。近藤さんと土方さんは、いつも、俺をハズして、色んな話を進めてく。寂しかったです」

「総悟、俺たちは」

「でも、俺はガキで思慮が足りねぇから仕方ないんだっても思ってました。けど今度は違うでしょ。俺のことなのに、俺をかませてくれねぇなんて有り得ねぇよ」

「お前の幸福を一番に考えてる」

「じゃあ」

 部屋は広い。東京湾とお台場を見下ろす海側、時間が遅過ぎて夜景は大人しいが、それでも暗い海に輝きが映えて映る。

「俺を頼むって、土方さんに頼んでくだせぇよ。一生見捨てないで可愛がってくれって、頼んでくだせぇ」

「俺が気になって、トシに尋ねたかったのはそこだ」

 ベッドはクイーンサイズ。夜景を見るための大きなガラス張りのテラスに面した壁際に、でかいのがどんと据えてある。

「お前に黙ってトシに会いに来てすまなかった。どうしてもトシに聞きたいことがあった。総悟のことを真面目に愛してくれてるのかって、尋ねるつもりだった」

「……なんだ。俺ぁてっきり」

 どさり、肩に担いだ体を若者がベッドに下ろす。当身を食らって意識を失った相手の手足を自然な位置にして、ベルトを抜きスラックスの前を外してやる。近藤勲は二人からそっと目をそらした。優しい仕草だが生々しくて、正視できなかった。

「土方さんに、俺の為にならないからどっか行ってくれって、言いに来たのかと思いましたぜ」

「どこかに行けって俺がトシに言うのか?」

「……そっか。ありえねぇですね」

 二人は親友、長年のマブダチ。そしてはっきり近藤勲の方が尽くされてきた。『帰って来て』くれた二枚目を喜んでいるのは沖田と同様。一年前に捨てられて、一緒に泣いた、確かな仲間。

「すんません。被害妄想でした」

「なぁ総悟。俺はお前が幸福そうに見えないんだ」

「近藤さんの見間違いですよ。俺ぁシアワセです」

「びくびくしているように見えるぞ。萎縮してる。そういうのは沖田総悟のスタイルじゃないだろう」

「……あんたに、何が分かるっていうんだよッ」

 袖のボタンを外して襟元を緩めてやっていた若者の手が止まる。

「好きなオンナに優しくしてもらった後で棄てられたことなんかないだろ。なんでもワガママ聞いてくれてたのが、起きたら突然、そばにも寄せ付けてくれなくなって、そのまんま背中むけっぱなしでサヨナラ、なんてないだろ?」

「なぁ総悟。トシはいい奴だ。すごく」

「ケッコンしてたよーなもんだったんだよ。俺以外とは手ぇ切ってくれていたんだ。あんた本気で俺の親みたいな気で居るんなら、あんな風にもぉ一回してって、この人に一緒に頼んでくれよ」

「誇り高くて優しくて頭がいい。情熱家だが冷静で、トシが隣に居てくれなかったら、今の俺も今の真撰組もなかった。こんなダチが居るのは俺の人生で一番の祝福だと思ってる」

「……ごめんなさい」

「ダチとしては最高のヤツだ。けどな、長年、見てきて、これはこいつの、なんというか、その。オトコ癖だけは」

「八つ当たりでした。ごめんなさい」

「感心できなかった。俺はトシのダチだからトシの味方だが、それでもやっぱり、酷いと思っていた」

「失礼なことを言いました。すみません」

「謝るな。本当にお前を息子みたいに思っているぞ、総悟」

 それが嘘だとは、若者も思わなかった。ちょこまかしている子供の頃から随分可愛がられてきた。

「この前の話だけどな、俺はやっぱり、俺の流儀の跡取りはお前だと思ってる。お妙さんちはお妙さんの流派で、新八君はいい腕だがそもそも、俺の弟子じゃない。俺の息子は、出来るかどうかもまだ分からないし、それ以前に結婚して貰えるかどうかも分からないし、逆に言えば沖田総悟っていう、俺には立派過ぎるくらいの跡取りが居てくれるから俺はお妙さんを気長に口説けるんだ。感謝している」

「……へんな感謝だなぁ」

「結婚してもらえて、もし息子が出来たとして、だがその息子が剣術を好きになるかどうかは分からないし、運よく本人に適性があったとしても一人前になるのは二十年後だ。お前が一代ついでくれるには十分な時間だよ。それにもともと、うちの流儀は親子じゃなく師弟で相続していくのが本筋だ。俺も養子だし」

 流儀の相続の話になると、近藤勲はさすがに厳粛な顔をした。田舎剣法とはいえ既に四代を数え、故郷には四桁の弟子を持つ、その総帥として近藤勲には責任がある。真撰組局長としての社会的責任とは違う、もっと家庭的な、流派の長としての責任。

「俺にはお前しか居ない。それを前提で話をさせてくれ総悟。男同士に偏見がある訳じゃない、子供が出来ないのもまぁ、お前とトシの遺伝子が残らないのは惜しいと思うが普通の夫婦でもよくあることだ」

「土方さんの子供は俺も欲しいから、外で作ってもらってもいいなって思ってやす」

「お前のその健気さに、トシが応えてくれるかどうか、正直なところ凄く不安に思っている」

「応えてなんか、くれなくっていいんですぜ」

 そ、っと。

 ベッドの上に寝せた二枚目の、肩口に懐きながら匂いを嗅ぐように顔を押し付ける、様子はまるで、飼い主に懐く子犬。

「俺はトシの、あー、なんだ、その、恋人、たちに、関係を誤解されて牽制されることがわくあった。だからトシがそういう連中とどう付き合ってきたか、少しは知っているんだが」

「誤解じゃありやせんよ。土方さんは近藤さんのことを一番好きなんでさ。俺も時々、ちょっと羨ましい、です」

「そう、かな。まあともかく、連中は何のかの言いながら、トシを好きだったよ凄く。でもトシは冷たかった。仕事が忙しくなるたびに喧嘩して別れて、みんな可哀想だったがトシはいつもケロッとしていた。使い捨てている感じがしたさ、見てて。俺は、お前がトシにあんな風にされるのは見たくない」

「……どーですかねぇ、それは」

 好きなオンナの匂いにうっとりしながら、若者は部屋の入り口近くに立ったままの近藤勲に笑いかける。気弱で寂しい、似合わない笑い方で。

「仕事で情人持ちきれなくなるほど不器用な人でもないと思いやすが」

 多分それは仕事ではなく、『親友』を最優先した結果。

仕事で置き去りにされる事は男なら諦める。まともな男なら、自分もするだろうから。それが喧嘩になったというのなら原因は仕事ではない。相手の男が許せなかったのは、自分ではない男を自分より大事にされたから。

「近藤さん」

 改めて名前を呼ばれて、近藤勲はそむけていた視線を沖田に戻した。

「俺と土方さん、どっちが可愛いですか」

「……選ぶようなことなのか、それは」

「俺の味方になってくださいやせんか?」

「意味が、よく、分からないが」

「土方さんの歴代の遊び相手と遊び方は、俺もちょっと、知ってるつもりです」

 二枚目の肩を抱きながら、流し目のように若者は近藤勲を見た。きれいな顔をしている。でもこの若者の一番の価値は容姿ではない。見目も麗しいがそれ以上に稀少なのは、剣士としての才能。

「近藤さんが俺の味方になってくれたら、俺は連中と同じことには、ならねぇと思うんです」

「……?」