真昼だったが、火花が見えた。
「文久七年六月一日に」
身幅は薄いが恐ろしく斬れる、沖田総悟の差料は会津松平公からの拝領品。
「佐幕・攘夷その他を問わず、一切の政治活動とそれに伴う行為には恩赦が出てる」
刀身に波紋はなく、鏨を入れたまま全体に焼きを施してある。切っ先から物打ちのキワまで、平らな鋼の表面には楕円の泡のような線が一面を覆いつくし、ぼこぼことまだ煮え立っているようにも見える。
皆焼と書いてひたつらと読むごく珍しいその様式は、地鉄一面に飛焼が複雑なかたちに数多く入った見ごたえのある物だ。そうして恐ろしく斬れる。技術的にも他の地紋より遥かに難しくて、神社へ奉納される神刀にはこの形式が多い。
「その後で俺の知らない手配書が出てるなら別だが」
チタン合金製の手提げ金庫。小型だが防火保証つきのそれに、刃は三ミリ、がっちり食い込んでいる。手近の金庫を咄嗟にひっ掴み刃は辛うじて止めたものの、斬撃は激しく、指先が痺れている。ころころ、金庫から転がった硬貨が部屋の襖に当ってパタンと倒れる。
「……庇うンですかい?」
今日、仕事が休みの王子様は、業務委託の個人業者が月末の会計〆のためにそろばんを弾く隣でゴロゴロ、朝から懐いて幸せそうにしていた。その顔が金庫と白刃の向こう側で笑っている。いつもはパッチリつぶらな瞳を薄く細めて、酷薄に。
「そいつに何人、仲間やられたと思ってンの」
「お互い様だろ」
「のこのこ出てきやがって、フザケんじゃねぇッ」
「おめぇにふざけんな、って言われた奴ぁハジメテかもしれねぇな。……何しに来た、高杉」
「てめぇの様子を見に。茶ぐらい出せやオイ」
「その口が動かなくなる前に帰れ」
隻眼のもとテロリストは相変わらず派手な着流しの姿で、素足は妙齢の女より白い。獲物を見つけた狼のように、真撰組きっての使い手の王子様はぎしっと、刃を軋ませる。
「おい、総悟。内務大臣の紹介状持った客に怪我させちまったら、うちがヤバイことぐらい分かるだろ」
興奮して刃を引こうとしない王子様を臨時雇いは懸命に宥める。無念そうに口惜しそうに、王子様は肩からそっと力を抜いた。形のいい唇を噛み締め悄然として奥の襖をあけ、何も言わずにその場から去った。
ふぅ、っと黒髪の二枚目が息を吐く。腕がかなりだるい。
「茶ァだせや、土方ァ」
一触即発の火花を見ても平然とした男がふたたびの催促。
「久々に昼間、出歩いたから、クラクラするンだよ」
「てめぇどーやってココまで来やがった。応接室に通された筈だぜ」
内線で来訪を知らされ、そこへ行こうと立ち上がりかけたところだった。
ここは屯所内でも監察や会計方に近い。幹部が起居する奥ほどではないが一般隊士たちの立ち入りは制限されている区画。
「ここの見取り図ぐらい覚えてるぜ」
当たり前のように言われてチッと舌打ちする、二枚目は相当に口惜しそう。警察組織の一角として、テロリストに敷地内の構造を知られるなど、あってはならないことだ。
「どっから調べた。業者か、幕府か?」
「安心しろ、漏らした奴ぁもう生きてねぇ」
「できるか」
攘夷派にも幕府にも相当の内通者が居た。まさかと思うような大物も混ざっていた。政争は思想戦でもあって、知能の高いものほど他社の理論を理解する能力に長ける。つまり、感化されやすい。
「てめぇが心配でよォ、様子見に来てやったんだぜ。あんな出て行き方されりゃ気になって当たり前ダロ」
「退会届は郵送したはずだが」
「郵送の届けなんざ信用できるか。内ゲバに巻き込まれて吊るし上げでも食ってんじゃねぇかってなァ」
「うちはそーゆーうぜぇ組織じゃねぇ。アタマの人望の違いだ」
「サブがギリギリ締め付けて思想かぶれさせなかったんダロ」
部屋中に散らばった硬貨を二枚目は拾い集める。客はさっさと部屋の真ん中へ通り、敷かれた座布団に片膝を立てて座る。
「お待たせいたしました」
そこへ茶菓子を運んできたのは当番の見習い隊士ではなく、監察を取り仕切る利け者の山崎。
「火ィ」
「は」
客に催促され、懐から煙管を取り出し切り煙草を詰め斜めに見上げてくるふてぶてしい客にマッチを擦って差し出す。雁首に焔を吸い込むようにしてふかす煙管はライターではうまく点けられない。
八条間いっぱいの小銭を拾い終わった二枚目は客に構わず、ざっと金額を合わせた。
「まぁなンだ。一服したら帰るぜ。てめぇがスキでここに居るンなら俺の知ったこっちゃねぇ」
「退去に際して寺院を騒がせたことと、修行を全うできなかったことは詫びる」
「来たとき預かった財産は、経費さっぴいて近々返還する。ココあてでいいんだな?」
「お気遣いには本当に感謝している。いろいろ親切にしていただいたのに、申し訳なかった」
「銀時が、な」
紫煙をふーっと、天井に向って吹きつけながら、隻眼のもとテロリストは思いがけない名前を口にした。
「あ?」
文机の前の座布団を奪われてしまったので、端っこで金庫に効果をなおしていた二枚目が顔を上げる。唐突に出てきた名前と内容がうまく繋がらない。
「あいつが、なんで」
「俺が知るか。てめぇで分かってンだろ」
「……」
いわゆる、『仲良く』したようなことが、全くなかった、わけではないけれど。
「頼んでった、って、どっか行ったのかアイツ」
何を考えているのか理解しがたかった風来坊の万事屋。『出家』した一年前まではその辺に居た。『帰って』きてからは会っていない。真撰組に出戻ってきたことを二枚目は格好悪いと自分で思っていて、だからあまり人とも会いたくなくて屯所に引き篭もっている。松平片栗虎に泣きついたあたりで警察関係者にはもれて、警視庁の人事関係者や余所の幹部から、メシでも食いに行かないかという誘いは先々あるが。
「知ったことか。ただいつかどっかで会って尋ねられたとき、てめぇがどうしてるか答えられねぇのも剛腹だから一応みにきただけだ」
かん、と、灰皿に煙管の中の火種を零して、
「じゃあな」
ごくあっさりと、隻眼の男は立ち上がる。
「ちょっと待て。一人で来たのか?」
「いいや?玄関脇のお供部屋に一ダースと応接間に一人置いてるぜ?」
「そこまで送る」
長い廊下を幾度も曲がった応接間にはサングラスをかけた背の高いお供が一人、蒼白な顔色で座っていた。
「……晋助殿」
「睨むなよ。便所行って煙草吸ってきただけだ」
置き去りにされたらしいお供は相当、心配したらしい。青白く固まった表情を向けてくる。
「帰る」
「二度と貴殿の腹痛は信じぬ」
「わかったわかった」
主従というより盟友、いやそれよりも更に踏み込んだ関係を感じさせる会話を聞きながら、二枚目は玄関近くまで二人に付き添った。お供の男は別れ際の会釈以外、礼儀正しい無視とも言うべき謹厳さを崩さなかったが、もの凄い手をしていたことが印象に残った。
あれは、並みの腕ではない。
部屋に戻ると。
「ちょっとは分かりましたか?」
天井からさかさまに、山崎が生えていた。
「……血ぃさがららねぇかお前」
着替える間がなかったのだろう。足元だけ音のしない足袋に履き替えて隊服のまま天井裏で、来訪者の様子を監視していたらしい地味に切れる男。
「自分がどれだけひどいことしたか、ちょっとは分かってくれました?」
「俺にも茶。沖田どうしてる」
「みんながどれだけあんたのこと心配してたのか、ちょっとは」
「ザキ」
天井は高い。胸から上の上半身を外した天井板から逆さに生やしている山崎の顔の位置は、畳の上に立っている二枚目とほぼ向き合う。
「いい加減許してくれ」
「いつでも許してあげますよ。土方さんが幸せになってくだされば」