はめられた。

 そう思いながら救急病院の処置室前の椅子に座る。

 はめられた。けれど騙された訳ではない。前回の面会の時に思いつめた様子には気づいていた。でもまさか、こんな真似を、まさかこいつが、やらかすとは思わなかった。

 自殺未遂なんて、似合わない単語だ。

 殺人未遂、ならしっくり来るのに。

 暗くて長い廊下の先から足音。誰のものかはすぐに分かる。長年聞き続けてきた幼馴染の。

「近藤、さん」

「トシ……」

 知らせを受けて急いだのだろう。着流しに上着を羽織っただけの姿。そういう自分は寝巻きのままだから、人のことは言えない。

「すまねぇ」

 何から話せばいいか分からなくて、とりあえず立って頭を下げる。

「総悟はまだ中だ。命は大丈夫で、意識も戻ったらしい。今は胃の洗浄をしてる。ちょっと、大変らしい」

「何をしたんだ、あいつは」

「睡眠薬、飲みやがった」

 脅しではなかった。証拠に錠剤のまま飲むのではなく、奥歯で一粒一粒、噛み砕いてからビールで流し込んでいた。シーツの上に縛られて身動きできず、その様を見せ付けられる恐怖を思い出して背筋がぞっとする。

「寺の、俺の、部屋に忍び込んで、それで……」

 そして。

 

 

 部屋は個室だ。義兄や姉からの『寄付』が効いていたのかもしれないし、前歴のせいかもしれない。風呂はついていないがトイレと洗面台はあって、部屋自体は四畳半ほどの狭さだが修行僧としては破格の待遇。

 その部屋で押さえつけられてカラダを繋がれた。もちろん嫌だったし抵抗もしたが、その後の恐怖に比べたらなんでもないことだった。右の手首と足首を紐で繋がれて立ち上がれなくされた自分を抱きしめながら、サド星の美形の王子様は。

『帰ってきてれやすか?』

 願うように尋ねられる。冗談じゃねぇよと答えた。力ずくで負けて機嫌が悪かった。一年ぶりのセックスにカラダは否応なく歓喜して、自分を押さえつけたガキにいつの間にかあわせて、たっぷり愉しんでしまったことにも腹が立っていた。

 そう、と、悲しそうに呟かれて、そして。

 王子様は裸のままベッドから抜け出し、持ち込んだらしい荷物の中から妙なものを取り出す。白綾の小袖と掌にようやく載るくらいの箱。

 箱の印刷を王子様は色男に見せた。Benzodiazepinediazepamと書いてある意味を、実家が営農の片手間に薬問屋もしていた二枚目は理解できた。ベンゾジアゼピン系の抗不安薬、抗けいれん薬、鎮静薬であるジアセパム。睡眠薬としての致死量は約500ミリグラム。錠剤で言えば100粒ほどを飲み干さなければならない。

 一般病院で処方される場合は一錠ずつアルミで包装されている。が、その瓶は国内の製薬会社や大学病院が実兼用に仕入れる大瓶で、禍々しい量が詰め込まれている。

『昨夜からメシ食ってねぇんで、あんまエグイことにはならねぇと思いやすが、部屋、汚しちまったらごめんなさい』

 自分勝手な王子様にしては気配りの台詞だった。が、聞いていた二枚目はそれを評価するどころではない。瓶の蓋を開けて裸の滋養剤を掌の上に零し、口に放り込んだ。

『湯灌はなしで棺桶に突っこんで欲しいです。あんたの匂いついたまんまがいい。墓は姉上の隣のを買ってますから、そこに』

 ぼりぼり、と、錠剤を噛み砕く音が響く。

『あー、まじぃ』

『……総悟?』

『迷惑かけて、ばっかでごめんなさい』

『ナニやってんだ、よせって、バカヤロウッ』

『あんたとどっちがひでぇあてつけですかねぃ』

 同じく持ち込んだ荷物の中の、ビールはぬるくなっていたが、味などこの際、問題ではなかった。薬剤の効果を促進してくれればそれでいいのだから。

『総悟ッ』

『……ごめんなさい』

 咎める声に珍しく素直に謝るが、やめる気はなさそう。

『代わりに死んだら、俺のこと忘れていいですから。お幸せに。長生きしてくだせぇ』

『分かった。寺を出る。それでいいだろう』

 本気の覚悟は縛られた二枚目にも伝わって、至近距離でぼりぼり、錠剤を噛み砕く音が禍々しく響く。

『どうせこうなりゃ、正式な得度は出来ねぇんだ。おめぇと一緒に外に出る。だから、やめろ』

『出ても、どうせ、あんたすぐ逃げるんだろぃ?』

 身動き出来ない二枚目に寄せられる、王子様の頬はつるんとして、二十歳を過ぎたばかりの若さを証明している。

『それぐらいならあんたのそばで今、眠る。あんたに居なくなられてから毎朝毎晩、ずーっと後悔して夢みちゃ泣きながら目がさめんでさぁ。もーあんなのぁゴメンでね、そろそろ俺も、ラクになりてぇよ』

『総悟、だから、分かったって。なんでも言うこときくから、ヤメロ』

『信じられませんや』

『……総悟ッ』

『一回棄てられたし』

『もうしねぇ。……可愛がってやっから』

『ホント?』

『あぁ』

 王子様は嬉しそうに笑う。生意気な口を閉じてさえいれば本当に、見目がよくてお行儀がよくて、可愛らしくさえある。

『じゃあさ、朝まで一緒に居て』

『いいぜ。それ食うの止めたらな』

『あんたに最後まで、迷惑ばっかかやすね』

 喋りながら、でも、錠剤をかむのは止めようとしない。

『……もっとこっち来いよ、総悟』

『殴る?』

『キスしてやるよ。してねぇだろ』

 抵抗と、それを押さえ込もうとする力ずくのセックスだったから、そんなことをする余裕はなかった。

『うん』

 嬉しそうに、見えない尾を振りながら王子様が近づく。ビールで口の中の薬剤を流し込み、柔らかな唇を重ねられて、そっと舌先で合わせ目を舐めた。

『ひらけよ』

 内側を閉じたままの王子様を促す。言うと素直に開いたが、それは掌の中の錠剤を噛み砕くためで。

『総悟ッ』

『どうせ、ぜんぶ、流れていくんなら』

 ぼりぼり、もう何錠だろう。

『今の瞬間でパチッて。テレビの電源切るみたいに』

『総悟、だから……、ナンでもお前の、言うとおりにするから』

『今だけなんでやんしょ』

 分かっている、という風に笑う相手は、妙に大人びて見えた。満足したのか薬の瓶を手離し、残っていたビールを呷る。そうしてするりと、シーツに体を伸ばして。

『毎朝あんた、何時に起きてんの?見つかるまでに死後硬直はじまるかな。手は繋げませんね』

 あっさり言われてぞっとした。

『総悟、なぁ……。何すりゃ満足だ。ナンでもするから、吐いて来い……ッ』

『お願い何度もしたでしようが聞こえてませんでしたかィ?ならもういっぺん言いやすが、でもきっと、あんたまた聞こえないんでしょうね』

『総悟ッ』

『ゆるして』

 泣きそうな顔で言って、それきり口を利かなかった。

『総悟、そうごッ』

 身動きできないシーツの上で、動かない隣の王子様の呼吸が、今にも止まるかと。

 戦場で、斬り込むよりも、怖かった。

 

 

 途中、レイプと哀願の描写をはしょって説明を終えた。

「そうか。迷惑をかけた。俺の監督不行き届きだ」

 真撰組局長は、既に民間人であるもと幼馴染に、詫びる。

「お前はでも、ここに居てくれているって事は、その。……得度はだめになったんだな」

 出家には私度と得度があって、それは勝手に僧を名乗っている民間信仰者が私度で、、国に認可された然るべき宗教団体で清拭に手続きを踏んで俗世と縁を断つことが得度。無論、得度僧は私度僧より遥かに格が高い。親族に得度僧が出れば九族の魂が成仏するという信仰も根強く、この土方家の末っ子の『出家志望』は親族たちにはするりと受け入れられた。

「そんな場合じゃねぇだろう」

「あぁ、うん。……だがすまなかった」

 本当に申し訳なさそうに近藤勲はまた頭を下げる。

「いいから、座れよ近藤さん。煙草……、あんたは持ってないよな。小銭貸してくれ」

 出家見習いだったから禁酒喫煙、そうして金銭は身につけていない。

「買ってきてやろう。なにがいい」

「自分で行く」

「どうぞ」

 二人の会話に、廊下の向こうから近づいてきた山崎が割り込む。

「煙草です。着替えも持ってきました。靴も」

 慌てて出てきたから格好は寝巻き、足元は足袋。深夜の救急病院だからたたが、夜が明ければ、みられたものではない。

「……ザキ」

「車の中で着替えられませんか?お供しますよ?それにここ禁煙ですし」

 病院内に喫煙所は、『ない』。

「……」

 無言で立ち上がった、背中に。

「トシ、その、あのな」

 近藤勲の一生懸命な声がかかる。

「もう民間人になったお前に、こんなことを言えた義理でないことは分かっているが、頼む。総悟が気がついたら、ちょっとでいいから、話を聞いてやってくれ。お前が居なくなってからあいつはずっとおかしくて、でも俺には、何も話しちゃくれないんだ」

「分かった」