罪・2
むかし。
当たり前みたいに隣に居た頃。
すき放題、勝手な真似をしてた。痛みに顔をしかめていると気づいてもわざと手を緩めなかった。優しくしたくなかった。それは弱みを見せるって事だと思ってた。優しく撫でてやったことなんか一度もないと思う。それどころか、相手が撫でてくれようとする手まで跳ね退けた。優しくされたくなかった。
でもあの人はいつも優しかった。
セックスするようになってからは余計に。姉が死んでからは特に。
したいと言えばさせてくれて、勝手な気分でご無沙汰をしても文句一つ言われなかった。まだ十代の青臭い齢で、自分の精液の臭いに噎せて嫌気がさして、関係を止めようと思ったことが何回かあった。出来なかったけど。
距離が近すぎるからだ、と思った。職場だけでなく生活が同じで、幹部用の風呂で出くわすこともあれば私室での仮眠を見かけることもある。若すぎるから、だとも思った。若くて腹がどうしても減るから、手近に美味いと知っている餌があるのに、食わずにおくことが出来ないんだ、と。
『あんまり考えるな、総悟』
情人は年上。普段は自分より遥かに思慮深い相手。でも情事に関してはさばさばしていて、そのへんはネコでもオトコだった。
『やりたくなったらやって、したくなきゃ止めりゃあいい。悩むほどの価値もない事だぜ』
うるせぇよ、と、何度も思った。我慢できずにもう止めようという決意を破って抱いた後で、後悔と自己嫌悪に沈む若い背中に独り言じみてそんなことを呟いてくれる、年上の人は優しかった。責任を感じる事はないんだと言う慰めだということをその時は理解できなくて、汚い大人の言い分だと思ってた。こんなことで苦しむなと言ってくれていたのに。苦しめていたのはこっちだったのに。
その人は、顔とカラダがちょっと目立つほど素晴らしくて、凝視するとき見開く癖のある遠視気味の目尻の、色香が強烈で男にも女にも、もてた。でも自分とひんぱんに寝るようになってからは、他のとは手を切ったようだった。言葉で告げられた事はないが、そういうことはなんとなく分かる。自分が大事にされていることを感じて、その愛情が迷惑で、いっそ憎くさえあった。
それは殆ど家族がくれるような、無条件というのとは違うけど最優先の愛情。受け取らないでカラダだけ抱き続けた。それでもいつでも、年上の人は優しかった。
崩れる寸前までは。
半地下の駐車場は暗く、そこで立ち尽くし両手で口元を覆って背中を震わせながら、泣く若者は、まるで。
「……梨の花みたいですね」
山崎が思わず呟く。正気の時ならただでは済まない失言だが、言われた真撰組副長代行は嗚咽を漏らないことだけに必死で、聞こえなかったらしい。
「とにかく車の中へ、さぁ」
こんな様子を他人に見られたら厄介だ。見た人間を後日、順番に殺しかねない過激な上役を、山崎は停めた高級車の中へ導く。自分も運転席へ乗り込みドアをロックすると、若い副長代行は堰が切れたらしい。俯き、口元を覆う指の間から細い悲鳴をあげた。
つぶらに澄んだ、美少年だった頃の気配を濃く残す瞳からは透明な涙がぽろぽろ、可哀相なほど零れて行く。
「沖田さん」
ただでさえ優しい顔立ちの若者。それが恥も外聞もなく泣き嘆く姿は日頃のでかい態度との落差で、一層、破壊力があった。氷の心の女王様でもほだされるだろう。
「その顔で泣かれて落ちない女なんかこの世に居ないでしょう」
が、山崎の声は冷静で、少し冷たくさえあった。
「でも俺の前で泣いたってどうにもなりませんよ」
「……」
「土方さんに見てもらわなきゃ意味がない」
「……」
「どうしてもっと早く泣いてくれなかったんですか」
時間はあった。何ヶ月もあった。真撰組の面々は皆、強面だが誰よりも隊務に真摯だった副長の退職を引き止めた。近藤勲と山崎に至っては万策尽きた挙句、出て行く日に正門を釘付けするという暴挙にまで出たのだ。釘が抜かれた後も出て行くのなら轢いていけよと車庫の前に二人で寝た。それこそ本当に、恥も外聞も泣く。
その間、この若者は、覚めた目をしてしらっと立っていた。
どうしてあの時、一緒に止めて説得してくれなかったのか、と、山崎は恨む気持ちを隠しきれないで居る。
一番、誰よりも可愛がられていたのに。
とくにあの姉上が亡くなってからは殆ど、仕えるみたいに、大事にされていたのに。
「沖田代行がもっと早く、引き止めてくだされば……」
思いなおしてくれた『かも』しれないのに。
「……」
無言のまま、若い代行はかぶりを振る。
そんなことはなかった、と言いたいのか。
「かもしれませんが、だからって何にもしなかった言い訳にはなりませんよ」
今更泣くなよ、という腹立ちが山崎の胸にはある。ガキめ、という呆れた気持ちもある。そのガキのために昔、遊び相手を務めた黒髪の二枚目にあっさりお払い箱にされた恨みがまだ、心の底に澱として残っている。
「で、どうするんですか。実行しますか、やめますか」
戦争が終わらなければ良かったのに。
天人が勢力割れを起こし、代理戦争が引き起こされかけた。幕府と攘夷派が一時休戦してそれに対抗して、『共通の敵』に向っているうちに戦友じみた連帯感が芽生え、同盟が成り立った。攘夷派は分裂と内ゲバを繰り返すうちに人材の質が低下して、このままでは民心を失うという主導者たちの思惑が、外憂を目前に内患をなくしたい幕府の思惑と一致して。
テロを繰り返す過激派がまったくなくなった訳ではない。けれども現状のそれは『犯罪』であって、政治的な『活動』と世間にみとめられていない。
「俺はやりますよ」
真撰組の役割も変わった。軍隊じみた戦闘集団から機動隊じみた立場へと。平和になったのは悪いことではない。でも戦争が終わらなければあの人がこんなにあっさりと、隊を出て行くこともなかっただろう。
「……、ロ……」
嗚咽を押し殺す息の隙間の、細い声。
それでも意思ははっきりと伝わる。
ヤルニキマッテルダロ、と。
「なら結構です。出します」
後部座席のシートに倒れた上役を乗せた、高級車は静かに、戒律厳しい修道院の駐車場から外へ出た。