長刀を差しているせいで半身に構える癖のある、たまらない腰つきが屯所に復活した。

「……、あ、の……」

 真撰組副長として、ではない。

「なんだ」

 局長・近藤勲の個人的なスタッフ、業務委託のような形の契約で古巣に迎えられた。副長代行の沖田が入院するのと前後して、唐突に戻ってきたタイミングは、いかにも心配で戻ってきました、というカンジで。

「沖田代行に確認をいただいていた報告書なのですが、お願いしても……?」

「見せてみろ」

 局長の執務室と続きの応接室をパーテーションで区切り、机と灰皿を持ち込んだ空間の中。昔より喫煙量は格段に減った『もと』副長が、隊士の差し出す報告書を手に取る。緊急車両の増強について、どのメーカーのどの車種をベースに改良するかの、試作案だった。

「よく分からねぇが、近藤さんと話して庶務にまわす。今日中で間に合うか」

「はい、お願いしますッ」

 一年のブランクがあるとはいえ事務処理能力は鈍っておらず、幹部の入院という不測の事態にも関わらず事務処理はさくさくと進んでいく。戦乱が収まったおかげでここ一年は殉職者もなく、隊員の面子は殆ど変わっていなかった。帰ってきてくれたのかな、ずっと居てくれるのかな、と、隊士たちはそわそわ落ち着かない。鬼と呼ばれた厳しい男だったが、この人が居ないと日常が面白くない。

 何故だろう、甘くも優しくもない人なのに、居てくれるとそれだけでなんだか劇的なカンジで、時間外に事故処理でこき使われていてもドキドキで、何故だか疲れない。

 外でチィ、っと小鳥が鳴いた。鳴き声につられて顔を上げると、濡れ縁ごしに泉水をひいた池が見える。もとが応接室だけあって眺めはいい。手入れの行き届いた樹木が緑の葉の先端で、昼前の明るい陽光を弾いている。

「土方さん」

 パーテーションの向こう側から声を掛けてきたのは監察の腕利き。目尻の艶な二枚目の復帰からこっち、浮かれ気分の山崎退が、お盆を持っていて。

「昼メシにしませんか。ちょっと早いけど、弁当届きました」

 既に観察部の責任者、指折りの幹部でありながら雑用係の新入りみたいにちょこまかと、業務委託の個人下請けに過ぎない相手に、まとわりつくように世話している。

 食事に、着替えに、入浴に、寝床。

 上司と部下だった以前さえ、腹心には違いなかったがこんなにべったりではなかった。いや、昔から心理的にはべったりたったが立場があって自制していたしさせていた。今は見栄も外聞もない。また周囲も、それをなんとなく黙認している。

 せっかく帰ってきてくれたから。

 二枚目のこの男が一年前に出て行って、それから寺に入ったことは隊内でも知られている。真面目に修行して正式な得度を受ける寸前だったのに、その修行を無にしてもシャバに帰ってきてくれたのは『急病』で入院した副長代行の沖田と、片腕の沖田に入院された局長と、何より真撰組のことを心配してだと、隊士たちは分かっていた。

 鬼のくせして優しいところがある。その落差が甘くて切なくて、何も言わずに帰ってきてくれた人に隊士たちは心から感謝している。感謝は形で現され、山崎が自主的に世話係になっている他にも待遇はひどくいい。

出て行かれたら困るから。

今日も届いた『弁当』は隊の食堂で作ったものではなく、接待用の豪華な松花堂弁当。俵御飯に和え物、お吸い物、刺身に銀鱈の西京焼、煮物、天ぷら、豆腐田楽、茶碗蒸とミニステーキ、うまき卵。デザートに二色団子とフルーツまでついた超豪華版、五千八百円の品。

「マヨありますよ。新作のあらびき黒コショウ入りも買って来ました。粒マスタードとスタンダードも。どれにしますか?」

「……粒マスタード」

「へい。ビールは一番搾りとエビスとスーパードライと黒ラベルと、ギネスもありますんで、ご希望ならこの場でハーフ&ハーフを作りま」

「仕事中だろ、なに言ってやがる」

「俺はもちろん飲みません。でも土方さんは執務時間ないですからどうぞ。局長からの吟醸酒も冷蔵庫で冷えてますが、昼間はビールがお好きでしょう?」

「そりゃ休みの日の話だ」

 オフの日には昼間からサウナに行き、湯上りにビールをごくごく、愉しむこともあったが。

「要るか、馬鹿」

「あんた相変わらず、真面目で仕事熱心ですね。惚れ直します」

「……いっとくがな、ザキ」

 いそいそと茶を煎れる観察に腕利きに、箸を操る二枚目はぎろりと、流し目で凄む。

「俺ぁてめぇを許した訳じゃねぇぞ」

「あぁ、土方さんにそーやって睨まれると、もぉ」

「悶えるな、ヘンタイ」

「イキネヨロコビを思い出します」

「殴るぞ」

「はい、お茶どうぞ」

 寿司屋で使うような大振りのゆのみにたっぷりの煎茶。ぬるめで味に丸みがあって、いい茶葉を使っている。

「何でも言うこと聞きますから、ここに居てくださいよ。あんたが居ないと仕事してても、ちっとも楽しくない」

「仕事がきちぃのは当たり前だろーが」

「キツイのが嫌なんじゃないです。つまんなくって、やってられないんです」

「ふざけたこと言ってやがるとシメルぞ」

「……ナニを?」

 舌なめずりするような声でそう言われて、吸い物に口をつけていた二枚目がキレかける。一瞬、箸を置いて拳を固めかけた。が。

「愛してます」

 恐れる様子もなく自分を見る、山崎の目が真っ直ぐで正直で、怒りは一瞬でほどけた。ふざけているのではない。心の底から本気で正気だと、分かる目つきだった。

「近藤さん、何時に帰るって?」

 意識を敢えて豪華な弁当に戻し、がつがつ食べながら尋ねる。近藤勲はつきに一度の定例会で、警視庁管轄化の部隊長たちと打ち合わせかたがた、料亭で昼食を摂っている。

「いつもどおりですと十五時には」

「引継ぎが済んだら総悟のとこに行く」

「分かりました。夕食の弁当は二人分、手配しておきます」

 山崎の笑顔が少し癇に障った。

 

 

 『事故』から、既に一週間。

 個室の病室に横たわる、若者の心身は、既に回復している。

「総悟」

 現在は経過観察中。心理的なものも含めて。高用量の副作用は傾眠、抗うつ、運動障害、めまい、神経過敏、そして重度の場合には順行性健忘が懸念される。

「まだ拗ねてんのか。機嫌なおせ」

 自殺未遂である事は公にされていない。そんな真似をしたことが広まれば社会的な信用を失い、責任ある仕事は任せてもらえなくなって、経歴に決定的な傷がついてしまう。警視庁内部調査課に嗅ぎつけられる前に松平片栗虎のもとへ駆け込み哀訴して、今回限りは不問に付してもらうもとが出来た。

 条件は、真撰組の業務に支障を招かないことで。

 幹部一人が抜けた穴は、別の『幹部』でなければ塞げない。

「メシ持って来たぜ。食欲は?吐き気とかはないか?」

 せっかく見舞いに来てくれた相手に背中を向けて、若者は動かない。拗ねているというより悲しんでいるように見える。

「起きてんだろ、こっち向け」

 個室の特別室には付き添い用のソファベッドと小さなテーブルが置いてあった。ユニットだがトイレと洗面所もついて、髪も洗える贅沢な造り。テーブルの上に山崎が用意した折り詰めの風呂敷を置いて、二枚目はベッドの若者に近づく。

「早く元気になれ」

「、……、りぃ……」

「ん?」

「オレ、かっこ、わりぃ……」

「腹いっぱい食って元気になれ。退院したら、好きなだけ好きにしていいぜ。一年前にそーしてやっときゃよかったな。オレが悪かった」

 一方的に手を離して、おかげで無用に思いつめさせた。

「お前が飽きるまで、なんでも付き合ってやるよ」

「……同情?」

「さぁな」

「自分がなに言ってるか分かってる?」

「一応、覚悟はしてる」

「オレが飽きなきゃ、ずっと居てくれんの?」

「……」

 二枚目は答えない。背中を向けたままの若者の後ろ髪を、梳いてやりながら静かに笑っている。その手を掴んでぐっと引き付けて、若者は向き直り上体を起こした。

「誤魔化すな、答えろ」

 ベッドに半分、乗り上げるような姿勢で、

「誤魔化してねぇよ。お前が飽きるまで好きにしていいって、こんなにはっきり言ってるだろ」

 二枚目は答える。真撰組の王子様は、間近で見れば男の顔に近づいてきていて、きつい目尻は精悍さを見せ始めている。

「話になんねぇよ、アンタ。脚ひらくだけじゃ足りねぇんだぜ分かってる?」

「ピアスか?墨か?針は消毒しろよ。肝炎はごめんだ」

「そんなのはもういいけど」

 昔、それをしようとして拒まれたことがあった。自分のものにしたくて、でもどうしたらいいのか分からなくて焦っていた頃。

「……ホントに好きなようにしていい?」

「しつこい」

「でもしたら、あんたオレのこと嫌いになるよ、きっと」

「何するつもりなんだお前」

「俺のものに」

 したい。